37 サビーナの想い (レスター)
レスター視点です。
王宮での会合を終えた私は、そのまま急いで柊宮へと向かった。デイジーやサビーナとの約束があるからだ。
フリークス氏は後から合流するとのことで、私は一人で向かった。
離宮へ到着すると、丁度昼食時だったようで、食堂へと案内される。食堂では既にデイジーとサビーナが席へ着いていた。
「やぁ、遅くなって申し訳ない」
「レスター、会合はうまくいったの?」
「あぁ、何とかね」
「会合?」
デイジーとの会話に、サビーナが不思議そうに首を傾ける。
「今仕事の関係で少し関わりがあってね。いずれ詳細については公表されるはずだ」
「まぁ、そうなんですね」
席に着くとすぐに食事が運ばれてくる。私がいない間にデイジーとサビーナが会うのに不安を感じていたが、二人の話す様子を見ればそれは杞憂だとわかった。
デイジーの方から二人きりで会いたいとも言っていたし、既に和解できたのだろう。かつてのデイジーとサビーナはどこか緊張感があったが、今はとても仲のいい姉妹に見えた。
「そう言えば今日は息子さんは?」
「今日は主人が休みを頂いているので、二人で街に遊びに行ってますよ。私は息抜きをさせてもらうと言って、友人宅にお邪魔させていただいている形です」
サビーナは悪戯が成功した子供のように笑った。私は彼女のそんな様子に少し驚きながらも、彼女の事情についてもっと突っ込んで聞くことにした。
「そう言えば君のご主人は、確か以前行政官を務めていたと聞いたんだが……」
「えぇ、そうです。一時はルクソル領での行政官を務めておりました。まだ結婚する前のことですけれど」
サビーナの夫、アングラ・フラネルというが、彼は元々下位貴族の三男坊で、フラネル家に婿養子として入った。アングラが行政官として領地にいた頃は、私はまだ国外にいたからその人となりについて詳しくは知らない。
「領地での実績を買われて、今は中央での政務に関わってます。行政官庁ではなく商業庁の方ですね」
アングラは余程仕事のできる人物なのだろう。商業庁で働いているから私とはこれまで関わりがなかったが、今回の件でもしかしたら協力してもらえるかもしれない。
「ルクソル領で働いていた経験があるということは、紡績や織物についての知見もあるのだろうか?」
「えぇ、そう伺っております。おかげで民間の商業組合や職人組合との繋がりもあるくらいで」
「……そうか。そんな優れた人物が次代の子爵とあれば、フラネル家も安泰だな」
ますますアングラという人物は、今回の件に関して渡りに船のように思えた。後は実際に会ってみてどうするかだが──
「今度は旦那様も一緒にどうかしら?私もお会いしてみたいわ。勿論あなたの息子のルイ君にも」
それまで耳を傾けていたデイジーが、そんなことを言い出した。願ってもない提案だが、フラネル家と関わることでデイジーの心の傷に触れやしないか些か心配になる。けれどそれすらもどうやら杞憂だったようで、その後は姉妹で予定をどうするか楽し気に話していた。
私は彼女達の様子に安堵して、用意された食事を楽しむことにした。
暫くしてフリークス氏が王宮から戻ってきた。そしてデイジーの妹であるサビーナとの対面を果たしたのだが──
「……え?本当に貴方がお姉様の夫なの?」
フリークス氏へのサビーナの第一声がそれだった。
眉間に皺を寄せながら思わず言ってしまったというサビーナのセリフに、私はつい吹き出しそうになる。サビーナの中でも、フリークス氏の印象はもっと別のものだったのだろう。
──妻を金で買う非道の商人──
しかしフリークス氏は、その辺の貴族に負けないくらいの優れた容姿と、高潔な雰囲気を併せ持っている。デイジーの不幸な結婚を嘆いていたサビーナは、ものすごく意外という気持ちを隠しはしなかった。
対するフリークス氏は、ニコニコとサビーナに応対して、一見とても感じが良かった。しかしどこまでが本心なのか、さっぱりわからない。
「ご想像にお任せしますよ。どうも私は商人らしくないと言われますのでね。もしかしたら他の方には別人に見えているのかも」
「まぁ、それはとても面白いですね。お姉様が貴方を慕う気持ち、何となくわかりますわ」
フリークス氏の言葉に、サビーナは可笑しそうに笑った。しかし私は彼の言葉に引っかかりを覚えた。
──別人に見えているのかも──
その言葉の奥にどんな真意があるのか。頭にこびりついて離れなかった──
柊宮でのひと時を穏やかに過ごした私は、デイジー達に別れの挨拶をすると、サビーナを伴い馬車に乗り込んだ。一旦彼女を乗せて街中へと移動し、そこで待っている子爵家の馬車に乗り換える為だ。
「サビーナ、少し聞きたいことがあるんだが──」
馬車が走り出してすぐに、私は彼女に声を掛けた。
「はい、何でしょうか?」
「その……君の父親の、フラネル子爵のことなんだが……デイジーについて、彼は何か言っているのか?」
私の言葉に、サビーナは俯き暫し黙考した。そしてやおら口を開く。
「……父の中では、姉はいない者になっています。多分それは今も──」
「そうか……。だが今度、アングラ殿とルカ君と共に柊宮に来るだろう?いずれ子爵の耳にも入るのでは……」
隠していてもいずれはわかってしまうだろうことは目に見えていた。私の懸念が伝わったのだろう。サビーナは首を横に振った。
「父はあまり私達に関心がないので……それにアングラも事情を話せばわかってくれます」
「そうなんだね。正直君があそこまでデイジーを慕っているとは思わなかったから……」
私はサビーナについて感じていた本音を正直に伝えた。サビーナは薄く笑うと、とつとつと語り始めた。
「……姉がいなくなって、子爵家は私が婿養子を取って継ぐことになりました。母もそれを喜んでいたけれど、正直こんなに大変だとは想像もしてなくて……父は厳しくて、もう逃げ出してしまいたいと毎日思っていたんです」
サビーナは顔を上げると、窓の外に視線をやった。その瞳はこれまでの苦労を思い出しているのか、憂いを帯びていた。
「侯爵がうまく説明してくれたおかげで、あの大きな過ちについては父から叱責されることはありませんでした。けれど、姉をああいう形で失ったので、フラネル家は社交界から爪はじきにあって──」
時の宰相であるエスクロス侯爵の一人息子との縁談が破棄になり、すぐに商人の妻となったデイジー。その事実がもたらす影響は計り知れない。ましてや世間体を重んじる貴族社会だ。フラネル家との関わりを避ける家も多かっただろう。
「それでも父はどうにかなると思っていたんでしょうね。私を色んな夜会に連れ出しては、子爵家を継ぐのに相応しい相手を探していました」
でもそれもうまくいかなかったのだと、サビーナは眉を下げて小さく笑った。まだ15、6の少女に向けられたのは、蔑みと嘲笑。それにたった一人で立ち向かわなければならなかった。
「一人で社交界に立って、初めて姉にどれだけ守られていたのか知ったんです。いつも私に付いてくれて、私が間違ったことをすればそれを諫めて。逆に他の方から何か言われた時は庇ってくれていました。私はそれに甘えていたんです……」
あの婚約式の日のことを思い出す。サビーナに悪気はなかったのだと、そう訴えていたデイジー。嘘を吐くことはしなかったが、彼女は姉として妹を庇おうとしていた。
「父の怒りは今度は私に向けられました。どうしてうまくやらないのかと……」
サビーナは身を竦めながら、腕で自分の体を抱きしめた。まるで自分を守るように。
「姉は父の期待を一身に背負う代わりに、とてつもない苦労をその身に背負っていたんだと知りました」
サビーナの様子に、彼女達姉妹が父親からどんな扱いを受けていたのか、垣間見たような気がした。
「そんな時、アングラと出会ったんです。彼は父の気に入るような高位貴族ではなかったけれど、将来を嘱望されていたし、彼自身も父に気に入られるように振舞うのが得意でした」
サビーナの話によれば、アングラと言う人物は、フラネル子爵とは真逆の人物のように思えた。愛情深く、相手を敬い、自分を犠牲にすることのできる人物。
「彼のおかげで私は変わることができたんです。勿論姉のおかげでもありますが……」
サビーナは俯けていた顔を上げると、真っ直ぐにこちらを見た。
「エスクロス侯爵──貴方様にこんなことをお願いできる立場ではありませんが……もし父が姉に何かしようとしたら……その時はどうか姉を……デイジーを守ってください。お願いします」
「……あぁ、必ずデイジーを守ると誓う」
サビーナは私の言葉を聞くと、ありがとうと小さく呟きながら目を伏せた。
それぞれの想いを胸に抱いた私たちを乗せ、馬車は帰路を進んでいく。新たに見出された私たちの運命は、今また複雑にその未来を紡ごうとしていた──
お読みいただきありがとうございました。
サビーナというキャラは、作者的には結構好きなキャラでして、彼女が過去を後悔して成長した姿というのを書きたくて書きました。若くして己の過ちに気が付き成長できるのは、本人次第です。完璧な人間などいないもの。そういう弱さも描けていければいいと思います。




