23 宵闇の決意
デイジー視点に戻ります。
微かな風を感じて、微睡の底からそっと意識が浮上する。目を開けると薄暗い天井がぼんやりと見えた。
(……ここはどこだったかしら……)
自分が今どこにいて、何をしているのかわからない。
(何だかとても長い夢を見ていたような気がする……)
それでもここが現実であると理性が訴えるので、私は重い体を起こした。
掌に感じるのは、さらりと肌に気持ちのいい質の良いシーツの感触。どうやら大きな寝台の上で寝ていたようだ。
ぐるりと周囲を見渡せば、日の落ちかけた豪華な室内が見えた。
(そうか……ここはフィネストの柊宮だったわね)
フィネスト国王主催の茶会に参加していたことを思い出す。そこでかつての婚約者と思わぬ再会をして、気分が悪くなり休んでいたのだった。
(あれから随分時間がたったようだけど──)
ふとあの後、茶会はどうなったのかが気になった。エルの付き添いである自分があの場にいる必要はなかっただろうが、それでも彼を一人にしてしまったのが気にかかる。
それに、いくら気が動転していたとはいえ、レスターの前から逃げるようにして立ち去ったのだ。レスターが、私の態度をどう思ったのか想像に難くない。
(これからもこの国に住むのだから、彼とのいざこざは厄介だわ……)
彼はエスクロス侯爵家の人間だ。今のフィネスト王国の情勢をそこまで詳しいわけではないが、依然としてその権力は健在だろう。余計な揉め事があれば、こちらの立場が危うくなるかもしれない。
エルの為にもなるべく穏やかな暮らしをしたい。これからのレスターとの関係は悩ましいものだ。
そんな事を考えていると、小さく扉がノックされる音が響いた。
「ディー、起きてる?」
扉の向こうで呼びかけてきたのはエルだった。
「えぇ、もう起きたわ。入ってもいいわよ」
「あぁ」
エルは私の返事を聞いて安堵の吐息を漏らすと、すぐに部屋に入って来た。
「そろそろ夕飯らしいけど、食べられるかい?リックの奴が晩餐だなんだと抜かしていたが、そんな緊張する場所じゃ碌に食べられないだろう。部屋にもってこさせるけど?」
「ふふ、ありがとう」
エルが軽い口調で国王の提案を蹴るものだから、つい笑ってしまった。けれどその気遣いはありがたい。
「じゃあそうしてもらえる?今はあまり堅苦しいのは気分じゃないから」
「そうだね。できることならさっさとこの離宮からも脱出したいところだが、それはリックが許さないだろう」
「大事にされているのね」
私は彼等二人の仲の良さに微笑んだ。
「まぁね。新居が決まるまでは解放されそうにもないから、これは諦めるしかないかな。いずれにせよその件は、リックの力を借りなきゃいけないだろうし」
エルの言わんとしていることはわかる。リュクソン陛下の尽力で私たちの望みが叶う可能性があると知ったからこそ、私たちはこの国に戻って来たのだから。
「じゃあ暫くはこの離宮を堪能するわ。それにここならうるさい人たちも来ないだろうから、案外ゆっくりできるかもよ?」
私はエルの気が楽になるように、そう言った。彼が心配するのはいつだって私に関することなのだから。
「ディー……すまないね」
エルがくしゃりと泣きそうな顔で笑う。その切ない表情に涙が出そうになるのを堪えて、私は彼を抱きしめた。
「謝らないで。私は今ちゃんと幸せよ?エルがいてくれるから……」
「あぁ……」
エルの願いを叶えてあげたい。彼は私の前ではいつも笑顔を見せてくれるけど、その裏で一人泣いているのだ。きっと誰よりも辛い想いをしているのは、エルなのだから。
「ほら!元気出して!お腹がすいちゃったから、夕飯にしましょ?ここで一緒に食べられるかしら?」
「……あぁ、そうだね。よし!すぐに準備しよう!ディーはゆっくりしてて」
エルは元気を取り戻して、準備の為に部屋から出ていった。
その後ろ姿を見届けて、私はほっと息を吐いた。
(エルには残された時間を幸せに過ごしてほしい。彼が失ったものが、それで取り戻せるわけじゃないけれど──)
そっと窓の外に視線をやる。茜色の空はすっかり群青色に染まり、優しい静けさが辺りを包んでいた。
(私がしっかりしなくちゃ……過去に怯えているだけじゃ、前には進めない……)
ふと冷たい冬空色の瞳が脳裏に浮かび、身を震わせる。立ち向かうべき過去との対峙は、思うよりもずっと辛いものになるだろう。私はその覚悟を胸に刻み、決意を新たにした。
お読みいただきありがとうございました。
過去と立ち向かう決意をしたデイジー。
辛い思い出は時が解決しそうなものですが、唐突に終わってしまったもので、ずっと関わりの無いところで生きてきた場合、再びその過去に触れたら意外と忘れていないかもしれません。
デイジーは理性の上では過去の辛い恋を忘れようとしてる感じですね。




