35 再会の姉妹たち
視察先から柊宮に戻って来た時には、既に陽がかなり落ちていた。
思いもよらず遅くなり、申し訳ないと思いつつ宮の扉をくぐる。するとエルもちょうど帰った所のようで、外着のまま私を出迎えてくれた。
「ディー、おかえり」
「エル……ただいま」
「彼とのお出かけはどうだった?」
エルはニコニコと笑顔を向けながら聞いてくる。そこに彼の思惑が透けて見え、私はため息を一つ飲み込んだ。
「……別に、普通だったわ」
「そう?もっとゆっくりしていっても良かったのに」
「エル──いくら何でも相手は侯爵よ?無茶を言わないで。それに私たちはもう過去の関係なのだし……」
「おや、そんなことを気にしているのかい?僕は君たちがもう一度そうなってくれれば嬉しいと思っているよ」
「エル!!」
私の抗議に、エルは声を上げて笑いながら自室へと入っていった。
(一体どうしたのかしら……?彼は今まで、こんな風にレスターの話をしなかったのに……)
エルのしようとしていることに、正直戸惑った。エルは勿論、過去の出来事を全て知っている。私がレスターへ向ける感情が何であるかも。私がずっと彼を忘れられないでいたことも。
でもこのフィネスト王国に戻るまで、エルはあえてそれらを口にはしなかったのだ。叶うはずもない想いに、私が酷く落ち込むことを知っているから。
けれどこの国に戻って、レスターと再会して──そこから何かが変わってきている。
エルは何でも私に話してくれていたのに、ここでのやり取りは私の知らないことがたくさんあった。あの土地を取り戻すにしても、レスターがそれに関わるとは聞いてなかったし、ましてや私を代理として彼に同行させることも……。
(エルは何を企んでいるのかしら──)
エルの笑顔の下に、どんな思惑があるのか分からない。エルが望んだのは、レスターとは関係のないことのはずだった。
「でもきっと……聞いても教えてはくれないわね」
エルが、ああした笑顔を振舞う時は、心に何か思惑があるのを見せない為だ。けれどレスターについて、ちょくちょく私に聞いてくるということは、彼もうまくいくのか確信がないのだろう。
(……でもレスターとはあり得ない……だって彼は侯爵で、結婚しているのだから──)
私はエルの前では零せないため息を一つ吐いて、自室へと戻った。
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それから数日が経って、約束していた通りサビーナが柊宮を訪れた。サビーナとの連絡手段についてはレスターが仲介役を買って出てくれたので、フラネル子爵はこの来訪を知らないはずだ。
レスターも土地のことについて話があるというので、サビーナと共に離宮へ来訪している。
「お姉様!」
「サビーナ、いらっしゃい。レスターもありがとう、色々と──」
「あぁ」
離宮は、リュクソン陛下から好きに使っていいと言われていたこともあり、こうして客人を招いて歓待することもできた。離宮の使用人たちが、色々と準備をしてくれている。
「私は先にフリークス氏と仕事の話があるから──また後で」
「えぇ、レスター本当にありがとう」
レスターはサビーナを柊宮へ送り届けると、また馬車に乗り込み王宮へと向かった。
既にエルも朝の早いうちから王宮へ行っている。仕事を片付けたら、後で離宮に戻ってくることになっていた。
私はサビーナに向き直ると、彼女を中へ案内した。
「わぁ……すごいのねぇ、王様の持っていらっしゃる離宮って……」
サビーナが、離宮の内装を見ながら感嘆の声を漏らす。今更ながらに、自分が凄い所に滞在させてもらっていることを思い出した。
「そうね、リュクソン陛下のご厚意で、恐れ多くもこちらに滞在させていただいているわ」
「凄いわ、お姉様」
こんな風に姉妹で会話できることに、驚きと嬉しさのないまぜになった気分になる。
以前だったらサビーナをこういう場所に連れてくるのは、とても気を使っていたな──などと、そんなほろ苦い思い出が胸中に蘇った。でもそれさえも今は懐かしくて、小さく笑みが零れる。
「私は何も凄くないの。エルが陛下と昔馴染みなのよ」
「エル?」
「……一緒にこの離宮に滞在している人よ。後で王宮から戻ってくるわ」
「……それって──」
「さ、客間はこっち。久しぶりにお茶をしましょ?」
私はそれ以上サビーナに答えるつもりがなかったので、そこで会話を切った。
客間に入り、華やかな刺繍のソファに腰掛ける。すぐに侍女がお茶の用意をしてくれて、ようやく落ち着くことができた。
「サビーナ、こないだも会ったけど本当に久しぶりね。……何だか不思議な感じがするわ」
「お姉様……」
サビーナは身を前に乗り出すと、テーブルの上にあった私の手を取った。
「……今更かもしれないけれど……あの頃の事、本当にごめんなさい」
「サビーナ……」
「私……あの頃、お姉様が羨ましくって、いつも困らせようとしていたわ……本当に愚かだった」
「……」
サビーナとの思い出は、私たちが十代の頃で途絶えている。あれから二十数年。私もサビーナも歳を取り、思慮深さを得て己の愚かさを知った。
今のサビーナに、あの頃のような意地の悪さや嘲りといったものは見えない。そこに過ぎ去った年月を感じ、ほんの少しだけ侘しさを覚える。
「お姉様は美人で、お父様からの期待も大きかったわ……私は期待されてなかったから……」
「そんなこと──」
「そうだったのよ。お姉様も本当は気が付いていたんじゃない?だって、お姉様……私がお姉様の物を欲しがるから、いつからか私が好きそうな物をあえて選んで買ってもらっていたでしょう?」
「──!」
「……お姉様がいなくなって、その持ち物は私が受け継いだのよ。それで気が付いたの。お姉様の本当の好みと、お姉様がお父様から買ってもらった物の好みが違うってこと」
「……」
「子爵家の令嬢として家を継ぐのはお姉様だった──だからお父様はお姉様にはお金を使っていたわ。私がどんなにわがままを言っても、お姉様と同じにはしてもらえなかった……だからお姉様の物を欲しがったの」
サビーナは泣きそうな表情をしながら私を見つめた。
「……でもお姉様は、最初から私にくれるつもりでアクセサリーとかドレスとか、私の好みに合わせて買ってもらってた。それなのに私は……」
「サビーナ……もういいのよ」
「いいえ……!だって私のせいでお姉様はっ──」
「もう過ぎたことよ。それに私もあんな風にするべきじゃなかったと後悔したわ。乞われるがままに与えるのではなくて、貴女にダメなことはちゃんとダメと、厳しく接するべきだったと」
サビーナを甘やかして、人の物に手を付けるまでにさせてしまったのは私の責任だ。
サビーナが私を羨むのは、確かに長女と次女としての格差にも一因があったのだと思う。
最初は何でもかんでもサビーナの言うままに、義母に私物を取られるのは辛いと思った。けれど長子である私と違って、いつもサビーナは私のお下がりばかりで、自分の欲しい物を買ってもらえていないことにある時気が付いたのだ。
それを面と向かって言うのは、義母やサビーナのプライドが許さなかっただろう。それでどうせならと、最初からサビーナの好きそうな物を選んだのだ。
サビーナがそれを欲しがろうと欲しがるまいと、いずれは彼女の手元に行くことになる。そうすれば彼女の不満も少しは解消するだろうと。それが妹への愛情だと思っていたから──
「あんなにお姉様に注意してもらっていたのに、私は──……ごめんなさいお姉様……」
涙を流し、手を握るサビーナ。私は彼女の手を包み込み、優しく撫でた。
「……サビーナ、ありがとう。貴女が今そう言ってくれるだけで、私は満たされていくわ」
「お姉様……」
私たちは抱き合った。この時初めて、姉妹として本当に心が通ったような気がした。
その後、私たちは色んな話をした。
サビーナは私がいなくなってからのことをあれこれ教えてくれた。子爵家がその後どうなったのか。今の旦那様との出会いや結婚生活、そして子供について。
淑女として立派に成長したサビーナに、私は感慨深い想いで彼女の話を聞いていた。子爵家は以前ほどの隆盛はないものの、サビーナは幸せに過ごしているようだった。
サビーナは私の方の話も聞きたがったけれど、私はうまく誤魔化して異国での生活について話した。この国にない食べ物や変わった風習、苦労したことや楽しかったことなどについて。なるべく面白可笑しい話になるように。
エルとの関係について話題に上りそうになった時は、はぐらかして答えないようにしていた。
彼との関係を聞かれた時は、いつも相手の想像に任せるままにしている。そしてそれを私は否定も肯定もしないのだ。もし詳しく説明しようとすれば、必ずそこには嘘や偽りが含まれることになるから。
(サビーナはいずれ全てを知ることになるかもしれない……けれど今こんなに幸せそうにしている彼女に、あのことを言うのは辛い……)
こんな風に笑い合って過ごすことのできなかった子供時代。辛い経験と長い時を経て、初めて姉妹としての喜びを分かち合うことができた。
けれど彼女が真実を知った時、それは脆くも崩れ去るかもしれない。
その時が来るのが怖い。
いつまでもこの優しい時が続けばいいのにと、私は願わずにはいられなかった──
お読みいただきありがとうございました。
デイジーの過去の行いには賛否両論あるかと思います。まぁ姉妹格差、兄弟格差は往々にしてあることで。上には上の想い、下には下の想いがあって、子供の頃は互いの気持ちに気づくのは難しいかなと思います。兄弟姉妹は互いにとても近い存在で、親の愛を奪いあうライバルであり、家庭という狭い環境の中の運命共同体でもあって。単純に一つの感情だけでは説明できない関係かなと思います。




