39 偽物
「……誰が現れたって……?」
僕はフライヤの言葉が信じられなくて、思わず聞き返した。フライヤは苦い表情のまま続きを話してくれた。
「……あんたの奥さんの……元王女の血を引くという奴が現れたんだ。勿論俺は信じちゃいないが……」
「馬鹿なっ!!そんなのありえない!!」
「あぁ、きっと偽りだろう……だが、否定するだけの確たる証拠も無いから皆戸惑っている」
「……何でそんな嘘を……」
アムカイラ王家は、世間的にはもう四十年も前に滅んだ一族だ。その一族の血を引いているなど、おいそれと口に出せる冗談ではない。革命の混乱期を知っていれば、その危険性などわかっているだろうに。
「あれから随分と時が経ったからな……俺達はあの時代を身をもって知っているから、そんな大それたことを口にするなど愚かだとわかるが……今の若い連中はそうでもない」
フライヤは苦々しげにきつく拳を握りしめた。
「何日もろくに食えないひもじさや、血や煙の臭いが充満する中で明日をも知れずに眠る恐怖を知らない……目先の怒りに囚われて血と暴力とで街を破壊しつくした未来に何があるのか……本当の意味であいつらは知らないんだ」
「フライヤ……」
苦し気にそう語るフライヤは、若い世代で起こっている風潮に危惧しているのだろう。人々の記憶から薄れていく血生臭い歴史は、時に後世の人々によって良いように解釈されてしまう。歴史を美化するという行為は、過ちを繰り返す危険を孕んでいるのだ。フライヤは自国の風潮がそうなり始めていることを懸念していた。
「勿論、当時の為政者の血を残さず絶やした自分達に真の正義があるとは思っていない……だが、安易に過去をもてはやして手を出せば、どんな事態になるかわかったものではない。だからこの件をあんたに話さなければならないと思ったんだ……あんたの方が詳しいだろうしな……」
「……君の言う通りだ……教えてくれてありがとう」
心からの感謝とともに手を差し出すと、フライヤは申し訳なさそうな表情をしながらも、しっかりと握り返してくれた。
その皺がれた大きな手から伝わってくるフライヤの誠意と友情は、それまで僕の中にあった恐怖を完全に取り払ってくれる。僕は彼に自分自身の口で真実を告げようと思った。
「……アムカイラの王女──……ディアナの子供は、僕との間にできたデイジー一人だけだ。ディアナはもう何十年も前に亡くなっているし、デイジーは結婚していないから勿論子供もいない」
「……やはり……そうだったか……」
フライヤが目を僅かに見開き、そして納得したように呟いた。彼もそうではないかと思っていたのだろうが、確信は持てなかったのだろう。
フライヤはディアナには会ったことが無いし、僕との関係もほとんどが手紙のやり取りだけだった為、どうやら予想の範疇を出なかったようだ。
「僕はずっと素性を隠すつもりでいた……デイジーにもディアナがどういう出自だったのかは伝えていない……もし万が一、デイジーがあの広場であったようなことに巻き込まれるかもしれないと思ったら……」
僕はそう語りながら体が震えだすのを感じていた。あの日、ディアナの兄であるグスマンや僕の両親の首が無残にも切り落とされた光景が、まざまざと瞼の裏に蘇ってくる。
あの広場は、今は革命記念広場だなんて大層な名前が付けられているが、僕にとっては大切な人たちの墓標だ。彼等の骸がどこに埋葬されたか……いやあの後どんな扱いをされたのかさえわからない。それでも最期を見届けたあの場所こそ、彼らの眠る場所だと思っている。
もしデイジーが同じ運命を辿るようなことになれば、僕は祖国を……そしてそこに住む人々を憎まずにはいられないだろう。
だからこそ僕は、死者の眠りを妨げずに済むように、そして何よりもデイジーの身の安全の為に、死ぬまでこの秘密を守ろうと思ったのだ。
「……勿論そんなことにならないように、俺が全力で守るさ。何せ革命後に商人のあんたが随分と手助けしてくれたおかげで、俺たちはここまで立ち直ることができたんだしな。言わばあんたはアムカイラ共和国の恩人だ。誰にも害させたりはしねぇよ」
フライヤが、僕の緊張を解すように笑いかける。その力強い言葉と笑みに嘘は無い。
確かに僕はこれまで祖国の為に何かできないかと、フリークス商会の会長として商業の面で協力してきた。不足する物資の調達に加え、国内での生産力の向上、そして経済を回す為の人や資金の導入など、自分の持ちうる知識を全てつぎ込んだのだ。
だからこそフライヤはそうした僕の貢献を盾にして、デイジーの血筋が露見したとしても安全を図ると言っているのだろう。だが民意というのは、予測できないものだ。いつその天秤が傾くとも限らない。
「ありがとうフライヤ……だが、やはり僕らの出自を明かすのは危険すぎる……それにその偽物の狙いもわからないし……」
「いや、勘違いさせて悪かった。何もあんたやデイジーさんに前へ出てもらおうとなんて思ってないんだよ……ただ、偽物だと証明できればそれでいい。その為に手を貸して欲しいんだ」
フライヤが僕に勘違いをさせたと気づいて、気まずそうに頭を掻いた。どうやら僕らの出自は秘密にしたまま、偽物を追い出す相談をしたかったようだ。
「……そうか。それなら勿論協力は惜しまないよ。それで、偽物たちの狙いは一体なんなんだ?」
「ただ金や地位目当てってんなら追い詰めるのは簡単なんだが……問題はそいつらじゃないんだよ。そいつらの裏にいるやつだ」
「裏にいるやつ……?」
「あぁ……隣国ジャハーラが絡んでいる」




