44 レスター・エスクロスとの邂逅
リュクソンに招かれて僕とデイジーは柊宮での茶会に参加した。そこで暫く別行動をしていたのだが──
「……ディー……?」
茶会の端で具合悪そうにしているデイジーの姿が目に入った。僕は慌てて彼女に駆け寄る。
「ディー!大丈夫か!?」
人混みを掻き分けて行けば、椅子の背に手をついて何とか立っている様子のデイジーと目が合った。顔は酷く青ざめて、何かに怯えているように見える。
「エル……」
「ディー……酷い顔色だ」
そっと彼女の体を抱き寄せれば、ほっとしたように強張った体が緩むのを感じた。その様子が、かつて彼女をこの国から連れ出した時と同じに思えて、僕は胸が軋むのを感じた。
(……やはりこの国に来たことで、デイジーの心の傷が開いてしまったのかもしれない……)
「ディー……泣かないで。大丈夫、大丈夫だから……」
涙を零すデイジーの頬に優しく口づけを落とす。彼女の心が過去の恐怖から解放されるようにと願いながら。
僕の言葉に小さく頷いたデイジーは、顏を上げて笑顔を作った。
「大丈夫よ。……ごめんなさい。ちょっと疲れてしまって……」
(あぁ……やっぱり無理をしている……すぐに休ませないと……)
王都についてすぐにこの場に来たのだ。旅の疲れもあるだろう。何より今の彼女の様子は、明らかに精神が参っている。そしてそれを無理やり誤魔化している状態だ。
すぐにでも休ませなければと思っていると、デイジーは僕の腕から抜け出して、ある方向へと体を向けた。そこには一人の人物が立っていた。誰だろうと思っていると、デイジーが驚くほど冷たい声音で口を開く。
「大変申し訳ないのですが、気分が優れませんので、どうか退席することをお許しください。エスクロス様」
「っ──!」
(……彼が……レスター・エスクロス……)
目の前の彼──レスターは、デイジーの言葉に酷く傷ついた表情を見せた。だがデイジーはすぐに視線を逸らしたので、それに気づいてはいない。彼女は僕へ顏を向けると、少し甘えるようにして縋った。
「エル、ごめんなさい。折角の茶会だけど、気分が悪いので退席させていただくと、陛下に伝えてくださるかしら?」
「……あぁ、勿論。後で伝えておくよ。──さぁ、腕に寄り掛かって。リックが既に部屋を用意してくれているはずだから」
(……怯えていたのは彼が原因か……こんなにも青ざめるなんて……)
僕は、デイジーがすぐにでもこの場から離れたいのだとわかり、彼女をこの場から連れ出すことにした。レスターとの時間を作ってやりたいが、今の状態では碌なことにならないだろう。それにすぐにでも彼女を休ませてやりたかった。
「デイジー……」
立ち去る僕らの背中に向けて、レスターが悲し気にデイジーの名を呟く。その声にはありありと後悔の色が見て取れて、僕は酷く申し訳ない気持ちになった。
だが肝心のデイジーは振り返ろうともしない。彼女にもその声が聞こえたはずなのに、何事もなかったかのようにふるまっている。──けれどその肩は小さく震えていた。
具合が悪いというデイジーを部屋までつれていくと、そこは既に宿泊できるように用意されていた。
心配する僕にデイジーは大丈夫だからと何度も言うと、疲れたから少し寝るといって部屋から追い出した。今は一人になりたいのだろう。
デイジーが心配だったが、僕は茶会の席に戻ることにした。それにリュクソンに先ほどのことを伝えなければいけない。
歩きながら考えるのは、やはりデイジーとレスターのことだ。
「……思っていたよりも二人の間にある溝は深そうだな……」
出会えばすぐに打ち解けられるほどではないと思っていたが、それでもデイジーがこれほどまでに取り乱すとは思ってもみなかった。
かつて婚約破棄について話してくれた時は、デイジーは僕に心配をさせないようにと、さほど気にしていない風を装っていたのだろう。だが本当はあれほど深く傷ついていたのだと、今更ながらに思い知らされた。
「……何とかしてやりたいが……下手に僕らが立ちまわっても、うまくはいかないだろうな……」
現状をどうやって打破するか、リュクソンと相談しようと思いつつ、僕は再び茶会の会場へと足を向けた。
会場へと戻ると、リュクソンはすぐに見つかった。それにどうやら僕が最も気にしている人物も一緒にいるようだった。
「リック!」
僕が片手を上げて名前を呼ぶと、リュクソンもすぐに気が付いたのか手を挙げて微笑む。彼の側には、こちらを見て固まるレスターの姿があった。
(僕の為に彼を引き留めていたんだな)
リュクソンは、既にデイジーのことを聞いたのかもしれない。僕らには護衛を付けてあるそうだから、当然と言えば当然だ。
「すまない、ディーが具合を悪くしてね。先に離宮で休ませてもらっているよ」
「大丈夫なのか?医者を呼ぼうか?」
「長旅の疲れが出たんだと思う。少し休めば大丈夫だと思うが……」
僕は先にリュクソンへと声を掛け、それからレスターへと視線を向けた。先ほど顏を合わせてはいるが、正式な挨拶はまだである。
「あぁ、すみません。突然やってきて挨拶もせず。私はエルロンド・フリークス。一応商人です」
リュクソンが僕のことをどこまでレスターに話しているのか分からないので、敢えて曖昧な表現にとどめておいた。手紙では任せておけと言っていたが、正直どこまで僕らの望みが叶うかは不透明だ。
「ご丁寧にどうも。私はレスター・エスクロスと申します。国内の土地開発の仕事などをしております」
そう言ってレスターは、何のてらいもなく手を差し出した。僕はその手を取り握手を交わし、じっと彼を見つめる。
高位貴族らしい見目と所作。だがそこに傲慢さはなく、己に対する厳しさが垣間見える。リュクソンが言うように、彼はとても真面目な性格なのだろう。だが恋愛に関しては不器用なのかもしれない。先ほどのデイジーとの再会は失敗していたように見えたから。
「あぁ、貴方があの……うん。リックから色々と聞いておりますよ」
「え?」
敢えて含みを持たせてそう言えば、彼は驚いたように目を瞬く。
(この反応を見るに、リックから僕のことを詳しくは聞いていないみたいだな)
そう思っていると、微妙な様子を気遣ったのかリュクソンが声を掛けてきた。
「レスター、彼がさっき言っていた人物だよ」
「ん?それは何の話かな?リック」
「君の知識と経験を、この国の為に存分に生かしてもらおうってことさ」
(それって、既に大使の件が本決まりみたいじゃないか……全く)
はははと豪快に笑うリュクソンに、思わず苦笑が漏れる。リュクソンは全てが上手くいくと信じて疑っていないのだろう。その自信が今は心強かった。
「それにレスターとなら、君の目的も叶うはずだしね」
「…………だといいがね」
大使の件も、ディアナのことも、そしてデイジーのことも。全部が上手くいってくれればいいと、心からそう思った。




