19 運命が終わる時 (レスター)
レスター視点過去回です。
運命だと思った。
だからそれを失うなんて、当時の私は思いもしなかったんだ。
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私は屋敷に戻ってすぐに父と話をつけようとしたが、生憎その日は王宮へ出仕しており、屋敷にはいなかった。はやる気持ちを抑えながら帰宅を待つが、結局その日、父は戻ってこなかった。
そして明くる日の午後、ようやく疲れた顔をして帰って来た父を捕まえた。
自分が掴んだ証拠について話し、デイジーとの婚約を再び正式なものにしてほしいと頼むつもりであった。しかし──
「レスター、お前に大事な話がある。部屋に来なさい」
父は屋敷に戻ると、すぐに険しい表情をしてそう言った。私は不安な気持ちを抱えたまま、彼の後について行った。
父の執務室へ入ると、彼は自分の着替えもそこそこに私を椅子に座らせ、自身も執務椅子に腰をかけた。そして深いため息を一つ吐くと、重々しい口調で話し始めた。
「お前とデイジー嬢との婚約が、正式に破棄となった」
「はっ?!」
私は自分の耳を疑った。父が言っている意味を理解できなかったのだ。
「今……なんとおっしゃったのですか……?」
父は顔を上げると、未だ理解できていない私に憐むような視線を寄越した。そして再び同じ言葉を告げる──残酷な真実を。
「フラネル家が正式に婚約破棄を申し出た。しかも王宮を通してな。既にこれは陛下の知るところとなっている」
「何故!?まだ2週間も経っていないじゃないですか!?」
私は到底受け入れられず、怒りで目の前の机を激しく叩く。だが今は自分の掌の痛みより、引き裂かれるような胸の痛みの方が勝っていた。
父もこの件には不満を抱いているようだ。眉間に大きく皺を寄せながら、とうとうと語り始める。
「……そうだ。いくらなんでも早すぎる。せめて二か月くらいは期間を開けなければ、両家の間に何かあったと思われてしまうのに……」
「一体どうして?フラネル子爵は何を考えておられるのですか?!」
父は私の問いかけに更に表情を険しくして唸る。これは父が相当怒りを露わにしている時にやる仕草だった。
「フラネル子爵は貴族としての矜持よりも、余程金の方が好きらしい」
「え──?」
「いずれ破棄する婚約を続けておくよりも、娘を高く売れる先を見つけたようだ」
「──!!?どういうことですか!?」
「すぐにでも婚約を破棄すると言うから、問い正してみれば…………貴族でも何でもない商人にあの娘を高値で売ったらしい」
「っ──!!」
私はそれ以上父の言葉を聞くことなく、部屋から飛び出した。
転げ落ちるように階段を駆け降りて屋敷の外に出ると、厩舎につないであった馬に飛び乗った。そして鞍もつけずそのまま走り出す。一刻も早くデイジーの下に行くために。
(そんな馬鹿な話があるかっ──)
流れる景色に目もくれず、狂ったように馬を走らせる。怒りで手が震えそうになるのを、必死でこらえた。無我夢中で、正直どうやってフラネル家まで行ったのか、よく覚えていない。
王都の端にあるフラネル子爵家の屋敷に到着したのは、陽が少し傾きかけたころだった。
「フラネル子爵はおられるか?!レスター・エスクロスが会いに来たと伝えてくれ!」
馬から飛び降りて屋敷の扉を叩くと、執事が驚いた顔で出迎えた。
「エスクロス様!?どうしてこちらに?」
「至急フラネル子爵と話がしたい!取り次いでくれ!」
「あの……旦那様は今は外出しておりまして……」
「なら、デイジーに会わせてくれ!!」
「そ……それはっ……」
「もういい!入るぞ!」
いくら話しても埒が明かないことにしびれを切らし、私は屋敷の中へと押し入った。
「エスクロス様……!困ります!」
「すまない!大事なことなんだ!」
呼び止める執事を振り切り、私はデイジーの下へと走った。
階段を駆け上がり、西の大きな部屋を目指し廊下を走る。そしてノックをすることも忘れて、その扉を開いた。
「デイジー!!」
しかしそこに、デイジーの姿はなかった。
「……デイジー?」
それどころか、部屋はすっかり片付けられていて、まるで誰も使っていないかのようになっていた。
「これは……どういうことだ……?」
私はすっかり変わってしまった部屋の様子に、自分がどこか別の場所にいるのではないかと錯覚をする。
すると後ろから追いかけてきた執事が、沈痛な面持ちで声を掛けてきた。
「エスクロス様……お嬢様はもうここにはおられません」
「何故だ?どこか別の部屋にいるのか!?」
彼が言うことが理解できず、私は詰め寄った。けれど彼はただ首を横に振るだけ。
「……諦めるしかございません。お嬢様は既に別の方の下へ嫁がれたのです」
「そんな……嘘だっ!」
私はその言葉の意味を理解したくはなかった。できるはずがない。
「彼女はここにいたはずだ………それなのにっ……」
目を閉じれば思い出されるのは彼女の部屋。そこは陽だまりのような場所。
温かみのある壁紙に、デイジーのお気に入りの風景画。部屋にはいつも花が飾られ、大切に使われてきたオーク材のアンティーク家具の上を彩る。まっさらなクロスの掛かったテーブルには、芳しい紅茶と色とりどりの菓子たち。
そしてその中心には、天使のような笑顔を咲かせる可愛らしい人がいるはずなのに──
その光景を期待して再び目を開ければ──
──そこにあるのは何もない部屋だけ。
「っ……!」
こんなはずじゃなかったんだ──
彼女がここを出て行く時は、私の妻になる時だったのに──
「どう……して……」
掠れた呟きは、そのまま床に落ちていった。
傾いた太陽が、主のいない部屋に長い影を作る。
部屋の中に残る、彼女の面影をかき消していくように。
「エスクロス様……」
私は彼女の温もりを探すように、部屋の中へと足を踏み入れた。毛足の長い絨毯だけが、あの頃と同じように、優しく私を迎えてくれる。
何も残っていない──彼女の思い出も、彼女自身も──何もかも。
「っ……」
我慢できずに涙が頬を伝う。
彼女の幻に縋るように
振り上げた私の手はみっともなく空を掻いた。
その温もりを掴むことはできない。
彼女はもういないのだから。
滲む視界に茜色の光が差す。
彼女との思い出が色褪せていくように
次第に部屋は暗くなっていく。
ふと窓辺に視線を向けると
一つだけ取り残されたようにある物が落ちていた。
窓に近づきそれを手に取ると
崩れかけた花弁が一つ
乾いた音を立てて床に落ちる。
──それは私がデイジーにあげたコサージュの花だった。
「デイジー……っ」
──花をもらったのは初めてだったのよ?驚いたけど、とても嬉しかったわ──
そう言って君はふわりと笑ったんだ。
──大事に取っておくわ。私たちを結び付けてくれた花ですもの──
ドライフラワーにするのだと、嬉しそうに話してくれて。
──貴方の側にいる事が、私の運命だって思ったの──
君は確かにこの腕の中にいたのに。
──ずっと一緒にいましょうね、レスター──
君を失って初めて気が付くなんて。
──貴方を愛しているわ──
君を愛してる……こんなにも愛しているのにっ……!
「……っうっ……く……」
膝から崩れ落ちて嗚咽を漏らす。
手に持っていた花は、強く握ったせいで崩れてしまった。
まるで私の心のように、ボロボロになって。
まだデイジーを取り戻せると思っていた。
父に言われるがままに、グスターク家との婚約が決まったとしても。
デイジーの無実を証明できれば大丈夫だと、彼女に会いにすら行かなかった。
一番に会いに行かなければいけなかったのに。
真っ先に謝らなければいけなかったのに。
「……デイジー……デイジーっ……!」
もう彼女はいない。別の男の妻になった。
彼女に謝る機会も
愛しているともう一度言うことも
その名を呼ぶことさえも
──もうできないのだ。
「ぁぁああぁぁぁっ!」
お読みいただきありがとうございました。
レスターにとって辛い回となりました。この辺りの詳しい裏事情は、本編に続いて掲載予定の番外編にて明らかとなります。どうぞお楽しみに。




