30 レスターの息子
「父さん?」
驚きに顔を向ければ、レスターと同じ黒髪の青年が、不思議そうにこちらを見つめていた。
「っ──」
私は彼が何者であるのかすぐに気がつき、慌ててレスターの胸から飛びのいた。
「デイジーっ」
レスターが顔を僅かに顰めて私の名を呼ぶ。思わず彼を突き飛ばすような形になってしまい、すぐに謝罪した。
「ご、ごめんなさい」
「……いや、いいんだ」
胸の奥で疼いていた熱はとうに冷め、今置かれている状況に青ざめる。
(私は何てことをっ──彼の息子さんの前で……!)
いくら助けてもらったとはいえ、レスターに対して不道徳な感情を抱いたしまったことは否定できない。そしてまさにその場面を見咎められてしまったのだ。私は頭から冷水を浴びせられたように身震いした。
「……その人は?」
青年が訝し気に私のことをレスターに訊ねる。
「あぁ、彼女はデイジー……その、仕事の関係で一緒に来てもらったんだ」
レスターは少し気まずそうに私を紹介した。あんな場面を見られたのだから仕方ないのかもしれない。けれど──
(……仕事の関係……)
彼の言葉に胸の奥がズキンと痛む。それは二人の関係を正しく表していた。しかし愚かにも私は彼の言葉に何かを期待していたのだ。
私はそんな自分の浅ましい感情を隠すように、努めて笑顔を見せた。
「デイジー・フリークスです。よろしくお願いいたします」
青年に対して丁寧にカーテシーをすると、目の前からはっとしたような空気を感じる。
「……ご丁寧にありがとうございます。私はジェームズ・エスクロスと申します」
若い頃のレスターによく似た声で、ジェームスの言葉が頭に響く。
(……エスクロスってことはやはり……)
顔を上げた私に、その青年はにこやかに微笑んだ。
「既にお聞き及びかもしれませんが、そこにいるレスターの息子です」
青年のその言葉に、私は自分の感情とは裏腹に笑顔を崩さないよう必死に努めた。
********
馬車が到着した先は、エスクロス侯爵家の屋敷だった。柊宮での会合が午前中で終わったので、土地を見て回る前に昼食を共にしようとレスターがここへ連れてきたのだ。
私は彼がそんなつもりでいることを知らなかったので、突然訪れたこの状況に戸惑ってしまった。
「貴女のことは父から聞いてますよ。デイジーさん」
「え?」
「ジェームズ!」
「話に聞いていた通りの美人だ。父さんは仕事だって言うけれど、それは本当のことなのかな?」
少し揶揄うような言い方。レスターよりも濃い灰色の瞳が、意味深に細められる。それはジェームズが、私とレスターの不道徳な関係を疑っているのに他ならなかった。
「いいえ、侯爵とは仕事の上でお付き合いをさせていただいております。……私についてどうお聞きになっているか分かりかねますが、それ以上の関係はございませんわ」
「……」
「……そうですか」
(そう……それ以上の関係にはなれない……決して望んではいけないんだわ)
自分で言った言葉に自分で傷つきながら、必死に笑顔の仮面を被り続ける。そのおかげもあってか、レスターは私の言葉に沈黙を返し、ジェームズもそれ以上は追及しなかった。
それでも気まずい空気になってしまったことに内心焦っていると、見かねた侯爵家の侍従が声を掛けてきた。彼は馬車が到着してすぐに、主人を迎える為に屋敷の入り口で待機していたのだ。
「旦那様──お客様をご案内しても?」
「あ、あぁ……そうだな。こんな所で話し込んですまない。デイジー、行こう」
レスターがようやく気が付いたというように、私を屋敷へと促す。ふとジェームズへ視線を向けると、複雑そうな表情で彼はこちらを見ていた。
「あの……息子さんは?」
私はジェームズのことが気になって、レスターへ訊ねた。いくら何でも子供の前で、家族でもない女が父親と二人きりになるなど、許されないだろうと。しかしそれに対する答えは、意外にもジェームズの方から返ってきた。
「あぁ、私は今から出かける所なので、どうぞお気になさらず。是非ゆっくりしていってください。それでは──」
さも何でもないことのように言うと、ジェームズはさっさと行ってしまった。
私は呆気に取られて暫くその背中を見つめていたが、レスターに呼ばれて侯爵家へと入ったのだった。




