39 小さな違和感が示すもの (レスター)
レスター視点です。
デイジーが再び眠りについたのを確認すると、私はそっと部屋から退出した。
彼女が倒れたと聞いたのは昨日の事だった。知らせを受けた私は、すぐに柊宮へと急ぎやって来た。けれど彼女はなかなか目覚めてはくれなかった。
医者は疲れが出ただけで、心配するほどではないと言っていたが、それでもデイジーが目覚めないのではと不安だった。
デイジーの部屋から出ると、すぐ目の前にフリークス氏がいた。いつも穏やかな笑みを湛えている彼も今は酷く憔悴している。
「……彼女はもう眠ってしまいましたよ。貴方が部屋に来ると思っていましたが……」
フリークス氏にもデイジーが目覚めたことは伝えてある。私は彼がすぐにでも部屋にやってくると思っていたが、その予想は外れていた。
「いや……私が側にいるとまた混乱させてしまうかもしれない……」
小さく呟いた言葉。まるで自分が側にいてはいけないというようなその言葉に、私は引っかかりを覚えた。
「何故……?貴方はデイジーの夫でしょう?側にいるべきではないのですか?」
自分でも苛立っているのがわかる。それは私が言うべき言葉ではないかもしれない。けれどデイジーの隣に立つことのできる立場の彼が、そんな風に言うのは許せないと思ってしまった。
彼も私の苛立ちを感じたのだろう。顔を上げると、少し驚いたようにこちらを見つめていた。
「君は…………いや、何でもない……ディーに……デイジーについていてくれて助かった。また後で彼女の顔を見に行くよ」
フリークス氏はそう言って小さく笑った。その切なげな表情に、不思議な感覚を覚える。
「それがいいですね。デイジーも寂しがっているようでしたし。私は少し仕事を片付けなければいけないので、これにて失礼させていただきます」
そう言って彼の下を立ち去ろうとした時、引き留めるように腕を掴まれた。
「待ってくれ!」
「っ──」
思わず身を固くして、振り返る。フリークス氏もわざとではなかったのだろう。すぐに手を放し、謝罪してくれた。
「あ……すまない。……その、できればまたデイジーに会ってやってくれないだろうか。仕事の合間だけでいい。何ならここに滞在してくれて構わない」
「それは……」
フリークス氏がどんな意図をもってそれを言っているのか測りかねた。デイジーの為と言っているが、彼女の夫として果たしてそれが正しいことなのかどうか──
「無理を言っているのはわかっている……だが、君にデイジーの側にいてほしいんだ。頼む」
真剣な眼差しに射抜かれる。彼が本心でそれを口にしているのがわかった。断る理由はない。私は頷きを返すと、離宮から出て行った。
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「酷い顔だ。目の下が真っ黒だぞ」
私の顔を見るなり放たれたリュクソン陛下の第一声が、それである。
一旦私は自分の屋敷へと戻り、準備を整えて王宮へとやって来た。今はリュクソン陛下の執務室にいる。
「承知の上です。お気遣いいただきありがとうございます」
私は資料を彼の手に渡しながら、謝辞を述べた。しかし陛下は片眉を上げると口もとに笑みを浮かべる。
「別に気遣ってない。揶揄っているんだ」
「……真面目な人間を揶揄わないでください、陛下」
「ははは。真面目すぎるからこそ、こうして揶揄うんだよ」
リュクソン陛下は一通り私を笑うと、資料をテーブルに置いた。そして私にもソファでくつろぐように促す。
「デイジーが倒れたそうだね。その様子だと既に離宮に会いに行ったようだが?」
「えぇ、疲れが出たのだろうということでした。フリークス氏も心配そうにしてましたが、先ほどデイジーも目覚めたので、もう大丈夫だろうと思います」
「そうか……ならいいが……」
陛下は眉間に皺を寄せながら、少し考えてこんでいるようだ。私はじっと彼の言葉を待った。
「……レスター。君はあの二人をどう思う?」
「どう……ですか?」
あの二人とは、デイジーとフリークス氏のことだろう。どう、と言われても何と答えていいか分からず返答に窮する。
「そうですね……仲のいい夫婦だと思います……」
「ふむ、君にこんなことを聞くのは少々残酷だったかな?しかし本当にそれだけかい?」
「……」
まるで試されるように掛けられる言葉。リュクソン陛下は私のデイジーへの想いを知っているのだろう。彼女を失ってから、私がしていたことを良く知っているのだから。簡単に想像がついたのかもしれない。
(それだけ……か。いいや、私が感じているのはそれだけじゃない)
始めは仲睦まじい夫婦として、二人の様子をうらやましいと思った。けれど彼等と過ごすにつれて、二人の関係にどこか違和感を感じ始めていた。
歳の離れた夫婦。
夫が妻を金で買い、妻は実家から縁を切られる形で祖国を離れた。
普通ならばうまくいくような夫婦ではない。けれど彼等はとても仲がいい。お互いを信頼しているのが良くわかる。なのに──
──君にデイジーの側にいてほしいんだ──
何故そんなことを言った?そこまで彼女を大事に想っているならば、どうして他の男に側にいてくれなどと言う?
(何かがおかしい……)
──……これ以上は今は言えません。でも全てが終わったら、きちんとお伝えするつもりです──
(秘密にしていることがあると言っていた。そしてそれをいずれ明かすとも──)
黙考していた私にしびれを切らしたのだろう。陛下が更に言葉をつけ足した。重要なカギとなる言葉を──
「彼等は自分たちについて何と言っていたかな?レスター」
「自分達について……?」
サビーナが離宮へやって来た時、フリークス氏を見て本当に彼が夫なのか聞いた時、彼は何と答えていた?デイジーはどんな表情をしていた?
──ご想像にお任せしますよ──
フリークス氏はそう冗談のように誤魔化していたのではないか?
デイジーは気まずそうに口を噤んでいたのではないか?
それらが導く答えは一つ。
「まさか……彼らは──」
──夫婦ではない──
考えてもみなかった事実。それが正しいとすると、あの二人の奇妙な言動にも納得がいく。
しかしあの時、フラネル子爵は確かにデイジーを嫁がせたと言っていた。
(……もしかして別の人物が彼女の夫だとか?)
新たな疑問が浮かび、浮上した気持ちは再び沈んでいく。事実をはっきりとさせるには、本人に聞くしかないだろう。だが彼女がそれに応えてくれるかは、正直わからなかった。
暫し黙考していると、煮え切らない私の背中を押すようにリュクソン陛下が声をかける。
「……君はもっと自分のわがままを通してもいいと思うんだがね。エルロンドもそれを望んでいるだろう」
「わがまま……ですか」
「あぁ、君が侯爵位を継ぐ以前の頃と同じようにね。今や君はエスクロス侯爵としての地位よりも、個人としての能力を皆に認められているのだから」
そう言って陛下は目を穏やかに細めた。彼の言わんとしていることに、胸が熱くなる。
爵位を継ぐために国へ戻って十年。ただひたすらに自分の中で持て余していたものを、仕事に対してぶつけていた。それはある意味諦めでもあった。
デイジーを失ってからの私は、自分が何者であるかを常に問うていた。
望むものを手に入れられぬ人生。それまでは与えられた世界だけで満足して生きてきた。それを自分で手に入れたものだと思い違いをしていた。
デイジーという大切な存在を失った時、私は自分の人生を嘆いた。だが彼女を一時でも手に入れることができたのは、ただの偶然に過ぎない。私が侯爵家の嫡男に生まれ、約束された将来を与えられていたからだ。
もし私が何も持たぬ男で、そのまま彼女への愛を囁いたとしたらどうだっただろう?優しい彼女はそれでも私を受け入れてくれたかもしれない。だが与えられたもの以外何も持たない私では、彼女を守ることは出来ないだろう。砂上の楼閣で、私はただ胡坐をかいていたに過ぎないのだから。
そんな私がしたことと言えば、与えられた家柄と血筋で彼女を傷つけただけだ。それはエスクロスという名がもたらしたのではなく、努力をしなかった自分が犯した罪だった。
地位も何も持たない自分だとしても、デイジーを守れる力と心の強さを、私は持たねばならなかったのだ。
「……だいぶ良い顔つきになってきたようだな。それでいい。──では仕事の話を始めようか」
リュクソン陛下は不敵に笑うと、手元の書類を広げた。
お読みいただきありがとうございました。
レスターの半生は後悔と苦悩に彩られたものでした。デイジーとの再会を経てそれを振り返り、現在の心情がここに現れています。
人は例え失ったものがあったとしても、そこから何かを得ることができるものです。全てに恵まれて思う通りの人生を歩む方が一見幸せに思えるかもしれませんが、本当の意味で手に入れるものは少ないのではないでしょうか。
失敗や苦難、喪失を乗り越える為に、そこに意味を見出そうとするのは、自分を守る為の心の働きですが、その時にこそ人はこれまでにないものを得る事ができるのだと思います。




