41 二人の関係 (レスター)
レスター視点です。
デイジーと共に食事をした夜、私はそのまま柊宮に滞在した。仕事をしながらフリークス氏を待っていると、彼は深夜遅くにようやく帰って来た。遅い時間ではあるが、私はすぐにフリークス氏に会いに行った。
「あまりに遅いので、デイジーが心配していましたよ。貴方の顔をずっと見ていないのだと、寂しがっていました」
「……申し訳ない」
疲れた顔で、謝罪するフリークス氏。それはこれまでに見たことのない、どこか陰りのある表情だった。
彼の態度の変化に、私は違和感を覚える。そこにデイジーの悩みに関する何かが隠されているのではと思った。
「……デイジーと何かあったのですか?彼女は貴方に避けられているのではと、不安に思っているようです」
「……それは……」
私がでしゃばることではないかもしれない。しかしデイジーの不安が少しでも取り除けるのならと、私は彼に詰め寄った。
「フリークス殿、貴方がデイジーを大切に想っているのはわかっています。けれど今の状態は……彼女を傷つけるかもしれないとは思いませんか?どうか話してください」
「……あぁ……本当に……」
フリークス氏は大きくため息を吐くと、どさりと近くのソファに身を沈めた。額に手を当てながらじっと俯き呟く。
「……私は本当に不甲斐ない男だな……」
「フリークス殿……」
「エスクロス卿……すまない……本当に君の言う通りだ」
泣きそうな顔でこちらを見上げると、フリークス氏は弱々しく笑った。そして訥々と語り始める。
「……思い知らされたんだよ。私が正しいと思ってしてきたことが、間違いだったのだと……」
「それは……」
「私はあの子に傷ついて欲しくないと、そう思っているのに、あの子を正しい姿でいさせてあげることができなかった。もっと早く……過去と対峙させるべきだった……いやもっと早く私が……」
小さく床に落ちて消えていく言葉たち。それは自身へと向けられた後悔だった。
正しい姿──それが意味するものは、私が考えていた二人の関係についてだろうか。私は思い切ってフリークス氏に聞いてみた。
「……貴方がたは……デイジーと貴方は……夫婦ではなかったのですね?」
私の言葉に、フリークス氏は一瞬固まるが、やがてゆっくりと頷いた。
「……そうだ」
重々しいその返答に、私は背筋がゾクリとする。
本人の口から聞くまでは、まるで実感がわかなかった。だが今はその事実の前に、思わず震え出しそうになる。
私は逸る気持ちを抑えながら、フリークス氏に問うた。
「フラネル子爵は、デイジーが商人の妻になったのだと言っておりましたが……そうではなかったという事ですか?」
「いや……彼は真実そう思っていて、私にディーを売ったのだよ。むしろ私はそう思い込ませて彼女をあの屋敷から連れ出したんだ」
拳を握り込み、床をじっと睨みつけるフリークス氏。怒りの籠った眼差しの先には、フラネル子爵の姿があるのだろうか。
「何故?貴方は一体……」
「あの子は……ディーは……虐待を受けていたんだ。あの男に」
「!!!」
「私が見つけた時は、それは酷かった……すぐにでも助け出さなければ、彼女は死んでしまっていたかもしれない……」
「そんな……」
「だから私は何がなんでも、金をいくら要求されようとも、ディーをあの家から連れ出したんだ。それこそ妻にするとなんとでも偽ってね」
フリークス氏の言葉に、私は愕然とする。途端にあの婚約式の日の光景が、脳裏をよぎった。
父親に酷く殴られて、血を流していたデイジー。怒りに狂った子爵は、彼女が倒れ伏そうとも、暴力を止めようとはしていなかった。
(何てことだ──っ……全部私のせいじゃないか……!)
あの後、もし私がすぐに彼女に会いに行っていたなら、父親の暴力から救えたかもしれない。いや、そもそも彼女をあんな状況に追い込んだのは、全て私のせいなのだ。そのせいで彼女は……。
悍ましい事実に吐き気がする。子爵へと自分への怒りでどうにかなりそうだった。
「……デイジーがそんな目に合っていたなんて……私のせいです。私が彼女を突き放してしまったから……っ」
今更どうする事も出来ない悲惨な過去。だが私が犯した罪は、はっきりと彼女の中に爪痕を残していた。
フラネル子爵の存在に怯え、取り乱す憐れなデイジー。彼女が今もその深い傷を抱えているのは明白だった。
「……彼女があれだけ怯えて、取り乱していたのはそれが原因だったんですね。私は何と言うことを……」
「いや……確かに貴方との件も一因であるかもしれない……けれど、それだけではないんです」
「え――?」
「……本当に罪深いのはこの私なんだ……」
唐突に投げかけられた、弱々しく、しかし重苦しい懺悔の言葉。涙の滲む目は、縋るようにこちらを見つめていた。
「それはどういうことですか……?一体貴方は何者なんですか……?」
「……私が何者であるのか、彼女が何者であるのか……それを証明できるかどうかは……今はまだ……」
悲嘆にくれたような表情のフリークス氏は、目の前に立つ私の手を握った。そして力を込めて懇願する。
「もしその時が来たら……彼女が本当の姿に戻れたら……その時はどうか……デイジーを頼みます──」
そう言って握った手をまるで祈りを捧げるように額に近づける。その姿に、私は彼等の持つ重大な秘密の一端に触れたような気がした。




