25 過去への懺悔 (レスター)
レスター視点です。
多くの人が行きかう昼下がりの街中。たまたま通りかかった場所で、ある一人の麗しい貴婦人を見かけた。
「……あれは……デイジー……?」
遠目で見ても、すぐにそれがデイジーだとわかる。買い物でもしていたのだろう。侍女らしき女性を連れたデイジーは、雑貨店から出てくるところだった。
(君は相変わらず美しいな──)
外出用のドレスに身を包んだデイジーは、その溢れんばかりの美しさを隠しきれていはいなかった。きゅっとしまった細い腰は、胸元のすぐ下まで紐で編み上げられ、その華奢な肢体を強調している。深い緑色の生地を臙脂と金の刺繍が豪華に彩り、落ち着いた色合いながらも、とても上品に見える。首元まで隠れるデザインは貞淑さを思わせ、逆に背徳的な色香を漂わせていた。
美しい彼女に目が釘付けとなり、鼓動が高まるのを感じる。思わず立ち尽くしてしまい、ぼおっと見惚れていた。しかし暫くしてはたと気が付く。
(……フリークス氏は一緒じゃないのか?)
周囲を見渡しても、彼女の夫らしき人物は見当たらない。侍女の他には護衛の騎士が数人側についているだけに見えた。私はすぐに自分がすべきことを行動に移した。
「デイジー!」
「え……レスター?」
彼女の名を呼びながら駆け寄ると、すぐに驚いた翠玉の瞳がこちらを向く。あまりの唐突さに、デイジーはかつてのように私の名を呼んだ。
「買い物かい?」
「……えぇ、そうです……」
私に声を掛けられて、デイジーは気まずそうだ。
(……君にそんな顔をされると、胸が痛い……)
私はデイジーの様子に気が付かないふりをしながら、にこりと微笑む。一方、彼女の周囲の侍女や護衛たちは、突然の闖入者に困惑の表情を見せた。
「あぁ、そんなに警戒しないでくれたまえ。私はエスクロス侯爵。彼女の古い友人でね。少し話がしたいんだが、いいかな?」
「レスター!」
「いいじゃないか。こないだはゆっくり話も出来なかったし、お茶でもと思って」
私は必死に抗議するデイジーの腕を取ると、颯爽と歩きだした。
**********
「ここは王都で今一番人気の高いカフェなんだ。中でもスイーツが有名だよ」
「……綺麗なお店」
デイジーを連れて入ったのは、ここ最近できたという喫茶店。平民でも飲食ができるほどの価格設定だが、その真新しさと内装の高級感もあって、貴族の間でも有名だ。
店員に案内され二人で席に着く。侍女と護衛たちは、私たちから少し離れた席へと座った。
「何を頼もうか。おすすめが色々あるんだが……」
「……よくわからないから、お任せしていいかしら?」
「あぁ、勿論」
デイジーは少しだけその美しい眉をよせると、そう言った。
(こうして私に頼ってくれるところは、前と変わらないな……)
私はかつて婚約者だった頃のデイジーを思い出しながら、メニューを開く。少し優柔不断な所があるデイジーに、何かを決める際の提案をするのはいつもの事だった。
「この季節のフルーツタルトはどうかな?今だと君の好きな桃のやつみたいだよ」
「まぁ、桃のタルト?素敵」
それまでは不機嫌だったのに、大好きな桃のスイーツだと知ると、まるで花が咲くような笑顔を見せてくれた。それがなんだか可笑しくて、嬉しくて、自身の口元が緩むのを感じる。
「じゃあそれにしよう」
私はかつてと変わらない彼女の笑みに、甘く心を疼かせながら、注文の為に店員を呼んだ。
********
「ん……美味しい……!」
桃のタルトを食べて、デイジーが感嘆の声を上げる。嬉しそうに食べるその姿は、どんなケーキよりも甘い。
「こちらのショコラフロマージュも美味しいよ。食べてみるかい?」
「え?!……それは……」
私は一さじ自分のケーキを掬って彼女の目の前へ差し出した。しかし彼女は頬を赤く染めて俯くばかりだ。
「前もこうして分け合った事があったね。あれもお忍びで街へ出た時だったかな……」
デイジーとの数少ない思い出。まだ婚約すらしていない貴族の子息と令嬢であった私たちは、お忍びで出かけては、普通の恋人のような時を過ごしたのだ。
彼女もその時の事を思い出しているのだろう。俯いた瞳に淡い熱の灯が揺らめいている。けれどそれは一瞬の事だった。
「…………それでお話というのは?」
急に彼女の空気が冷えたのを感じて、私は差し出していたフォークを下におろした。皿にあたってカチャリと大きな音が響く。ざわざわとした周囲の喧噪が、まるでここだけ切り取ったかのように静けさの中に沈んでいった。
(……もう君とこうして語らうことも、許されないのか……)
私は沈む気持ちを必死で浮上させながら、意を決して口を開いた。
「…………君に謝りたい」
「……!」
「……今更だと思うだろうが、私が間違っていた。……君は無実だったのに、私は君を疑ってしまった……」
心の中で感じていた甘い空気はとうに霧散し、目の前にあるのは過去と言う名の重苦しい現実だけ。それでもここから逃げ出すという選択肢はない。
「すまない……本当にすまなかった……!」
深く頭を下げて謝罪をする。絞り出すように告げた謝罪の言葉は、酷く掠れてしまった。伏せた瞼の裏が熱を持ち、眦に涙が溜まっていく。どれだけ時が経っても、あの頃の後悔と懺悔は、私の心の中でずっと息づいていた。
(……ようやく……ようやく君に謝ることができた……)
長い時を経て届けられた謝罪の言葉。例えそれがもう何の意味もなさなくても、私は彼女へ向かって謝罪し続けた。
「すまなかったデイジー……本当に……本当にすまない……」
きつく唇を閉じ強く噛み締める。無様で愚かな嗚咽を彼女の前で漏らさぬように。
頭を下げたままの私に、掛けられる言葉はない。長い沈黙が二人の間に横たわった。
「……顔をあげてください」
暫くして静謐な凛とした声が頭上に降り注ぐ。その声に促されるように、私はゆっくりと顔を上げた。
憂いを含んだ翠玉の瞳が、私を静かに見つめていた。
「……もういいんです……もう二十年以上も前の事ですし……」
「だがっ……!」
「……あの時、私もちゃんと自分の言葉で説明できていれば……そうすればよかったんです。……貴方のせいだけではありません……」
「……っ」
悲し気な声で告げるデイジーは、柔らかな微笑みを向ける。その何もかもを悟ったかのような微笑は、デイジーにとって私という存在が、既に過去の遺物であると知るには十分だった。
「……私たちの運命は、あの時に終わってしまった…………今はもうそのことで憂いていたくありません」
「デイジー……」
「ごめんなさい……本当なら私が貴方に謝らなければいけなかったのに」
「……いや……君が謝ることなど何もない。君は何も悪くないんだから……」
あくまでも自分に責任があると言うデイジーに、私は首を横に振って否定した。いくら時が経ったとしても、彼女はずっとあの事件の影響下にいたのだ。今更それを贖えるとは思えないが、せめて彼女に非が無かったのだと、そしてそれが明らかにされたのだと伝えたかった。
私はデイジーにあの事件のあらましを伝えた。何故彼女が疑われるように仕向けられらのかを。グスターク侯爵家が何をしたのかを……。
「……そうだったんですね。だからあんなことに……」
私の説明を苦し気な表情でじっと耳を傾けていたデイジーは、ようやくそれだけを呟く。その悲しみに満ちた声音に、私は胸が引き裂かれる思いがした。
「……事件については公にはされていなかったが、当事者の間では、きちんと真相が明らかにされたよ。グスターク家はその罪を贖い、フラネル子爵も君への仕打ちを後悔していた」
「……フラネル子爵が?」
デイジーは父親の名が出て、ビクリと肩を震わせた。それまでの悲壮な表情から眉根を寄せ、怒りとも苦しみともとれる、なんとも言えない複雑な表情を見せる。
「あぁ、あの件で君を……その……金で売るように嫁に出したことを、後悔して……」
「やめてっ!!」
突然の悲鳴と共に、ガシャンと机の上の食器が歪な音を立てる。驚きに目を瞠ると、デイジーがぐしゃりと顔を手で掴むようにして覆っていた。
「デイジー……?」
「あれは……違う……っ」
「デイジー、大丈夫か?!」
ガクガクと全身を震わせながら、地の底を這うような低い声で呟くデイジー。明らかに様子がおかしいので、私は立ち上がり彼女に近づこうとした。
「あれは……なんかじゃない……あれは……」
「デイジー!!」
震える彼女の肩を掴むと、ビクリと大きく揺れた。そしてピタリとそれまでの震えが止まった。
「……デイジー?」
「………………ごめんなさい」
小さく絞り出された言葉。何とも頼りなく、まるで小さな子供が叱られるのを怯えているように思えた。
「何でもないの……ごめんなさい」
言い聞かせるように呟くデイジーの、その指に隙間から、銀色の光る雫が見えた。彼女は誤魔化すようにそれをそっと拭うと、居住まいを正し笑顔を見せる。
「ちょっと動揺してしまって……もうこの話は終わりにしましょう?全て終わった事なのだから」
そう言って彼女は優雅に微笑んだ。己の本心を見せぬ仮面のような微笑を。
(まだ何かあるのか?未だ君を苦しめる何かが──)
デイジーの様子に私はそう感じた。耐え難い苦しみを垣間見せながら、それを必死に隠そうとするデイジー。彼女は未だ何かと戦っている。
しかしそれが何であるのか、ついに何も聞くことはできなかった──
お読みいただきありがとうございました。
二十数年越しの謝罪。これが正しいかは作者もわかりません。時が経ちすぎて相手には過去の事かもしれないし、未だに恨んでいるかもしれない。
たまたま出会った街中で強引にでも話の席につかなければ、デイジーはレスターの謝罪や事件のあらましを聴くまでには至らなかったかもしれないですね。




