32 過去と向き合うということ
「料理が口に合わないかい?」
「え?」
「何だか食が進んでいないようだから……」
食堂にやってきて、目の前に並べられた料理を食べていると、レスターがそんなことを言ってきた。確かにあまり食欲は無い。けれどそれは彼が言うような理由ではなく、私が酷く落ち込んでいるせいだ。
私は誤魔化すように彼に微笑むと、料理についての感想を述べた。
「とても美味しいわ。でもあまりに豪華だから、ちょっと気おくれしてしまって……」
真実を少しだけ含ませた嘘。今の状況に気おくれしているのは事実だ。だけど本当の理由は彼には明かせない。
「……そうか。それなら良いんだが……今日は料理長がだいぶ張り切ってくれたみたいで。いつもはもっと簡素なんだが……」
「まぁ、そうなんですか?エスクロス家で出されるお食事だから、これくらい普通なのかと」
「まさか。いつもは私とジェームズだけだから、そこまで豪勢じゃないよ。どちらもあまり食には気を使わない方だし」
「え……?でも、あの……ジェームズのお母様は……?」
息子さんと二人きりという言葉に、僅かな期待を抱いてしまう。往生際が悪いと、自分でもわかっていた。
そんな私の浅ましい思いをよそに、レスターは何でもないように答える。
「え?あぁ、彼女は今は領地に引きこもって母の世話をしているよ。父が亡くなる少し前からあちらで暮らしていてね」
「あ……」
淡々と事実を告げるレスターに対して、私は顏を青ざめさせた。なんて無神経だったのだろうと。
私は彼が侯爵の地位を継いだことを聞いていたのに、彼の父親が亡くなったことに対してお悔やみの言葉すら言っていなかったのだから。
「ごめんなさい……貴方はお父様を亡くされたのですよね……遅くなってしまったけれど、お悔やみ申し上げます」
頭を下げながら、情けなくて涙が滲む。短い間だったけれど、レスターの婚約者として、彼の父親には世話になったのだ。もっと早くにお悔やみを言わなければいけなかったのに──
「……お悔やみをありがとう。父も草葉の陰で喜んでいると思うよ。君がこの国に戻ってきてくれて──」
「……そうでしょうか」
「あぁ……」
彼の言葉に、温かい気持ちと共に涙がじわりと溢れてくる。例えそれが真実ではなかったとしても、その優しい言葉は、過去に傷つく私の心を慰めてくれた。
エスクロス家の人々との別れは、とてもじゃないけれどいい別れ方ではなかった。恩を仇で返すような酷い迷惑を掛け、それを謝ることも出来ぬままに国を去ってしまった。
そしてこの国に戻った今も、彼等には何も返せてはいない。レスターの父親は既に亡くなり、その跡を継いだ彼に厄介な仕事を押し付けているのだから。
「あの……ご迷惑でなければ、いつかお父様のお墓参りをさせてもらえますか?……あの時のことを、ちゃんと謝りたいの……」
「デイジー……そんな気にしなくてもいいのに……でもありがとう」
柔らかく微笑むレスター。その表情に、彼の父親の面影を感じる。まるで前侯爵本人にそう言われているような心地がした。
不思議とそれまで抱えていた卑屈な想いが、ほろほろと雪が解けるように消えていく。
結局レスターの父親とは家族になることができなかった。けれど長い時を経た今、レスターの父親のことを、まるで本当の家族であったっかのように思い出せている自分に驚く。
(不思議な感覚。死者の存在に心慰められるなんて……)
後ろ向きになりそうな気持ちに、前を向けと言われているような気がした。
レスターの父親はとても厳しい人だった。けれどそこにはちゃんと愛があるのを、私は知っていた。ほんの僅かな間とは言え、この私を家族として受け入れてくれていたのだから……。
(この国にも、私のことを受け入れてくれた人が、ちゃんといたんだ──)
過去の自分を否定するばかりで、大事なことを忘れていた。過去に向き合うという本当の意味をわかったような気がする。
例え今の私の姿が、過去に望んだものでなかったとしても、自分を認めてくれる人がいたという事実は決して無くならない。理想の未来を失ってしまっても、それは私自身を否定するものじゃないんだ。
「ありがとう、レスター」
「え?なんだい急に?」
「私、貴方と、貴方のお父様のお話ができてよかったわ」
「……あぁ。私も何だか嬉しいよ」
私たちは何故だか可笑しくなって、二人して声を上げて笑った。久しぶりにレスターとこんな風に笑い合えた気がする。
(そうね……大丈夫だわ、きっと……彼とこれからもこうして笑い合えるわ、私……)
その後の昼食は、レスターと彼の父親との思い出話に花が咲き、穏やかな時間を過ごせたのだった。




