64 愛を捧げる人
その後、僕とデイジーが親子であるという事実は、フィネスト国王リュクソンの手によって正式に認められた。晴れて僕らは親子の名乗りを上げる事ができたのだ。
そして僕らを貶めようとしたあの男──セフィーロ・フラネルの顛末だが、彼は散々喚き散らした後、最後は騎士達に取り押さえられ連れていかれた。彼の過去の罪についても明らかとなったのだが、デイジーへの影響を考慮して話を少し作り変えた形にして真実は秘匿されることとなった。
ディアナの苦しみを考えれば軽い罰でしかないが、それでも爵位を義理の息子のアングラに譲り、自身は僻地での下働きという対応だから、自尊心の高いあの男にとっては相当な罰になっただろう。今は過去の行いを罰するよりも、デイジーたちの未来の方が大事なのだから。
その日、王都ではフィネスト王国の建国記念祭が催され、多くの人で賑わいを見せていた。街には色鮮やかな花が飾られ、国の生誕を寿ぐ旗が掲げられている。
王城には各国から賓客が招かれており、式典の会場には美しい音楽と談笑がさざめいていた。
「凄い華やか……私大丈夫かしら……」
「気にしたらいけないよ、ディー。こういうのは堂々としたもの勝ちだ」
会場の豪華な雰囲気にデイジーが不安げにしている。こうした社交場は、フィネスト王国を離れて以来久しぶりなせいで、怖気づいているのだろう。
だが美しく着飾られた彼女は、誰よりも輝いている。ディアナの美しさを受け継いだ彼女は、ただそこにいるだけで注目の的だ。
一方の僕は、今日の建国記念祭の式典で正式にアムカイラの大使として紹介されるので、久方ぶりにアムカイラの礼装に身を包んでいた。こうして華やかな席についていると、一瞬時が巻き戻ったような錯覚に陥る。ふと横を向けば、そこにディアナが座っているのではないかと思う程に。
「エル?どうしたの?緊張してる?」
「いや……ディーが綺麗だなと思って。見惚れてたんだ」
「まぁっ!エルったら」
「はは、驚いた顔もディアナそっくりで、可愛いよ」
「そう言ってお母さまを口説いていたのね、お父さま?」
「あぁ、そうだよ。君のお母さまはとっても綺麗で可愛らしい人だったから」
くすくすと二人笑い合っていれば、どうやらデイジーの緊張も和らいだようだ。
彼女は未だに僕のことをエルと呼ぶ。長年そう呼んできたから、今更呼び名を変えるのが難しいのだろう。それでも時折僕のことを父と呼んでくれるのが、とても嬉しかった。
フラネル家の令嬢として生まれ育ったデイジーだが、今の彼女は正式に僕の娘だ。フラネルはディアナを誘拐したのではなく、アムカイラの王女を革命から救い出したのだと、公には説明されている。勿論詳しい事情を知る者達はいるのだが、彼等は皆リュクソンに他言無用と命じられている。
まぁそれでも様々な噂が飛び交うのが人の世の常というものだ。だがそうなったとしても大使である僕や、レスターがデイジーを守るだろう。だから今はもうそこまで彼女の身を案じてはいなかった。そんな僕の様子を見て、リュクソンに「だから大丈夫だと言っただろう?」と言われたのはシャクではあったが。
様々な思いが胸に去来しつつ式典の進行を見守っていると、ようやく僕の出番が来たようだ。デイジーが頑張ってと視線を送ってくる。僕はそれに微笑みながら頷きを返すと、前へと歩み出た。
「こちらがアムカイラ共和国からの大使、エルロンド・フリークスだ」
リュクソンが国王らしく威厳に満ちた声で僕を紹介する。僕はそれに合わせて前へ一歩出て、アムカイラ流の正式な礼をした。今はもう誰もすることが無くなった、アムカイラの王侯貴族だけがする特別な礼。
膝を深く折り、両の手を組んで頭上よりも高く上げると、裾の長い伝統的な衣装が、床に美しい装飾の波を作る。鮮やかな金銀の刺繍が光に揺らめくその色彩に、懐かしい想いが胸を焦がした。
(ディアナ……僕らはここまで来たんだね……)
幼い頃に想像していたのとは違う道を歩んできた。ディアナと出会って彼女と共に生きると誓って。祖国よりも家族よりも愛に生きることを選んだ僕は、結局全てを失った。
だが今こうして再び祖国の衣装を身にまとい、かつてのように古めかしい伝統的な礼をして人々の前に出ている。
深い礼を終えて顔を上げれば、大勢の人がその顔に笑みを浮かべて盛大な拍手をくれた。勿論それは僕個人へ向けたものではなく、国の更なる発展を祝ってのものだろうが、それでも人々の歓喜に湧く姿は僕の心を打った。
「これからは、ここがお前の帰る国だ、エル」
隣に立つリュクソンが、僕の耳にそっと囁く。人々の歓声は未だ収まらず、僕はそれに応えるように手を振った。
「皆がお前の家族だ」
「……うん、そうだね」
リュクソンの言葉に、僕も小さく頷く。天国のディアナもきっと笑って喜んでいるだろう。寂しさに僕が泣いているのを心配していただろうから。
「ここが僕の帰る場所だ」
嬉しさに呟いたその声は、人々の歓声の中に溶けていく。
かつて血と慟哭に満ちた祖国を、追われるようにして飛び出した。そんな僕が、もう一度手に入れたのは、国を愛し、人を愛するというごく当たり前のこと。だがそれは時に難しく叶わないこともある。かつての僕がそうであったように。
だからようやくたどり着いたこの場所への想いは、きっと言葉では言い表せないだろう。それでも前を向いて歩いて行こうと、心に決めたのだ。
爽やかな風に木々の枝葉が揺れる。木漏れ日が柔らかく陽の光をその場所に落としていた。
アムカイラの大使として住むようになった大使館の敷地の一角。僕はいつものように手にいっぱいの花を摘んでそこを訪れていた。
「おはようディー」
その庭園には、ディアナの為の小さな墓地があった。
ディアナが好きだった故郷のあの丘のように、たくさんの可愛らしい花が彼女の眠る場所を彩っている。まるで花に抱かれるようにしてたたずむその墓石には、ディアナ・フリークス・アムカイラと名が彫られていた。
「ディー、今日も君の好きな花をたくさん持ってきたよ」
僕は手に持った花をディアナの墓地へと捧げ跪いた。そして自らの掌に口づけを落とし、それをそのまま彼女へと贈るように墓石の名の部分に触れた。
ディアナの下を訪れるのは、ここに住むようになってからする朝の習慣だ。花も日々新しいのに変えて、古い物は屋敷を飾るのに持ち帰る。
ディアナが眠るその場所で、僕は朝の一時を過ごすのだ。そして日々の些細な出来事について話したり、もしディアナがいたらという未来を語る。
勿論現実には返事があることない。だが今の僕には、はっきりとディアナの声が頭に浮かんでいた。
『エルが楽しそうで私も嬉しいわ』
その声は、本当に幸せそうな満ち足りたものだった。彼女が今も僕と共に生きて、笑い合っているかのように。きっと実際に天国のディアナがそう思っているからに違いない。
建国祭ではレスターがデイジーにプロポーズし、短い婚約期間を経てもうすぐ結婚式を迎える。愛娘が幸せになるのを間近で見られて、ディアナもきっと喜んでいるだろう。
僕としては少し寂しくも思うが、それでも長年求めていた愛する人との未来をデイジーが歩むのは嬉しい。きっと僕ら以上に幸せな夫婦になれるだろう。
そんな思いを胸に抱きながら。僕はもう一度彼女へと声を掛けた。
「ディアナ……」
これまでずっと絶望の中を彷徨っていた。愛する人の名を呼んでも返ってこない答えに、何度己の無力さと孤独を味わっただろう。彼女を不幸にしてしまった己を、どれだけ呪ったかしれない。
だが今は違う。僕がその名を呼べば、いつだってディアナは幸せそうに微笑むのだ。そしてありったけの愛を返してくれる。決して不幸な人生ではなかったと、そう言い聞かせるように。
『貴方を愛しているわ、エル。エルロンド──私の大切な人』
「ディアナ──僕も君を愛している、これからもずっと──永遠に」
終わらぬ愛の言葉を捧げれば、庭に咲き誇るデイジーの花が、今日も風にふわりと香る。
それを胸いっぱいに抱きながら、幸せな日々を噛み締めるように目を閉じた。
更新が止まっており申し訳ございませんでした。次話でエルロンド編完結となります。最後までどうぞよろしくお願いいたします。




