22 因縁の邂逅 (レスター)
現在編に戻ります。今回はレスター視点です。
私がデイジーを失って、本当に長い時が過ぎ去った。あの頃の私は、永遠とも思える苦しみの中を生きていた。
けれど今日、彼女と出会って、一瞬で自分の中の時が戻ったことを感じる。彼女への強い感情、そしてそれに伴う切ない想いが胸を締め付けてくる。
デイジーとは久しぶりに言葉を交わしたが、大したことは話せず、彼女は連れ合いの男性と行ってしまった。既にその姿は見えない。
私は彼女の去った方を名残惜し気に見つめ、心の中で呟く。
(デイジー……もう一度君と会えて嬉しいよ)
二度と会えないと思っていたデイジー。彼女を失ってからずっと後悔していた。再会できたことが信じられず、それでも狂おしいほどの喜びを胸の内に感じた。
だが再会の言葉は酷いものだった。二十数年ぶりの再会の衝撃に、思わず彼女が逃げたことを責めてしまったのだから。
デイジーにしてみたら、私は婚約者の無実を信じずに、冷酷に捨てた男のままだろう。
あの後、無実が証明された事を彼女は知らないはずだ。既に異国の商人の妻となり、行方が知れなくなっていたのだから──
(あの時、私がデイジーを信じてさえいれば──)
再び過去の激しい後悔に囚われそうになる。その暗い感情を押しやるように、頭を振った。
あの頃と変わらず、私は彼女を前にするとうまく言葉を選べない。
本当に大切にしたい人なのに、自分の中で荒れ狂う感情が、彼女を傷つける刃となって言葉になるのだ。
──デイジーに愛されたい──
その強い感情が、私を愚かにする。
「変わらないな……私も」
一つ自嘲のようなため息を吐くと、私はそこから歩き出した。
今日は国王陛下主催の茶会だ。私は仕事の一環でこの茶会に参加をしていた。
茶会とはいっても、以前のように貴族の社交の為のものではなく、様々な職種、人種、国の人間が集まって、意見交換をするような場である。
今の国王陛下になってから、社会は大きく変貌を遂げた。閉鎖的な貴族社会は終わりを告げ、人々と世界に対して開かれた国になったのだ。
私自身も長く国外で仕事をしていた為、今はその実績を買われて国の中枢での仕事を任されている。
だが今日はあまり仕事にならないだろう。私の頭の中はデイジーのことでいっぱいになっているのだから。
そんな風に暫くの間ぼんやりとしていると、やがて一人の人物が声を掛けてきた。
「やぁ、どうだ?今日は何か収穫があったかな?」
快活な笑顔を見せるその方は、このフィネスト王国の国王陛下、リュクソン陛下だ。60代半ばの年齢にも関わらず、はつらつとしたその姿は今も若々しい。
「……えぇ、そうですね。とても有意義な時間を過ごさせていただいております」
「それは良かった。君には今後もたくさん活躍してもらうつもりだからね」
私の上辺だけの返答に気が付いているのだろう。リュクソン陛下はその空色の瞳を意味深に細めながら、気さくに話を続けていく。陛下は臣下との距離が近く話しやすい方であるが、その心の内は全く読めない。
「あぁ、そう言えば今日は特別な客も来ていたのだが、もう会ったかね?異国から来た商人なのだが、この国を終の棲家とするらしくてね」
「終の棲家ですか?それはまた──」
「あぁ、これがなかなかできる男でな。元々私の知り合いだったのだが、ようやくこの国に来てくれたのだよ。私と同じように歳を食ってはいるが、我が国が彼から学べることは多いだろう」
リュクソン陛下ほどの方が言うのだから、その人物というのは相当な能力の持ち主なのだろう。陛下は気さくな方だが、人を見る目は厳しい。そしてその眼鏡に適う人物は意外と少ないのだ。
「そうですか。是非ともその方と話をしてみたいですが、一体どちらに?」
「あぁ……さっきまではいたんだが……今はちょっと姿が見えないかな。まぁ彼は少しの間この柊宮に滞在する予定だから、いずれこれとは別に時間を作るつもりではあるよ」
「わかりました。ではその時にご一緒させていただければ──」
そう言った時だった。
「リック!」
陛下の名を親し気に呼ぶ人物が、こちらへ向かって歩いてきた。その姿を見て、私は息を飲む。
やってきたその人物というのは、デイジーと一緒にいた老紳士だった。
「すまない、ディーが具合を悪くしてね。先に離宮で休ませてもらっているよ」
「大丈夫なのか?医者を呼ぼうか?」
「長旅の疲れが出たんだと思う。少し休めば大丈夫だと思うが……」
そこまで話して、その老紳士がこちらに気が付いた。
「あぁ、すみません。突然やってきて挨拶もせず。私はエルロンド・フリークス。一応商人です」
大きな手をこちらに差し出し、にこやかな笑顔を見せるフリークス氏。商人だというのに、その上品な佇まいは王侯貴族だと言われてもおかしくない。
「ご丁寧にどうも。私はレスター・エスクロスと申します。国内の土地開発の仕事などをしております」
私も軽く自己紹介をしながら、彼と握手した。
年の頃は陛下と同じくらいだろうか。背が高く自信に満ちたフリークス氏は、ひと目見ただけで彼がどれだけ有能な人物であるか見て取れる。
彼は私の名前を聞いて、まじまじと顔を覗き込んできた。
「あぁ、貴方があの……うん。リックから色々と聞いておりますよ」
「え?」
陛下から話を聞いているとはどういうことだろう?先ほどデイジーと一緒の所も見られていたから、その言い方に何か含みを感じた。
「レスター、彼がさっき言っていた人物だよ」
私たちの微妙な空気を感じ取ったのか、横からリュクソン陛下が嘴を挟む。
「ん?それは何の話かな?リック」
「君の知識と経験を、この国の為に存分に生かしてもらおうってことさ」
リュクソン陛下は、はははと大きな口を開けて笑うと、フリークス氏の肩をバシバシと叩いた。その気安いやり取りは、二人が相当親密な仲であることを思わせた。
「それにレスターとなら、君の目的も叶うはずだしね」
「…………だといいがね」
「──?」
二人の会話を疑問に思いながらも、私は彼等との間に次の約束を取り付けた。後日改めて仕事の話をするというので、私はそのまま辞去することにした。
「では私はこれで失礼させていただきます」
彼等から離れながら、私はエルロンド・フリークスという人物について考えた。
にこやかで大らかな性格は人好きがするだろう。また陛下と親しく、その能力を買われている点を見れば、彼がいかに有能かがわかる。だが──
──一応商人です──
(商人……彼がデイジーを金で買ったということか──)
思い出されるのは、忌々しい過去。私が婚約破棄をしたせいで、デイジーは貴族令嬢としての価値を失い、金で親子ほども歳の離れた相手に売られたのだ。だが……
──ディー……泣かないで。大丈夫、大丈夫だから……──
フリークス氏は、私が想像していたような人物ではなかった。金で妻を買うような人物には到底見えず、妻を慈しみ愛する善良な夫そのものだった。
涙を流し寄り掛かるデイジーの頬に、彼は優しく口づけていた。そしてデイジーはそれを拒まなかった。あれだけ仲が良いということは、フリークス氏はデイジーにとって良き夫なのだろう。
彼女が幸せな結婚生活を手に入れたのなら、それは喜ぶべきなのだろうが、私の想いは複雑だった。
(デイジーの心には、もう私という存在はどこにもいないのかもしれない……)
想像の中での彼女は、金で買われた故に不幸な結婚生活をしているはずだった。だが実際は夫と愛し愛される関係であり、誰が見てもいい夫婦でしかない。
私は自分の存在意義を失ったような気がした。
長い間探し求めていた相手にとって、自分が既に忘れ去られた存在であるという現実。それは永遠に彼女と再会できないことよりも、ずっと残酷に思えた。
いまだ燻る彼女への想いと、激しい後悔で、息が出来ぬほどに胸が苦しい。このまま命を失うかもしれないと、そんな愚かな考えさえ脳裏に浮かんだ。
(でも私は彼女を諦めきれない──ようやく再会できたのだから……)
自分の想いがデイジーを不幸にするかもしれない──そう思うのに、自分の中で再び走り出した感情を止められない。
(終の棲家……それはデイジーがこれからずっとこの国に住むということ──それは彼女を再び手に入れる機会があるかもしれないということだ──)
デイジーへの利己的な欲望を燻らせながら、私はその場を後にした。




