35 エルロンドの懺悔と決意
「信じられないかもしれないが……私は……君の……君の本当の父親なんだ」
デイジーの目が大きく開かれ言葉を失う。
僕は祈るような想いで、デイジーを見つめた。僅かでも僕の話を信じてくれるようにと。
「彼女は……ディアナと私は、愛し合って一緒になった夫婦だった。けれど彼女は……あの卑劣な男の手で……攫われたんだ」
「え──……」
デイジーの瞳に悲しみの色が広がる。真実は時に残酷な事実を突きつける。けれど娘であるデイジーには、僕とディアナの真実を知っていて欲しかった。
「ディアナと私は、アムカイラ王国で生まれ育ったんだ」
「アムカイラ王国で?」
「そうだよ、彼女とは幼馴染だったんだ」
「幼馴染……」
デイジーは僕の言葉を繰り返して小さく呟く。まるでその過去を一つ一つ大切に辿ろうとしているかのように。
「ディアナとは幼い頃から一緒にいて、まるでお互いに兄妹のような存在だったんだ。そして大きくなるにつれて、それは恋に変わっていった……」
デイジーは真剣な眼差しで僕の話に耳を傾けていた。僕は胸の奥が熱くなるのを感じながら続きを話した。
「ディアナへ向ける感情が愛だと気づいた時、私は彼女に結婚を申し込んだ。勿論ディアナは喜んで受け入れてくれたよ。お互いに気が付いていたんだ。この人こそが自分の生涯を共にする相手だと──」
瞼を閉じればその裏に今でも鮮やかに思い出すことが出来る。ディアナの美しい笑顔、そして柔らかな声を。
──エル……貴方が好きよ──
(ディアナ……)
ふと彼女の声が脳裏に蘇り、思わず零れそうになる涙を堪える。
「……お母さまと貴方が……」
いつしかデイジーの翠玉色の瞳は潤んでいて、そこにまるで物語をねだる幼子のような期待と好奇心が垣間見えた。きっとここにディアナがいたとしたら、くすくすと笑いながら娘に話してあげたのに違いない。
けれど僕らの物語は楽しいことばかりじゃなかった。誓い合った永遠は、無残にも引き裂かれ失ってしまったのだから……。
「……アムカイラが当時普通の情勢であれば、何の障害も無く結ばれていたかもしれない。けれどあの頃はとても複雑で……」
一つ一つ言葉を選びながら僕は当時のことを語った。僕らの故郷が辿った悲しい運命、その血に塗れた歴史を──
「私とディアナの家は、あの国ではそれなりの権力を持っていた……だがそのせいで当時政治的な対立に巻き込まれてしまった……私達の婚姻は、血で血を洗うような争いの原因にまで発展しようとしていたんだ……」
異国の血を引いていた王太子のグスマン。彼を良く思わない勢力が、当時王宮の中枢には多くいた。そしてその反勢力の旗印にと、僕とディアナが知らない間に祭り上げられていたのだ。
「……それで……どうしたのですか……?」
デイジーが悲痛な表情で恐る恐る続きを問いかける。彼女もかつてのアムカイラ王国がどのような運命を辿ったのか知っているのだろう。だが彼女の身に流れるその血こそが、隠された歴史の一部だとは知らない。
僕はディアナが王家の人間であったことについては話さなかった。今は平和な世の中だが、彼女が受け継ぐ血がどんな危険を及ぼすか分からないからだ。
「……私たちはお互いの存在こそが全てだった……だからそのまま争いの火種になって離れ離れになるよりも、二人だけで未来を歩んでいくことを選んだんだよ……家も地位も何もかも捨てて……」
それは若く愚かな愛だったかもしれない。僕とディアナが選んだ道が、多くの人々を傷つけ苦しめたのだから。
過去を口にすることは、罪を懺悔するのに似ている。けれど本当に懺悔すべき相手は、もうこの世のどこにもいない。
もしディアナが王族でなければ。
僕が王家に近しい血筋でなければ。
あれから長い時が経ち、何度同じ問答を自分の中で繰り返しただろう。僕らの貫いた愛は、結果としてあの国を傾けてしまった。
今となっては何が正しかったのか、それは誰にもわからない。革命によって流れた血と、その後に待ち受けていた現実と言う名の地獄は、それを味わった者にしかわからないのだから──
(ディアナ……君は僕を許してくれるだろうか。君と君の家族を守ることの出来なかったこの僕を──)
あの日の広場の光景が、今でもまざまざと僕の目に蘇る。目の前に突き付けられた己の罪に、気が狂ってしまった方が楽だと、この命を絶ってしまった方が楽だと──あの頃抱いていたそんな愚かな考えさえ蘇ってくる。
(……けれど僕はまだ生きている……僕だけにしか出来ないことがまだ残っている)
愚かな男の小さな決意だけが、僕に前を向かせる。
じっと耐えるように俯くデイジーを見つめ、僕は娘を守ると誓った。
何があってもディアナを守ると誓ったあの日のように──
今度こそ約束を違えないように、と──




