47 必要な覚悟
柊宮での会合の後、僕はリュクソンと共に王宮へと行き、そこで工場建設に関する資料の作成をしたり、様々な調整をしていた。結局戻ったのは日暮れ前で、丁度レスターと外出していたデイジーも戻って来ていた。
「ディー、おかえり」
「エル……ただいま」
声を掛ければ、デイジーはどこか疲れた様子をしている。僕はすぐにレスターとのことを聞いてみた。
「彼とのお出かけはどうだった?」
「……別に、普通だったわ」
僕の期待とは裏腹に、デイジーはすぐに困惑した表情を浮かべて顔を背けてしまった。まるで自分の中にある感情に、折り合いをつけられないとでもいうように。
「そう?もっとゆっくりしていっても良かったのに」
「エル──いくら何でも相手は侯爵よ?無茶を言わないで。それに私たちはもう過去の関係なのだし……」
デイジーはそっけなく言い放つ。彼女はレスターとの関係を進めるつもりはないと、そう言いたいのだろう。だがそれではこの国に戻った意味がない。
「おや、そんなことを気にしているのかい?僕は君たちがもう一度そうなってくれれば嬉しいと思っているよ」
「エル!!」
敢えておどけた様子で本心を伝えてみれば、案の定、デイジーは少し感情的になった。彼女がレスターを意識している証拠だ。
(その荒れ狂う感情の中にこそ、君の本当の望みがあるんだよ、デイジー)
僕は何とかその気持ちにデイジーが気付いてくれることを祈りつつ、それ以上刺激してもダメだと思い、自室へと戻った。
その翌日──
「え?妹さんかい?」
「えぇ……そうなの。昨日、偶然視察先で出会って……」
朝食の席で、デイジーから意外な告白をされた。昨日の視察先で、フラネル家で暮らしていた時の義理の妹であるサビーナと再会したというのだ。
「サビーナが今度ゆっくり話したいって言っているんだけど、こちらに招待しても大丈夫かしら?」
「それは勿論、構わないと思うけど……大丈夫なのかい?」
デイジーがフラネル家を出た時のことを考えれば、正直、サビーナとの再会はあまり歓迎できるものではない。だがデイジーは穏やかな笑みを浮かべて僕に語る。
「そうね……なんていうか、サビーナも随分大人になっていて……私ももっと彼女と話してみたいと思ったのよ」
「そうなんだね。デイジーがそうしたいなら、是非会うべきだと思うよ」
「ありがとう、エル」
僕の了承得られて、デイジーは嬉しそうに笑った。それは心からこの再会を喜んでいるようで、僕は何だが複雑な気分になる。
(デイジーが傷つくのを嫌がって、このフィネストから遠ざけていたけれど……それは僕のエゴだったのかもしれない……)
デイジーが傷つくのが嫌だと言い訳をしておきながら、本当の所は自分が嫌だったのだと思い知る。
生まれ育った国、義理の家族、そして愛した男。その存在を思い出す度に、デイジーが側からいなくなってしまうような気がして、僕はフィネストに関するものを遠ざけ続けた。過去との対峙を恐れていたのはデイジーではなく、僕自身だったのだ。
(本当に……僕は間違ってばかりだ……リックやレスターの方が、よっぽど現実を見ている……)
自分の愚かさにため息を吐きたくなる。だがそれを見せぬようにと、笑顔でデイジーに話しかけた。
「日にちと時間を教えておいてくれ。僕も君の義理の妹に会ってみたいから」
「エルも会ってくれるの?」
「姉妹水入らずの時間を邪魔しない程度にね。それにお茶や食事をするなら、その準備も必要だよ」
「わかったわ。ありがとう、エル」
僕が同席するとわかると、デイジーは嬉しそうに笑顔を見せる。その様子に内心ほっとしていると、彼女は意外なことを口にした。
「サビーナと会う時、多分レスターも一緒になると思うの」
「レスターが?」
「えぇ。サビーナはフラネル家の娘だし……その、本当なら柊宮に来る理由が無いから、レスターにその辺の都合をつけてもらおうと思って」
「あぁ……なるほど」
フラネル家の娘であるサビーナが柊宮に来ると知られれば、あの男──フラネル子爵が下手に勘ぐってくる可能性がある。それは最も危惧すべきことだ。だがレスターに任せておけば、柊宮でサビーナと秘密裏に会うことも、何の問題もないだろう。
(……これはサビーナに感謝だな。)
レスターのことを話すデイジーは昨夜よりもずっと穏やかで、素直に会うのを楽しみにしているようだ。勿論、サビーナに会うのが楽しみなのかもしれないが、それでもレスターとの仲が進展しているようで喜ばしいことである。
「僕の方の予定はいくらでも調整できるから、早速レスターたちと都合をつけるといいよ」
「えぇ、そうさせてもらうわ。ありがとう、エル」
デイジーはにこやかにそう告げると、早速朝食後にレスターへ向けて手紙を書くのだと自室へと戻っていった。
********
その後、フラネル家の屋敷を手に入れる為に進めていた工場建設の話が、本格的に進むことになった。王宮で正式に会合が開かれることになり、それに事業の発案者として僕も参加することになった。
「皆、今日集まってもらったのは他でもない。ここにいるエルロンド考案の工場建設の件だ」
資料が配られ、まずはリュクソンが大まかに説明をしていく。それと同時に各部署に指示も出していった。
「テラーにはこの織機の技術を他にも応用できないか、その点も考えてもらいたい。織物だ産業だけでなく、別の側面からもアプローチを試みたい」
「わかりました」
「行政官庁のフッサには、原材料となる綿花や麻、絹などの流通について、各所領と連携して欲しい。また織物に関して指導のできる人物の選抜を頼む。いずれは浸透していく技術だろうが、今はまだ極秘扱いだ。なるべく慎重に頼む」
「心得ましてございます」
「国外の交易については、まだ確実に進行できるか分からない段階であるが、いずれはそれも視野にいれている。周辺諸国の織物の流通や流行などの情報が欲しい」
「すぐに調べて情報を集めましょう。その分野に強い各国商会との繋ぎをつける段取りをしておきます」
「それがいい。よろしく頼む」
集められた者達はみな精鋭ぞろいなのだろう。すぐに自らのすべきことをすぐに理解しているようだ。そして各自で質問や意見をどんどん交わしていく。
「すぐに事業に関わる人員を選抜しないといけないな。なるべくならこの分野に強いやつがいい」
「各部署との連携はどうする?足並みが揃わないと不具合もでるだろう?」
「そうだな。それは──」
「土地についてはエスクロス侯爵にお任せしておけば、まず間違いないですね。貴族の土地だろうが何だろうが、調達してくれるでしょうから」
「あぁ、任せておいてくれ。既に算段は色々と考えている」
「それは頼もしい。では土地はそこを使えるという前提で調整していきましょう」
「では工場の土地が王都の南西部だとすると──」
そうして数時間にも及んだ会合は無事に終わり、各部署で様々な調整が行われた後、本格的に始動することになった。
フラネル家の土地利用についてが最も気がかりであったが、他の担当者からも賛同を得られ、内心ほっとしていた。そこは先にレスターへ頼んでいたことが功を奏したのだろう。
担当者たちが会合に使われた部屋を出て行く中、リュクソンが声を掛けてきた。
「土地については上手くいきそうだな。それでデイジーたちの方はどうなんだ?」
「……まだ始まったばかりじゃないか。気が早いよ、リック」
「そんなことはない。エルの目的は事業なんかではなく、デイジーたちのことだろう?」
「まぁそうなんだがね」
前のめりで聞いてくるリュクソンに、思わず苦笑する。彼はデイジーとレスターの仲がどれだけ進展したのか、かなり気になっているようだ。
「それでどんな感じだ?」
「今日、柊宮にデイジーの妹のサビーナがやってくるんだ。レスターが色々と調整してくれてね。後でみんなでお茶をするんだよ」
「ほう、そうなのか?私も行ってみようかな」
リュクソンにこの後の予定を告げれば、とんでもない答えが返って来た。勿論、その提案はお断りだ。
「いきなり国王が来たら、落ち着いて話せないだろう?リックは少しは遠慮というものを覚えたほうがいい」
「冷たいなぁ、エル。ならレスターに頼もうか……と、もういないのか。アイツは」
「そのようだね」
レスターは会合が終わるとすぐに出て行ったようだ。デイジーが待っているから、急いで柊宮へと向かったのだろう。
「アイツも必死だな。デイジーと会える機会があるとなれば、目の色が変わる」
リュクソンがくすくすと可笑しそうに笑う。だがその笑みは、まるで親が子を慈しむかのように穏やかなものだ。
「この分なら二人の仲も大丈夫そうだ。後はお前たちのこの国での身分と地位の確立さえできれば、デイジーとレスターの結婚に誰も文句は言わないだろう」
「結婚か……そうなってくれれば嬉しいが……でもまだどうなるかわからないんじゃないか?」
「いいや。レスターがデイジーを二度と失わないように、絶対結婚はするはずだ。もし周囲に反対されたとして、それで二人が引き裂かれそうになったら、きっと駆け落ちも辞さないと思うぞ?」
「まさか……そこまでは……」
「駆け落ち同然でディアナと一緒になったお前なら、レスターの気持ちがわかるはずだろう?ましてや一度は離れ離れになった二人だ。別れるという選択肢は、少なくともレスターの中にはないだろうよ」
「……確かに……そうだね」
リュクソンの言うように、二人がそういう未来を選択する可能性もあるのだ。思わず想像してしまい、嫌な汗が背中を伝う。
駆け落ちなどせずに、皆に祝福された中で一緒になって欲しい。そう思うのは親としては当然だ。僕自身、それで家族と離れてしまったから、余計に後悔させたくないと思うのかもしれない。
「だからそうならなくて済むように、我々が周囲の環境をしっかり整えてやらないといかん。そうだろう?未来のアムカイラ大使殿」
「……あぁ、そうだね。確かにそうだ。わかったよ」
リュクソンは二人が駆け落ちしないように、僕にアムカイラの大使としての地位をしっかり確立しろと言っているのだ。デイジーがこの国で安全な身分でいられるように、レスターとの仲を誰にも邪魔されないようにと。
うまいこと丸め込まれたような気もするが、リュクソンの言うことは最もだ。もし万が一、二人が望まぬ未来を選択しなければならない状況になったら、大使が嫌だなどと言っている場合ではない。
(一度捨てたはずの身分……それがまたこうして取り戻すことになるなんてな……)
僕は複雑な気持ちになりながらも、リュクソンへ頷きを返したのだった。
王宮での会合の後、一人遅れて柊宮に戻れば、既にレスターも到着しているようで、すぐに客間へと案内された。
「エル!帰っていたのね」
「あぁ、遅れてすまないね」
デイジーが真っ先に私の存在に気付き、席を立つ。会話を中断させてしまい申し訳なく思っていると、デイジーは気にするなと笑顔で首を横に振った。
「いいのよ。話をしていたらあっと言う間だったから。さ、こっちに座って」
促されるように席に着けば、目の前の女性がじっと僕の顔を見ているのに気が付く。濃い色味の艶やかな髪に、少し吊り気味の目は気が強そうな印象だ。彼女がデイジーの義理の妹のサビーナかと思ったその時、思いもよらぬ台詞がその人物から発せられた。
「……え?本当に貴方がお姉様の夫なの?」
「っ……」
咄嗟のことで、何と返答すればいいか言葉に詰まってしまった。向けられたその視線は、明らかに僕を訝しんでいるようで、少々複雑な気持ちになる。
勿論、僕はデイジーの夫ではないし、だからと言って全ての真実をこの場で明らかにはできない。いずれ伝えるとしても、それは今ではないのだから。
誤魔化すように曖昧に微笑めば、サビーナは益々その眉間に皺を寄せた。そして今度はデイジーの方へと顔を向ける。
「お姉様を買った悪徳商人だと思っていたのに、凄く意外だわ!聞いていたのと違うじゃない!」
「サビーナ!」
「あ、あら……ごめんなさい。ついうっかり」
デイジーがサビーナの言動を叱咤すれば、ハッとしたようにサビーナが口元を手で押さえる。思わず口をついて出てしまったというその姿に、笑みがこぼれる。
「ふっ……」
「エルは悪徳商人なんかじゃないわ!ちゃんとした商会の会長をしていたんだから!」
「そ、そうなのね。ごめんなさい。エルロンドさん……」
「いえ……大丈夫ですよ」
(あぁ……聞いていたよりもずっと、サビーナとの関係はデイジーにとって良いものなんだな……)
かつてはすれ違い、離れ離れになった姉と妹。彼女たちは血こそ繋がってはいないが、今この二人の姿を見て、誰がそのことに気が付くだろう。気安い言葉の端々に互いを思う心を見て取れて、僕は思わず微笑んだ。
「でも本当に商人に見えないくらい素敵な方だから、びっくりしちゃって……」
サビーナの素直な言葉に、どう返答しようか少し悩む。彼女はデイジーのことを思って、先ほどのような発言をしたのだろう。その素直な気持ちと謝罪に、僕の方は嘘を重ねなければいけないのが、正直心苦しかった。
「ご想像にお任せしますよ。どうも私は商人らしくないと言われますのでね。もしかしたら他の方には別人に見えているのかも」
結局真実を告げるわけにもいかず、誤魔化すように曖昧な表現で留めれば、サビーナはわかったようなわからないような、なんとも言えない表情をした後、すぐに次の話題へと話を振っていた。
その後も会話は弾み、思いもよらず楽しい時を過ごすことが出来た。きっとサビーナが、デイジーとレスターの良い緩衝材になっているのだろう。三人で楽しそうに話す姿は、まるで一つの家族のようだった。
その光景に、僕はあるべき未来の姿を垣間見た気がして、思わず胸が熱くなる。涙が滲みそうになり慌てて顔を逸らせば、ふとこちらを見ているレスターと目があった。
「…………」
「……?どうかしましたか?」
「……いえ……」
何かを言いたげなその視線に問いかければ、レスターはバツが悪そうに目を逸らした。
(僕とデイジーの関係がなんなのか分からなくて、気になっているのかもしれない……)
レスターは、リュクソンからもはっきりとは僕らの関係を聞いていないのだろう。デイジーの血筋を証明するものを手に入れるまでは、誰にもこの真実を告げないで欲しいとリュクソンには頼んであるから当然だ。
(だがレスターが僕とデイジーとの関係を疑って、二人の仲が拗れるようなことになってしまったら……)
どこか切ない表情でデイジーを見つめるレスター。その姿に胸が騒めくのを感じる。
確かに互いを思う気持ちがあるはずなのに、デイジーとレスターの間には見えない壁のようなものが存在する。それはデイジーだけではなく、レスターの側にも言えることだ。
それが僕とデイジーとの関係がはっきりしないせいだとしたら、真実を秘密にしていることがどれだけ罪深いことか。
それをわかっていながら秘密を明かすだけの勇気がない僕は、そっと視線を落とした。そこにあるのは年老いてしわがれた自分の手。この手が娘を守る役目はもうすぐ終わる。それはレスターの役目になるからだ。
(きっと……うまくいく……大丈夫……)
何度も不安に駆られては、それを誤魔化して前へ進んできた。本当に大切な物を失った過去があるから、僕は誰よりも臆病で心配性の人間だ。二度とあんな絶望を味わいたくはない。
だけど僕らが進む道は、未だ不確かなものでしかない。間違った道を選んで失敗する可能性だってある。それが怖くて仕方ないのだ。
それでも求める未来は、ただ一つ。デイジーの幸せ。
今の僕にできるのは、本当に望む未来を目指して、ただ前に進むことだけだった。




