53 埋められた外堀
レスターと話した次の日の朝、僕はデイジーに会いに行った。起きている彼女と顔を合わせるのは久しぶりだったが、心配していたほど彼女は気にしていないようで、謝罪する僕に対し「エルまで倒れたのかと思っていたわ」と笑っていた。
だがそれも彼女なりの気遣いだったのかもしれない。僕はこれ以上間違わないようにと自分を戒めた。
それからの僕は、デイジーが心配しない程度に顔を見せつつ、王宮と柊宮とを行き来するようになっていた。王宮での仕事が忙しくなったのだ。
その主な原因は勿論、新規事業に関することだが、もう一つ大きな理由があった。アムカイラ共和国の使者、フライヤがやって来ることになったのだ。
『よう!エルロンド。元気にしていたか?』
『フライヤ、久しぶりだね』
王宮の客間で待っていると、煌びやかな使者の衣装に身を包んだフライヤがやって来た。様々な調整を経て、彼はアムカイラ共和国の賓客としてフィネストにやって来たのだ。
『アンタがいると落ち着くわ。使者なんて堅苦しい格好させられているからな』
『ははは!確かに。しかもその恰好でその口調。フライヤらしい。でもリュクソンもアムカイラ語わかるから、もうちょっと何とかした方が良いかもね?』
『げ!マジか!』
一応正式な使者であるのだが、僕と話す時は母国アムカイラ語だからか、口調はいつもの粗野なものである。
僕らが親し気に言葉を交わすのを、横でリュクソンが興味深げに聞いていた。既にフライヤの国王への挨拶は済んでいるのだが、リュクソンは僕と話すところにも同席したかったらしい。彼が僕の友人であると聞いていたからだ。
「なるほど、確かに使者殿はエルの友人なのだな」
「友人……というか恩人なんだけどね」
納得したように頷くリュクソンに、僕はそう言った。するとその言葉を聞きつけたフライヤが、すぐに嫌そうに眉を顰める。彼は表立って褒められるのが嫌いな男なのだ。
「恩人だなんて大げさな……成り行きでそうなっただけですよ」
「はは、これは面白い人物だ。エルが気に入るのもわかるな」
「ふふふ、そうだろう?でもそう言うと彼はもっと怒るんだよ」
「おぉ!それはなんと貴重な!」
このやり取りだけでリュクソンは随分とフライヤを気に入ったようだ。高位の者と対峙すると、どうしても自分の利益を考えて媚びへつらう者が多くなる。だからフライヤのような人間は珍しいのだ。
「……やんごとなき方々の考えることは、尊過ぎて理解が及ばない……」
僕らのやり取りを見て、フライヤは呆れたような声を漏らす。彼にとって、高位の者達と接するのは酷く疲れることなのだろう。だが素の部分が見えているということは、リュクソンのことは信用できると判断したようだ。
「まぁ、こればかりはリックの悪い癖だから仕方ないね。諦めるがいいよ、フライヤ。君みたいなタイプは、揶揄われる運命だ」
「よしてくれよ。そんなのはアンタだけで十分だって」
「ははは、仲が良いようで何よりだ。この調子でうちの連中ともよろしく頼むよ。何せアムカイラとの本格的な交流は、これが初めてだからね」
「わかっております、陛下。アムカイラの使者として、誠心誠意尽くす所存でございます」
「あぁ、使者殿。頼むよ」
国の話が出た所で、スッとフライヤの表情が引き締まったものになる。その姿に、彼が国の中枢でどれだけの困難を乗り越え、その立場にいるのかを知る。頼もしい限りだ。
「使者殿の紹介を兼ねて昼食会を開くから、エルも是非参加してくれ」
「あぁ、勿論。紹介ということは、今回の事業関係者が呼ばれているのかな?」
「あぁ、そうだ。そろそろ本格的な始動に入るからな。どういう目的があってこの事業がなされるのか、彼等だけでも先に知らせておかなければ」
「……そうやって、僕がアムカイラの大使から逃れられないようにする算段だね……腹黒いぞリック」
「何とでも言え。腹が白くて国王なぞやっていられるか」
「エルロンドさんをこうもやりこめる方がいらっしゃるとは……流石国王陛下ですね」
「だろう?任せておけ」
昼食会が催される意図に気が付いて苦言を呈せば、何故かフライヤが感心したようにリュクソンを褒めたたえた。そしてそれに応えるリュクソンも、まんざらではない様子だ。
二人のやり取りに苦笑しつつも、僕は素直に昼食会への参加を受け入れた。
その後リュクソンはもう一人客が来るからと言って部屋を先に辞し、僕とフライヤは客間で時間を潰した。暫くすると使用人が呼びに来たので、来客用の豪華な食堂へと移動する。
フライヤは初めて訪れるフィネスト王国の王宮に、興味津々の様子だ。隣にいるのが僕だけだから、取り繕う事無くキョロキョロと辺りを見回しては質問を繰り返す。
『おい、あれはなんだ?なんであんな風にゴテゴテと飾り付けている?』
『あぁ、あれは最近新しく考案された陶器の技法で――』
あれこれと子供のように質問を繰り返すフライヤに内心苦笑しつつも、彼がこうして自国にない文化を存分に吸収しようとしていることに感心する。今はただの知識でしかなくとも、それがいつか活かされる場が来るかもしれないから、フライヤのこうした好奇心は全て国の為なのだ。
『アンタ、何でも知っているな。本当に大使としては優秀だぜ』
『それはどうも。これでも商人として長年過ごしてきたからね。目利きもそうだし、様々な物に精通していなければならないから』
『あぁ、そうだな。アンタが相手なら今回のこともうまくいくだろうよ』
そんな風に会話をしていると、どうやら食堂に着いたようだ。既に何人かの要人が席に着いており、僕とフライヤを見て一瞬目を見開く。僕らは恭しく一礼だけして入室すると、案内されるままに席についた。
そうして幾ばくかも経たないうちに、リュクソンがもう一人の来客を連れて食堂にやって来た。一緒にいるのはレスターだった。
「やぁ、遅くなって悪いね」
「陛下──こちらこそ晩餐の席にご招待いただき、恐悦至極にございます」
遅れてやってきたリュクソンに、フライヤがすぐさま席を立ち、使者としての恭しい挨拶をする。先ほどまでの砕けた雰囲気など微塵も見せないのが、彼の凄い所だ。
「そんなに畏まらないでくれ。私が頼んで来てもらっているのだから、これくらい当然だ」
「そうおっしゃっていただけて、大変恐縮でございます」
平身低頭で柔和に微笑むフライヤは、いかにも隙の無い使者そのものだ。祖国アムカイラの為なのだから当然だろう。
するとレスターがじっとフライヤを見ているのに気が付く。彼は使者がここにきているとは知らされていなかったらしい。リュクソンは可笑しそうに笑みを浮かべると、先にレスターをフライヤに紹介した。
「彼はレスター・エスクロス侯爵。我が国のブレーンだ」
リュクソンは本心からそう言っているのだろうが、レスターはその紹介の仕方に些か不満を感じたようだ。他国の使者に対してあまり大げさに紹介しないでくれと言ったところだろう。
だがすっと表情を引き締めると、思いもよらぬ挨拶をした。
『……レスター・エスクロスです。ブレーンとまではいきませんが、陛下には重用していただいております』
レスターがアムカイラ語で話しかけたのだ。そのことにフライヤだけでなくリュクソンも驚いている。勿論僕もレスターがアムカイラの言葉を話せるとは思っていなかった。
『あぁ!貴方は我が国の言葉を喋られるのですね!素晴らしい!』
母国語で話せる人物がいて、フライヤも余程嬉しいのだろう。大仰に喜びを表現してレスターへと詰め寄る。そのあまりの喜びように、粗野な口調になりやしないかと僕の方が冷や冷やしたくらいだ。
そんな心配をよそにフライヤは姿勢を正すと、再び礼儀正しい使者の姿へと変貌する。
『自己紹介が遅れました。私はフライヤ・マネスト。ご存じの通りアムカイラ共和国から来ました』
レスターはやはりと言ったように頷きを返す。きっと衣装や態度から、フライヤがアムカイラからの使者だと気が付いたのだろう。だがそれをわかった上で、アムカイラ語まで話せるとは予想もしていなかった。
『アムカイラの衣装は流石に美しいですね。この幾何学模様も独特だ』
『我が国の言葉といい、貴方は大変お詳しい。アムカイラにいらした事があるのですか?』
『えぇ、以前は長く国外におりましたので、アムカイラにも滞在した事がございます』
『そうでしたか!祖国にゆかりのある方とお話できるのは嬉しいですね』
その会話の内容に、僕はどういうことなのか納得した。
(そうか……レスターはデイジーを探して諸国を回っていたらしいから、きっとアムカイラにも来たことがあるのだろう……)
言葉を話せるくらいに長い期間、アムカイラにいたということだ。改めてレスターに申し訳ないことをしてしまったと、唇を噛み締める。
自国でも影響力のある家柄であるのに長年諸外国に身を置くということは、レスターはそれだけの覚悟を持っていたのだ。デイジーただ一人の為に。
(本当に……リュクソンの言う通りだな。レスターほどの男なら、僕の心配していることなどあっと言う間に解決してしまいそうだ)
土地の件だけではない。例えデイジーの血筋の件が公になったとしても、レスターならその全てを受けれいて守ってくれるだろう。それだけの知識と力、そして覚悟を持っているのだから。
話が弾む中、リュクソンがようやく上座の席についた。同時に皆も着席し、それを合図として料理が次々に運ばれてくる。フライヤをもてなす為の豪勢な料理だ。
食事を楽しみながら、アムカイラとの今後の展開についての話が進んだ。フィネスト王国側の外交官の姿もあるから、この食事会は建前ではなく本当に仕事の一環なのである。
「それで貴国の元首は、此度の我が国の建国祭へ参加されるという事ですな?」
食事を取りながら、リュクソンがフライヤへと話しかける。建国祭というのは毎年初夏の頃に行われるフィネスト王国の建国を祝う祭りの事である。今年はリュクソンの治世に代わって二十年の節目の年である為、大々的に行われる予定で、異国の要人の参加も多く見込まれているらしい。
「えぇ、我が国も参加の予定で調整しております」
「それはありがたい。貴国とはこれからもっと交流が深まっていくだろう」
「そうですね。こちらこそ色々とご協力いただき、大変助かっております。もし事が成った暁には、これまで以上の友好関係を築く事ができるでしょう」
フライヤとリュクソンのこの形式ばった会話は、食事会に参加する面々へのある種のパフォーマンスだ。既にこの会話の内容は謁見の時になされていたはずだから。
するとそれまで黙って会話を聞いていたレスターが、リュクソンへと発言の許可を求めた。
「僭越ながらよろしいでしょうか、陛下」
「なんだい?レスター」
リュクソンはレスターが声をかけてくるのが分かっていたかのように、にっこりとそちらへ視線を向けた。
「建国祭で……何か特別な催しでもあるのでしょうか?」
「ふむ……何故そう思うのかな?」
「……昨年の年末から進めている事業──異国の要人をこの国に受け入れる為の屋敷の建造が、丁度もうすぐ終わります。普段は土地についてしかあまり関わらないのですが、屋敷を建造するにあたって、建築様式について相談を受けたのです。──アムカイラの建築はどのようなものかと」
レスターの言葉に、リュクソンが満足げに微笑んだ。まるで子供の成長を見守る父親のようで、穏やかな目つきで頷いている。
「……流石、我が国のブレーンだな。天国の君の父上もきっと満足しているだろう」
「父はまだまだだと言うでしょうね。私が宰相の道を志さなかった事を、ずっと怒っていましたから」
「前エスクロス侯爵も、今のエスクロス侯爵がどれだけ国に貢献しているか知っている。それは私が保証するよ」
「陛下……」
リュクソンからの褒め言葉に、レスターは恥ずかしそうにしながらも笑みを浮かべた。リュクソンはレスターを息子のようだと話していたが、レスターの方もリュクソンを父親のように慕っているのだろう。その微笑ましい関係に、僕も思わず笑顔で彼らを見守った。
「レスター、君の言う通りだ。異国の大使を受け入れる施設は、次の建国祭を目途に作らせていた。……そしてその大使を受け入れるのも建国祭に合わせて見込んでいる」
「……そう言う事でしたか」
レスターは少ないヒントだけで、すぐに答えを導き出したようだ。彼が優秀なのは評判だけではない。その冬空色の瞳は、しっかりと僕を捉えていた。
「フリークス氏が、大使としてこちらへ滞在するのですね」
その言葉に、一瞬部屋に沈黙が訪れる。リュクソンはこの場でそれを公表するつもりでいたのだろう。使用人達は既に退室しており、この案件を預かる人物達しかここにはいない。
ややあって、リュクソン本人の口から、面白がるような微笑と共に、肯定の言葉が紡がれた。
「……そう言う事だ。本人はまだどうなるか分からんと言っているがな。ここまで来ておいて今更無理だというのも困るのでな」
「リック……そうして外堀から埋めてこようだなんて、君も随分と人が悪くなったもんだな」
周囲へ向けてのパフォーマンスと、大使としての僕を逃がさないという宣言。それを同時にやってのけたリュクソンには脱帽だ。為政者としての真価を垣間見た気がする。
僕は呆れつつも一応は乗り気でないという姿勢を表にした。そもそもリュクソンとフライヤ以外にとって、僕はただのしがない商人でしかないのだから。
「まだどうなるかは分からないですよ。私ではない人物が大使になる事もあると、そう思っておいていただかなければ」
「いずれにせよアムカイラ共和国とフィネスト王国が、恒久の友好関係を築く礎となる事は間違いないでしょう。必ずや成功させましょう」
「そうだな。皆、頼んだぞ」
こうして食事会で僕の大使就任がほぼ確定したのだった。




