29 懐かしい熱
柊宮での会合が終わり、レスターは席を立った。
「資料は持ち帰らせていただきますね。また詳細が決まりましたら、ご連絡差し上げます」
「えぇ、よろしくお願いします」
エルとレスターが握手を交わす。仕事上で彼等二人が手を取り合うことになるのは、なんだか不思議な気分だ。
(……こうしてレスターとも、普通に顔を合わせていくようになるのね……)
以前のような親しい間柄ではなく、これからは互いに顔見知りの他人として過ごしていくのだ。そのことにどことなく侘しさを覚えて、そっと視線を逸らした時──
「侯爵、一つお願いがあるのですが……」
エルが、帰ろうとしたレスターに声を掛けた。
「何でしょう?」
「デイジーにとって、この国は生まれ育った土地です。しかし長年離れていたので、街も随分変わっているでしょう。それでご迷惑でなければ、彼女に街を案内していただきたいのですが──」
「エルっ──」
思いもよらないエルの言葉に驚く。いくら何でも侯爵に対して不躾なお願いだ。ましてやレスターとの間には、過去の複雑な事情があるのだから……。
しかしそのお願いに対するレスターの答えは意外なものだった。
「勿論、喜んでさせていただきますよ。いつでもおっしゃっていただければ、時間をとりますので」
「でも……」
突然の展開に戸惑いを隠せない。けれどエルは強引にこの話を進めた。
「先ほどの資料の土地の下見もあるでしょうから、それも合わせて連れて行ってもらえればと」
エルはニコリとこちらへ笑顔を向けた。始めからそのつもりだったのだろう。ため息を吐きたくなるのを堪えていると、レスターが口を開く。
「でしたら話は早い。実は今からでも行ってみようと思っているのですが、一緒にどうですか?」
「え?今からですか?」
「はい、まだ昼前ですし、あれこれと方策を練る前に、一通り現地を見ておきたいので……」
「いいんじゃないかな?私はこれから技術者との打ち合わせがあるから、土地に関しては彼女を通して連絡をしてもらえると助かります」
そう言ってエルは迷っている私の背中を押した。ここまで言われてしまえば、断ることもできない。
「……わかりました。すぐに準備いたします」
こうして私とレスター、二人きりの外出が思いもよらず決まってしまった。
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簡単に着替えを済ませた私は、侯爵家の家紋の付いた馬車に乗り込んだ。レスターのはす向かいに座ると、静かに馬車は走り始めた。
柊宮から王都の中心を抜けて馬車は進んでいく。暫くは街中の喧噪が聞こえてきたが、今はそれも無くなり、車内は沈黙が支配していた。
「…………大丈夫?」
「え?」
突然レスターから声を掛けられて、驚きに顔を上げる。
「……いや、あまり元気がないから」
「そんなことは……色々ありすぎて、ちょっとびっくりしているだけです」
「そうか……」
レスターの気遣いに、少しだけ心の奥がくすぐったくなる。かつてのような関係ではないけれど、彼の側にいられることに喜びを感じずにはいられない。けれどそれ以上なんと言葉を続けていいか分からず、私は口を噤んだ。
再び二人の間には沈黙が横たわり、レスターは窓の外に視線を向けていた。彼の冬空色の瞳は、侯爵としての威厳と思慮深さを漂わせている。それは今の私にはとても遠い存在のように感じた。
(彼はエルの依頼をどう思ったのかしら──)
私は窓の外を眺めているレスターを見つめた。
仕事とはいえ、かつての婚約者とその実家とを相手にしなければいけないのだ。彼にとってはあまり気持ちのいいことではないだろう。
かつてこの国から逃げるように去って、そこで私のデイジー・フラネルとしての人生は終わった。私はフラネルという名前と共に、生まれ育った場所を失ったのだ。そこに後悔という感情は一つもない。
けれど再びこの国に戻ってフラネル家と関われば、その大きな禍根はいずれレスターの耳に入ることになる。その時、彼がどう思うのか──
(……今はまだ全てを言えないわ。どう転ぶかわからないもの──)
僅かな間でもレスターと共にいられる喜びと、再び彼に突き放されるかもしれないという恐怖が私を悩ませる。まさかこんな近くでレスターとの関係を再び築くことになるとは、誰が予想できただろうか。
「デイジー」
あれこれ考えを巡らせていたら、レスターが声を掛けてきた。
「……その……何か悩みがあるなら相談してほしい」
「……え?」
「私では頼りにならないかもしれないが……君の力になりたい」
レスターの真剣な眼差しが私を射抜く。気が付けば彼の大きな手が私のそれに重ねられていた。驚いて手を引っ込めようとすると、包み込むように握られた。
「……レスター」
その名を呼べば彼の眼差しの奥に、かつてのような熱を感じる。思い違いかもしれない。けれど一たびそれを見つめてしまえば、もう彼から目を逸らすことができなかった。
「デイジー……私は──」
「旦那様──着きました」
レスターが何か言おうとした時、馬車の外から御者が目的地への到着を知らせてきた。
「あ、あぁ……デイジー、行こうか」
「……えぇ」
(彼は何を言おうとしたんだろう──)
名残惜しそうに手を繋いだまま、彼は立ち上がる。言葉は途切れてしまったけれど、手から彼の想いが伝わってくるような気がした。
そのままレスターに促され馬車から降りる。けれど私はバランスを崩し、足を踏み外してしまった。
「あっ……!」
次の瞬間、私の体はレスターの力強い腕に包み込まれていた。彼が抱きとめてくれたのだ。
「大丈夫かい?」
「えぇ……ありがとう」
レスターは私の無事を確かめると、柔らかく微笑んだ。広い胸に抱かれ、間近に彼の熱を感じる。懐かしいその温もりに、鼓動がどんどん加速していく。頬が熱い。恥ずかしさに耐え切れなくなって身を捩るけれど、レスターは私を解放してはくれなかった。
「デイジー……」
熱を帯びた彼の声が私の名を呼んだ時──
「父さん?」
抱き合う私たちに向けて、若い青年の声が掛けられた──
お読みいただきありがとうございました。
>「旦那様ーー着きました」
>「父さん?」
毎回良いところで邪魔をされるレスター。そういう仕様です(笑)
最後の台詞なんか特に、
ドッキーーン!( ̄□ ̄;)!!
ですね。




