58 レスターの助け
「そこで大人しくしているんだな!」
──ガシャン!──
乱暴に鉄格子の扉が閉められ、鍵をかけられた。ここは街を警邏する兵士達が詰める屯所の中にある牢屋の一つである。
「はぁ……」
フラネルにも兵士達にも痛めつけられたせいで、ため息を吐く以外の気力がわかない。
(……まさかこんなことになるなんて……)
感情的に後先を考えずに行動したせいで、僕は屯所の兵士達に捕まった。
彼等は、フラネルが貴族だからというだけで、一方的に僕の方が悪いとし、碌に話も聞かずに牢屋へ入れた。そこが奴の屋敷の近くであったのも大きいだろう。屯所の長らしき人物は、フラネルの機嫌を取ることに必死なようだった。
暗くカビ臭い牢屋は、そこにいるだけでどんどん気持ちが沈んでくる。殴られた痛み以上に、この件がデイジー達に災いをもたらしやしないか、そのことが気がかりだった。
(……このまま僕が帰らなければ、デイジーが心配するだろうな……)
せっかくディアナを取り戻すという目的を達成したのに、こんなことになってしまって、申し訳ない気持ちが募った。僕が戻らないことはすぐに知られるだろう。その時のデイジーの気持ちを考えると、胸が締め付けられるようだ。
暫くそんな暗い考えに耽って時を過ごす。暗く閉ざされた空間ではどれだけの時が経ったのか分からなかったが、俄かに外が騒がしくなったのに気が付いた。
牢屋には僕の他には誰もいないが、通路の先には兵士達が待機している。その兵士達が慌ただしく行き来している足音が聞こえた。
(何だろう……?フラネルが戻って来たか……)
フラネルは僕を牢屋へ入れると、あれこれと屯所の長に指示して屋敷に戻っていった。また後で様子を見に来ると言っていたから、そこで僕の尋問をするつもりなのだろう。
苦い思いで外の様子をうかがっていると、やがて通路の先の扉が開き、そこから意外な人の声が聞こえてきた。
「フリークス殿!」
「……エスクロス卿?」
蝋燭の頼りない明りの中、駆け寄って来たのはレスターだった。彼は牢屋に入れられた僕の姿を見ると、痛まし気な表情をした。
「何があったのですか?!怪我を……!」
「……申し訳ない……面倒をかけてしまって。私は大丈夫……だがまさかこんな事になるとは……」
「一体どうしてこんな事に?どうか話してください」
その問いかけに、僕は申し訳なくて顔を俯ける。新規事業やフラネルの土地に関することなど、レスターと共にやってきたことが全て台無しになるかもしれないのだ。悔しさとやるせなさに苛まれながら、僕は一つ一つその経緯を語った。
「……どうやらフラネル子爵は、私の事を覚えていたようだ」
「覚えていたというと……二十数年前にデイジーを助け出した時の──?」
「あぁ、そうだ……それで声を掛けてきて……子爵は私が約束を破ったと、その責を求めて来て…………だが私もあの男には、言ってやらねばならない事があったから──それで二人だけで話をしようと馬車に乗ったのだが……」
そこで一旦話を区切りため息を吐くと、手にかけられた手錠がジャラリとなった。額から流れた血を拭ったせいで、手錠にも赤黒い汚れがそこかしこについている。それを横目に僕は話を続けた。
「彼は私の話が気に入らなかったのだろう……突然馬車の中で暴れ出すと、私を突き飛ばした」
「何て事を……!」
思えば最初からフラネルは僕を疑っていたのだろう。王宮での突然の会合に参加していた商人。それがかつて自分に関わったことのある人間だと知って。もしかしたらデイジーの出自に関しても、フラネルは昔から何か思うことがあったのかもしれない。
デイジーはディアナによく似て美人だから表立っては実の娘として遇したのだろうが、それでも髪の色や顔立ちの特徴から、自分の子ではないかもしれないという疑念をどこかに抱えていたのだろう。
「……あの男は、このまま私の存在を無かったことにしたいのかもしれない」
気が付けばそう口にしていた。それはここに来てずっと感じていたことだ。フラネルは一方的に僕を罪人として仕立て上げ、そのまま闇に葬ろうとしているのではないかと。
しかしレスターはすぐにそんなことにはならないと、首を横に振る。
「だが貴方は国王陛下の賓客です。そんな事は無理だと、あちらも承知しているでしょうに……」
「あぁ、それでもあの男にとって、私という存在は不都合なんだよ──」
(そう……あまりにも僕の存在はフラネルにとって不都合だ。ディアナの正式な夫である僕と言う存在は──)
僕とその血を引くデイジーの存在は、かつてセフィーロ・フラネルが犯した罪の証のようなものだ。いくら何十年も前の出来事とはいえ、他国から人妻を攫ってきて我が物にしたなど、とんでもない醜聞だろう。
人一倍、自尊心の高いあの男には、例え過去の醜聞とはいえそれが人目に晒されるのは耐え難いものに違いない。
「一体何故──」
レスターがどういうことかと詳細を訪ねようとしてきたが、俄かに通路の外にこちらへと向かってくる足音が聞こえてきた。
(いけない……このままでは──)
僕はせっかくレスターと二人だけでいられるこの機会を逃さぬよう、声を潜めて彼に訴えた。
「侯爵!私の懐にあるものを取り出してください……!急いで!」
手錠で繋がれた手を上にあげて、胸元をレスターへと晒す。懐にはディアナの日記が入っていた。もし屯所での尋問の際にそれを奪われたら、デイジーの出自に関することがバレてしまうかもしれない。その危険性を考えた時、僕は日記をレスターに託すことを決断した。
僕の必死な様子に何かを感じたのだろう。レスターは懐へと手を伸ばし、日記を掴んだ。
「早く……!それを持って行ってください……そこにデイジーに関わる秘密が……!」
「──!わかりました」
レスターはすぐさま僕の意図をくみ取りそれを自分の懐へと隠すと、背後からやって来た人物へと何事もなかったように向き直った。
「──こんな所でどうしたのですか?──エスクロス侯爵」
「……フラネル子爵」
やって来たのは、あの男――セフィーロ・フラネルだった。
フラネルは冷酷な微笑を湛えながら、僕らのすぐ側へとやってくる。まるで自分こそが、この場を支配しているかというように。
レスターは僕を背に庇うようにしてフラネルと対峙した。そのフラネルは屯所の長を引き連れており、まるで自分の使用人か何かのような態度である。
完全にここがフラネルの領分だと理解したレスターは、すぐに僕がここにいるべきではないと申し立てた。
「フリークス氏を、このような場所に留めておくことはできません。彼は国王陛下の賓客だ。陛下の耳に入れば、いずれ問題となるでしょう」
「……ですが彼は罪人ですよ?異国の、それも平民の身分で貴族である私を傷つけたのだ。ただで済まされるはずがない」
フラネルはレスターの言葉に耳を貸す様子はない。自信たっぷりのその姿に、既にこの屯所の人間に金を掴ませたか何かで、僕の処分を下した後だろうことが窺えた。
(レスターが来てくれていなかったら、とっくに尋問だなんだという理由で殺されていたかもしれないな……)
まさにそれこそが僕とフラネルとの立場の違いだ。例え相手にも非があるのだとしても、今の僕はしがない平民でしかない。そうなれば罪がどちらにあるのかなど関係なしに、僕は一方的に罰せられる恐れがあるのだ。
今更ながらにリュクソンが言っていたことを思い知らされる。大切な者を守れるだけの地位を得るべきだということを。
臍を噛む思いで目の前のやり取りを見守っていると、レスターは状況をよくわかっているのだろう。武装した兵士達がフラネルの後ろに控えていてもなお、全く怯む様子はない。
「まずは何があったのか、きちんと精査しなければならないでしょう。彼は、我が国にとって非常に重要人物だ。間違いがあってはならない。それにこれは国際問題になりかねない事案を孕んでいる。そこを理解しておいてもらわねばならない」
「国際問題……?それは侯爵、貴方様の管轄ですかな?ましてやこの件は、貴族である私と、平民であるこの者とで起きた出来事。その間に首を突っ込めるのは、王都の警備を担当している者でしょう。貴方様には関係のない事です」
フラネルはあくまでもこの場からレスターを追い出したいのだろう。レスターがこの場にいては、僕を一方的に断罪できないからだ。だがレスターはそれを良く理解しているのか、一歩もこの場を辞さぬ考えのようだ。ピンと伸びたその背が、今の僕にはとても頼もしく思えた。
「王宮へは既に知らせがいっている。詳しい事情を聴く為に、王宮の騎士が来るだろう。私は国家の賓客であるフリークス氏の事を陛下から任されているから、それまで待たせてもらおう」
「っ──」
この場で最も地位の高いレスターがそう言えば、もう相手は何も反論することはできなかった。屯所の長などは酷く顏を青ざめさせて、体を震わせている。王宮からの騎士がやってくることと、僕がリュクソンの賓客であるということで、自分の立場が悪くなるのを懸念したのかもしれない。
だがリュクソンとて一方的に僕の味方になることを良しとはしないだろう。そこは法と相手の言い分とを精査して、何が起きたのかを調べるに違いない。その際に、フラネルが屯所の長に金を積んだことが明るみに出るかもしれないが。
(レスターのおかげでなんとかなりそうだな……)
一時は万事休すだった状況が、レスターのおかげであっと言う間に形勢逆転となった。しかもデイジーの秘密を記したディアナの日記も、今はこの場で最も安全であろうレスターの手元にある。
(……きっとレスターやリュクソンが上手く取り計らってくれるだろう……)
暗闇の中に一筋の光明を見出すように、僕は明日への希望を繋いだのだった。




