16 悲しきマリオネット (レスター)
レスター視点過去回です。
それからの話し合いは大変だった。
先に部屋を出ていた令嬢がおおいに騒ぎ立て、事は既に私の父の知るところとなっており、彼は私が戻ってくるのを待ち構えていた。
「レスター、どういうことだ?」
父は静かな怒りを滲ませながら、私を問い詰める。
「……彼女とは婚約を破棄することにしました」
「……お前がどうしてもと言うから認めたのだぞ?」
「……すみません」
既に粗方の事情を聴いていたのだろう。父はそれ以上は何も言わなかった。
だがデイジーの父親、フラネル子爵の方はそうではなかった。彼は婚約破棄の旨を聞くと、憤然とデイジーの部屋へと向かった。そして──
「お前はっ──なんてことをっ!!」
──バシンッ!!──
フラネル子爵が振り上げた手が、思い切りデイジーの頬を打つ。そのまま彼女は大きく吹き飛ばされ、床に倒れ伏した。
私は彼女の父親の所業に驚き固まった。いくら娘のしたことが原因とは言え、大の男が何の加減もせずにいきなり殴るとは思っていなかったのだ。
「子爵落ち着いて!!」
彼の様子に、周囲も尋常ではないと感じたのだろう。更に娘を殴りつけようとする子爵を取り押さえ、彼女から引き離す。
「デイジー!大丈夫か?!」
「…………」
私はデイジーに駆け寄り、その身体を抱き起した。彼女の頬は痛々しいほど赤く腫れあがり、唇からは血が出ていた。あまりの悲惨な状態に、再度彼女の名を呼ぶ。
「デイジー!」
「…………」
だが彼女は私の呼びかけに答えない。まるで何も聞こえていないかのように、その目は虚ろだった。
彼女の様子がおかしいことに、私はここで初めて気が付いた。
デイジーはもしかしたら普通の状態でなかったのではないか?そんな疑問が己の中に生まれてくる。私はその真偽を確かめようと、彼女を更に抱き寄せようとしたのだが──
「レスター、彼女から離れなさい」
「ですが父上っ──」
「もう彼女はお前の婚約者ではない。これ以上エスクロス家に泥を塗るわけにはいかない。それはお前もわかるだろう?」
「……っ」
父が厳しい言葉で私を諭す。確かに婚約破棄を望んだのは私だ。侯爵家嫡男としての自分の役割もわかっている。それでも一度は愛した人が傷つく姿を見て、何も思わないわけがない。
デイジーを守るようにして腕に抱いていたが、父に命じられた使用人達が、私を彼女から引き離した。
「デイジー!」
「彼女はベッドで休ませてあげなさい。それと私達には話し合いが必要だ」
デイジーは使用人達に支えられ、隣の部屋へと連れていかれた。まるで人形のようにぐったりとした彼女の後ろ姿を見て、私は自分が何か大きな間違いを犯したのではないかと、そう思わずにはいられなかった──
その後、両家の間で話し合いが行われ、婚約は正式に破棄されることとなった。
だがデイジーが宝石を盗んだことは、公にするわけにはいかない。事を内密に収める為、件の令嬢とその父親、グスターク侯爵も呼ばれ、口止めにそれなりの金額を払うことになった。
そして招待客たちには、デイジーが怪我をしたと説明をし、婚約は延期となったと伝えた。延期とはいっても、後に怪我の具合が良くないという理由をつけて、子爵家の方から婚約を辞退することになっており、またその密約も交わした。
けれど実際は、フラネル家が原因での婚約破棄。フラネル家はエスクロス家に対して相応の違約金を払わねばならず、フラネル子爵はそのことに大いに憤慨していた。だが娘の犯した罪が公になるくらいならと、渋々その条件を飲んだのだ。
──こうして私たちの婚約は終わりを迎えた。
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それから暫くしたある日のことだった。
「え……?今なんとおっしゃったのです?」
「お前とグスターク侯爵令嬢との婚約が決まったと言ったのだ」
父に呼ばれ、彼の執務室へと入るなりそう言われた。私は彼が何を言っているか一瞬わからず、すかさず詰め寄った。
「何故?!どういうことです?」
「どうもこうもない。お前はもうすぐ20歳だ。次期侯爵として結婚を考えなければならないだろう」
「でもっ……」
父が勝手に婚約を決めてしまったことに、私は憤慨した。まだ世間的にはデイジーと婚約している状態だ。そんな中、他の家との婚約など冗談じゃない。
「まだ公にはされていない。フラネル家との婚約が正式に無くなってからだからな」
「……なぜグスターク侯爵家となのですか?」
私は父の言い分に到底納得がいくわけもなく、また相手があのグスターク侯爵令嬢というのも気にかかった。
「お前はあれが嫌、これが嫌と、これまで色んな令嬢を避けてきただろう。おかげでそれなりの家格の令嬢たちは皆相手がいる。若くこのエスクロス家に釣り合う家柄の娘は、ほとんど残っていない」
「だからと言って──」
「くどい!!」
「っ……」
「お前が、どうしてもと言うから子爵家との縁組を認めた!だが実際はどうだ?身分に釣り合わない娘は、とんでもない罪を犯し、まかり間違えばエスクロス家の名を汚すかもしれなかったのだぞ!?」
父はそれまでの冷静に諭すような物言いから、剣呑な表情となりその怒りをぶつける。
「いくら金を払ったとは言え、グスタークには弱みを握られたようなものだ。だがグスタークの娘には、幸いなことに婚約者がいない。縁組をすればこちらに不利になるようなことはないだろう」
「……っ」
父たちの思惑に、自分という存在が飲み込まれていくのを感じる。侯爵家の嫡男、宰相の息子という立場が、私を足元から頭の先まで覆い尽くしていく。それを止めることは──もはや出来ない。
「まだ正式なものではないが、グスターク侯爵令嬢との仲を深めておくように。これは命令だ。お前のわがままを聞くのは、こないだの忌まわしい婚約で最後だったのだからな」
「……わかりました」
私は唇を強く噛み締め、何とか返事をした。
愛を失った私は、己の心を殺し、愛してない女性を妻とする覚悟を決めたのだ。




