52 エルロンドの懺悔
「エルも酷い顔色だな。一気に老けたんじゃないか?」
僕は今、王宮にあるリュクソンの執務室にやって来ていた。顔を見るなりリュクソンが揶揄うような口ぶりでそう言ってくる。
「まぁ……そうだね。僕もってことは……レスターに会ったのか?」
「あぁ、さっきまでここにいたからな」
僕の問いに、リュクソンはあっさりとそう答える。
朝方、デイジーが目覚めた後、レスターは柊宮を出た足でそのまま王宮へと顔を出したようだ。
一方の僕は、一旦はデイジーの部屋に行ったものの、まだ熱があるようだったからそのままにして、レスターが柊宮に滞在できるように準備を整えていた。それがひと段落して王宮へとやって来たのだが、どうやらレスターとは入れ違いになったようだ。
「そうか……それでレスターとは何を話したんだ?」
レスターについてリュクソンが何か言いたげな口ぶりだったので、僕は自らそれを聞くことにした。
「まぁ仕事の話とか色々な。後はエルとデイジーのことを少し」
「それって……僕らのことを話したってことか?どこまで?」
秘密にしておいて欲しいと言ったのに、あっさり約束を反故にしたリュクソンに思わず詰め寄る。だが彼は一つも悪びれた様子もなく、真剣な眼差しを返してきた。
「レスターは信頼できる男だ。お前が思っているよりもずっとな。いい加減全部を知らせた方が良い。その方が上手くいく」
「でも……」
「エルは少し心配しすぎだ。まぁその気持ちもわからんでもないが……」
僕が渋ると、リュクソンは呆れたようにため息をついた。彼は初めからレスターには全てを話すべきだと何度も言っていたから、必要以上に心配して隠すのが気に食わないのかもしれない。
「レスターは生真面目で不器用な男だが、頭も切れるし、ああ見えてかなり強かな性格だぞ。エルがあれこれ隠していた所で、そろそろ真実にたどり着くさ。私が与えたのはちょっとした助言だけだがな」
「リック……」
リュクソンは言外に約束は破ってないのだと言った。自信満々にそう言うからには、嘘ではないのだろう。簡単な助言だけでも、レスターが答えを導き出すと信じているのだ。
「お前の心配だからという言い訳は、所詮娘を取られたくない父親の我が儘だよ。虚しい抵抗だからさっさと諦めたらいい」
「……」
留めのようにそう指摘されてしまえば、もはや何も言い返せない。確かにそう言う感情の動きがあったのかもしれない。レスターと実際に会うまでは、娘を傷つけた男だと警戒もしていたのだから。
黙り込んでしまった僕を仕方ないなと言うように、リュクソンはフッと笑みを零す。
「気を紛らわせたいのなら、いくらでも仕事はあるぞ?何せここは王の執務室なんだからな?」
「……手伝ってほしいのなら素直にそう言えばいいのに」
「はは、すまん。建国祭に向けて立て込んでてな。よろしく頼む」
不満げに返す僕に、リュクソンは悪びれもなく頼んでくる。だが建国祭の為だと言われてしまえば無下に断る事もできない。何せ僕とデイジーにとっては、重要な意味を持つ催しだからだ。そうして僕はリュクソンに頼まれるままに、その仕事を手伝うことにした。
結局、王宮から柊宮に戻って来たのは、夜のかなり遅い時間だった。離宮にはレスターがいるから、デイジーのことは彼に任せておけばいいと思っていたのだが、彼の方はそうは思っていなかったようだ。
「あまりに遅いので、デイジーが心配していましたよ。貴方の顔をずっと見ていないのだと、寂しがっていました」
「……申し訳ない」
夜遅くにようやく戻った僕に、レスターは厳しい目を向けて僕を叱責した。彼は何故デイジーの側にいてやらないのかと憤慨しているようだ。
(朝にもレスターから言われたばかりなのに、これでは全くダメな奴だと思われているのだろうな……)
だがデイジーが未だに夢でうなされていることを知った僕は、起きている彼女に会いに行く勇気が持てないでいた。だからこそ王宮で仕事に逃げていたのだ。
デイジーは未だ僕とディアナに酷い罪悪感を抱えている。今回倒れたことで再びその傷が広がってしまったらと思うと、起きている彼女に会うのが怖かった。
すると僕のその表情の変化に気が付いたのか、レスターが眉を顰めた。
「……デイジーと何かあったのですか?彼女は貴方に避けられているのではと、不安に思っているようです」
「……それは……」
レスターの言葉にドキリとする。自分の想像ばかりでデイジーの気持ちを量っていたが、客観的に見ればレスターの言う通りだ。
「フリークス殿、貴方がデイジーを大切に想っているのはわかっています。けれど今の状態は……彼女を傷つけるかもしれないとは思いませんか?どうか話してください」
「……あぁ……本当に……」
僕は自分がしていたことの愚かさに、打ちのめされた。僕がデイジーに会いに行かなければ、彼女は余計に不安に駆られるだろう。それなのに、僕は彼女と対峙するのが怖いという理由だけで逃げたのだ。
(リュクソンの言う通りだ……僕みたな弱い心根ではデイジーを傷つけるばかりだった。……だからこそ、レスターには真実を告げるべきなのだろうな……)
大きく息を吐くと強張っていた体から一気に力が抜け、僕は近くのソファに身を沈めた。そして額に手を当てて目を瞑れば、これまで自分が犯してきた数々の過ちが脳裏を過ぎった。
「……私は本当に不甲斐ない男だな……」
「フリークス殿……」
「エスクロス卿……すまない……本当に君の言う通りだ」
リュクソンにも、何度も指摘されてきた。レスターからもだ。それなのに僕はいつも愚かな選択をしてしまう。最早これは宿業と言っても過言ではない。
懺悔するように見上げれば、レスターが痛ましい表情でこちらを見つめていた。
「……思い知らされたんだよ。私が正しいと思ってしてきたことが、間違いだったのだと……」
「それは……」
「私はあの子に傷ついて欲しくないと、そう思っているのに、あの子を正しい姿でいさせてあげることができなかった。もっと早く……過去と対峙させるべきだった……いやもっと早く私が……」
小さく床に落ちて消えていく言葉たち。それはこれまで僕が犯した罪の数々だ。
僕がもっと早く二人を見つけていれば。
デイジーを自分の娘だと胸を張って言えていれば。
愛を失ったデイジーに過去と向き合わせていれば。
そうすれば、デイジーは自分の幸せの為に生きられたかもしれないのに。
(僕がそれを許さなかったんだな……ディアナを失った悲しみを埋める為の慰めとして……)
自ら突き付けられた罪は胸を深く貫き、後悔と言う名の血を流させた。例え懺悔したところでその罪が軽くなるわけでもない。失われた時は二度と戻らないのだから。
重く横たわる沈黙の中、レスターが低く呻くような声で問いかける。
「……貴方がたは……デイジーと貴方は……夫婦ではなかったのですね?」
その意味を一つ一つ確かめるように、レスターは慎重に言葉を紡いだ。それはまるで神罰が下されたような瞬間だった。
「……そうだ」
神の前で全てをさらけ出すように粛々と頷きを返せば、レスターが一瞬、身体を強張らせた。それが怒りによるものか、悲しみによるものなのかはわからない。僕はただじっと彼を見つめて、続く言葉を待った。
「……フラネル子爵は、デイジーが商人の妻になったのだと言っておりましたが……そうではなかったという事ですか?」
レスターは震えそうになる声を必死に押さえつけ、更に問いを重ねる。彼にとっては長年デイジーを探し求める事になったのだから、真実が知る権利がある。
「いや……彼は真実そう思っていて、私にディーを売ったのだよ。むしろ私はそう思い込ませて彼女をあの屋敷から連れ出したんだ」
「何故?貴方は一体……」
僕は拳を強く握り込み、床をじっと睨みつけて答えた。言葉にすると当時の怒りが鮮明に蘇ってくる。あの時から僕は、娘を正しい姿でいさせてあげられなかった。もっと僕に力があれば、彼女を救うことが出来たかもしれないのに。
だがレスターは僕の言葉の意味が分からなかったのだろう。困惑の色を深めるレスターに、僕は痛ましい事実を伝えた。
「あの子は……ディーは……虐待を受けていたんだ。あの男に」
「!!!」
レスターが息を飲む。そして自分を責めるかのようにして唇を強く噛んだ。握りしめた拳は小さく震え、食い込む爪に今にも血がにじみ出てきそうだ。
僕はレスターの怒りに胸を痛めながら話しを続けた。彼にはどんなに痛ましい過去だとしても、全てを知る権利があるのだ。
「私が見つけた時は、それは酷かった……すぐにでも助け出さなければ、彼女は死んでしまっていたかもしれない……」
「そんな……」
「だから私は何がなんでも、金をいくら要求されようとも、ディーをあの家から連れ出したんだ。それこそ妻にするとなんとでも偽ってね」
「……デイジーがそんな目に合っていたなんて……私のせいです。私が彼女を突き放してしまったから……っ」
僕の話を聞いて、レスターは自分のせいだと感じたようだ。あの時、自分がデイジーを見捨てずにしっかり守っていればと。
「……彼女があれだけ怯えて、取り乱していたのはそれが原因だったんですね。私は何と言うことを……」
今にも崩れ落ちそうなほどに意気消沈するレスター。だが全ての原因が彼にあるわけではない。もっとも罪深いのは僕自身なのだから。
「……本当に罪深いのはこの私なんだ……」
唐突に紡がれた懺悔の言葉に、レスターが目を剥く。
「それはどういうことですか……?一体貴方は何者なんですか……?」
「……私が何者であるのか、彼女が何者であるのか……それを証明できるかどうかは……今はまだ……」
厄介な血筋のせいで、僕らの運命は大きく変わってしまった。愛と幸せはすぐ側にあったはずなのに、それらは指の間をあっと言う間にすり抜けて落ちていったのだ。
ただの平民として生まれていたら、どんなによかっただろう。ディアナと二人、近所の幼馴染として出会い、普通の夫婦として一緒に暮らして。皆に祝福される中、娘が生まれて、その可愛らしい成長を見守って──
けれどそれは何一つ叶わなかった。僕らがどんなに望んでも、その生まれを変えることは出来なかったし、過ぎ去った過去は二度と戻らない。
今はただ、失った本当の姿を取り戻すことだけが、未来に繋がると信じて進むしかない。
改めて僕は、じっとこちらの言葉を待つレスターを見上げた。その冬空色の瞳は強い意志を宿し、激しい情熱をそこに孕んでいるように見える。
(レスターならきっと、デイジーを正しい姿に戻してくれるだろう。そしてきっと……幸せにしてくれるはずだ)
僕はそう願いを籠めて、彼の手を握った。
「もしその時が来たら……彼女が本当の姿に戻れたら……その時はどうか……デイジーを頼みます──」
そう言って僕は、神に祈りを捧げるようにして目を閉じた。




