55 対峙
その日、王宮の執務室には新規事業に関する者達が集められていた。これまでは運用に関して実際に関わる人間のみだったが、今日はそこに交渉相手が一人加わった。
あの男──セフィーロ・フラネルだ。
王宮の応接室の一室に、事業に関わる主だった人間が集められ、僕はその影に隠れるようにして隅の方に控えていた。
フラネルは王に呼ばれたということで最初は意気揚々と現れたのだが、そこにいるメンバーを見て途端に顔を顰める。王の側近人もいたので余計なことを口にすることは無かったが、明らかに訝しんでいる様子だった。
暫くは無言の内に時が過ぎ、やがてリュクソンがやって来て、その後にはレスターもやってきた。他にも行政官のフッサ、技術官のテラー、外交官のルイドなど、事業の主だったメンバーが揃った。
「今日集まってもらったのは、他でもない。──フラネル子爵、君の持つ土地についての事だ」
「陛下……それは一体どういう事でしょう?」
リュクソンの言葉に驚きを示すフラネル。どういう理由で呼び出されたのかは知らないが、土地については何も聞かされていないのだろう。するとレスターがリュクソンの代わりに口を開いた。
「それは私の方から話させていただきますよ、子爵」
「──!……エスクロス侯爵……」
フラネルはレスターに視線を向けると、眉間に深く皺を寄せた。私はそんな彼に向かって、特に表情も変えずに一礼すると、侍従に資料を渡すように告げた。
「……そちらの資料にありますように、近々こちらの新しい事業の為の土地が必要となります。そこで子爵……貴方の土地が候補の筆頭に上がっているのです」
「なんと──それは……」
フラネル子爵は驚きに声を上げ、資料に目を通していく。レスターはフラネルがそれを読み終わるのを待たずに、次の言葉を繰り出した。
「勿論子爵の屋敷とその土地を融通していただけるのなら、こちらで新たな土地と屋敷を用意するつもりです」
「新たな屋敷?」
「えぇ、今の子爵の所有する土地は王都の端の方で、貴族街からは離れた位置ですよね。貴族の邸宅がある場所にしては、王都の中心からは離れすぎている。貴方もそう思っておいででは?」
「あぁ……まぁ、確かに……」
「しかし貴族街の土地は、昔から特定の貴族の屋敷がひしめき合っている為、新たにそこに屋敷を建てるのは難しい。ですが、今回子爵が土地を融通してくださると言うのなら、貴族街の土地と屋敷をご用意できると思います」
「なんですと?!それは本当ですか?!」
それまで乗り気ではなかったフラネル子爵が色めき立った。
このフィネスト王国において、王都の貴族街に屋敷を持つことは、ある種ステータスのようなものだ。しかしそこに土地と屋敷を持つのは非常に難しく、新興貴族などは大概が貴族街以外の土地に屋敷を持っている。
レスターはフラネルが権力志向の人間で、貴族街へ住居を用意すると言えばこの話に食いつくことが分かっていたのだろう。とてもうまい誘導だ。
「貴族街の土地と屋敷、そして引っ越しの為の費用は国が持ちます。後は協力していただいた謝礼金も僅かながらご用意させていただくつもりです」
「そうですか……それならば──」
フラネルが資料を見つつ、考え込んでいる。うまい話だからすぐにでも飛びつくと思ったが、自分に不利にならないかとじっくり資料を読み込んでいるようだ。欲深い人間ではあるが、同時に賢しく強かな面もあるようだ。
まだ首を縦には降らないフラネルに、一同が固唾をのんで見守っていると、資料から顔を上げたフラネルが一瞬嫌らしい笑みを浮かべた。
「……ところで、今回の事業には、私は土地を提供するだけという事になるのでしょうか?」
「だけ……とは?これでも貴方にとっては、かなり利のある話だと思いますが……」
どうやら新規事業と聞いて、他にも金の匂いを嗅ぎつけたのだろう。もたげた欲望に火がついてしまったようだ。
「ふむ、見れば私の土地はそちらにとって、かなり価値があるように見えます。ですがこちらも先祖から代々受け継いできた大切な土地と屋敷ですのでね。そう簡単に手放すわけにはいかないのですよ」
子爵は一見澄ました様な表情を貼り付けているが、よく見ればその口元が僅かに歪んでいる。こちらの足元を見て、自分が得られるであろう利益を上乗せさせるつもりなのだ。
その様子を苦々しく思いながら見守っていると、レスターはフラネルの考えをあらかじめ予想していたのだろう。すぐにある人物へと合図を送ると、彼に交渉のバトンを渡した。
「おや……子爵はこのお話には乗り気ではないのですか……それでは仕方ないですね」
そう言って口を開いたのは、行政官のフッサと呼ばれる人物だ。彼は大仰にため息を吐きつつ、さもフラネルがこの話を蹴るかのようなな口ぶりで話す。フッサがどういう人物かは知らないが、顔には嘲りの感情が浮かび、かなり礼を欠いた態度をフラネルに対し取っている。
案の定そんなフッサの発言に、フラネルが怒りを露わにした。
「たかだか行政官如きに、そんな軽い口を利かれる言われはない。誰も断るとはいっていないぞ」
国王であるリュクソンがいる手前、言葉はある程度選んでいるようだが、それでも怒りに声が震え、目には明らかな侮蔑が浮かんでいる。だがそれこそがフッサやレスターの狙いだったのだろう。フラネルの威嚇に怯むことなく、フッサは何のことかわからないとでも言うように話を続ける。
「そうなんですか?ですが、先ほど簡単に手放すことはできないとおっしゃっておりましたが……」
「それはそうだ!……だが金額によっては考えない事もないと言っているのだ!」
フッサの挑発に乗って、フラネルはあっさりと本音を暴露した。
(流石だな……本音を聞き出すには、ああいうのが一番効果的だろう)
僕はフッサに挑発役をさせたレスターに感心していた。きっとフッサという人物はフラネルよりも爵位が下の人間、もしくは平民あがりなのだろう。フラネルが見下すような人間に、あえて挑発させることで、思わず本音を漏らしてしまうような状況を作り出したのだ。
僕が感心しながら見守っていると、フッサは更にフラネルを挑発しだす。
「おやおや……ではやはり今回の話は無理のようですねぇ。予め使える予算は決まっておりますし、何も子爵の土地にこだわらなくとも、他にも空いている土地はありますから。誠に残念ですねぇ」
「っ──何故お前がそんな事を言う!私が話しているのはエスクロス侯爵だぞ!」
フラネルはこの場にリュクソンが同席しているのを失念するほどに激高し始めた。その手腕と豪胆さは大したものだ。するとそろそろ話をまとめようというのか、レスターが間にはいる。
「まぁまぁ子爵、落ち着いて。フッサがこだわるのも理由があるのですよ。私としては貴方の土地を使わせていただければ僥倖ですが、事実フッサの言うように、予算は決まっております。そしてその中で収めるのが私の仕事だ。折り合いがつかなければ他の土地を使うまでという事ですよ」
「うぅむ……」
フッサに対する怒りが振り切れたことにより、逆にレスターへの抵抗が薄れている。これでより話を聞いてもらえるようになるのだろう。するととどめとばかりに、フッサがもう一言付け加えた。
「……他の土地を使うとなると、アングラの中枢入りの話も立ち消えですかな」
「何!?一体何の話だ!?」
フッサの“アングラ”という言葉に、フラネルがすぐさま反応した。アングラというのはフラネルの義理の息子のことである。僕が王宮で忙しくしている間、レスターは今回の交渉の為に既にアングラとの繋ぎをつけていたようだ。
「何って、子爵の土地を使うにあたって、貴族位の人間を事業の運営に関わらせるという話があるのですが……やはりそちらの土地が使えないとなると、他の人間を選ぶことになるでしょうかねぇ……」
「それは……!本当なのか!?アングラが……この事業に?」
義理の息子の名前は相当効果的だったようだ。フラネル驚きには目を見開き、それまで突っかかって話を聞こうともしなかったフッサに詰め寄っている。
実際はフラネルの土地であろうとなかろうと、アングラが事業に関わるのは決まっているのだが、フッサの言い回しは、お前の出方次第では義理の息子のチャンスが無くなるぞと言っているようなものだ。
「えぇ、非常に残念ですねぇ。彼は行政官だった頃からとても優秀でしたので、今一度私の下で働いてもらえるとありがたいと思っておりましたのに……」
さも残念そうな顔で仕方ないと言うフッサに、フラネルもしびれをきらしたようだ。
「分かった!フラネル家の土地を提供しよう!だが、アングラの事や貴族街の屋敷については、本当だろうな!?」
「えぇ、勿論本当ですよ。まだ事業の詳細は公表できない段階ですが、こちらの契約書にて約定を取り交わさせていただきますから」
にっこりと笑顔で契約書を取り出すレスター。フラネルの性格をわかった上での周到な交渉に、僕は舌を巻いてその一部始終を見守った。
こうして新規事業という名目上、フラネル家の土地を無事手に入れることができたのだ。




