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あなたとの愛をもう一度 ~不惑女の恋物語~  作者: 雨音AKIRA
エルロンド編 第7章 失われた過去との出会い

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34 溶けだした心

 僕は、デイジーの心と体が癒されるのをゆっくり待つことにした。


 デイジーが目覚めてからの世話については、商会で雇っている女性の部下に頼んだ。ただでさえ酷い暴力を受けていたのだ。見知らぬ場所へと連れて来られて、デイジーは不安を感じているに違いない。だから少しでも安心できるように、できるかぎり女性だけを側に置くようにと心がけた。


 それでも僕自身にも少しずつでも慣れてもらえるよう、なるべくデイジーを訪れては声を掛けるようにしていた。



「大丈夫、ここは安全だ。まだ馬車で移動するが、君を害する者はここにはいないよ」



 無闇に近づくことでデイジーを怯えさせたくはなかったが、何とか自分の存在を娘に認識してほしかった。


 そうして一週間ほど過ぎた頃、その日も僕らは馬車に揺られ、次の宿場町を目指していた。


 僕らが使っている馬車は、荷駄と人を乗せる用とで数台ある。普段はそんな大所帯ではないが、今はデイジーのことがあるから人手も馬車も多く用意していた。


 デイジーは目覚めている時間が多くなっていたので、今は彼女の世話をする女性の部下とだけで馬車に乗っている。まだ話したりはしないそうだが、時折車窓の景色を見ているようだと部下が話してくれた。


 一方の僕は、他の部下と共に別の馬車へと乗り込んで、これからの仕事の話をしては時間を潰していた。



「いったん休憩しよう」



 日が高くなってきていたので、休憩を取る為に馬車を停める。既によく知っている街道に入っていたので、どの辺りで休憩を入れるべきかわかっていた。


 部下達もそれをよく心得ていた為、馬車を街道の脇の少し開けた場所へ寄せると、すぐに荷馬車の中からあれこれと取り出して設置する。



「デイジー様はこちらへどうぞ。すぐに昼食をお持ちしますね」



 木陰に厚手の敷物を敷き、更に大きなクッションをいくつも置いて、部下がデイジーを座らせる。デイジーは、今では自らの足で歩けるほどに回復していた。


 敷物に座ったデイジーは、ぼんやりと僕らのすることを眺めているようだった。心地の良い陽気の中、爽やかな風に乗って商隊の皆の笑い声が響く。彼等は、デイジーを気遣って、少し離れた場所で昼食を取っていた。


 デイジーの様子を見つめていた僕は、ゆっくりと彼女の下へ歩んだ。そして少し離れた場所から声を掛ける。



「……一緒に食べてもいいかな?」


「……」



 デイジーからの返答はない。けれど静かに瞼を閉じて小さく頷いてくれたように見えた。



「……ありがとう」



 僕は彼女の斜め向かいに座ると、持ってきた昼食を食べ始めた。昨晩泊まっていた宿に用意してもらったパンに、野菜と塩漬けした肉を挟んだものだ。



「この地方のパンは、少し酸味が聞いているのが特徴でね。使っている酵母のせいなんだが、食べたことはあるかい?塩漬けした肉と中のソースとよく合って美味いんだよ」



 僕は食べながらも他愛の無い話を一人喋った。食べ物については勿論のこと、商隊が運んでいる荷駄やこの場所について。フィネスト王国では見聞きしないような、ほんの些細な話だ。だがデイジーはそれをじっと聞いてくれているようだった。



「ほら、デイジーも食べて。きっと気に入るよ。夜はまた別の街に入るから、違う物が食卓に上がるはずだ」



 あまり食の進んでいないデイジーに、少しでも食べてもらいたくてそう声を掛けた。だが彼女はじっとしたままで、俯いて何かを思案しているように見えた。


 僕はそれ以上は彼女の負担になると思い、自分の食事を終えて立ち上がろうとした。その時──



「……デイジー?」


「っ──」



 気が付けば僕の服の裾をデイジーが掴んでいた。本人も気が付いていなかったのか、僕の声にハッとして慌てて手を離す。だがその様子は困惑の中にも照れているのが良く分かり、僕は歓喜に胸が躍るのを感じた。



「……君の食事が終わるまでここにいていいのかな?」



 彼女が僕に離れてほしくないと、そう言ってくれたようで浮かせた腰を再び降ろした。デイジーは声に出さなくとも小さく頷き、頬を僅かに染めながら食事の残りに手を付け始める。


 僕はその様子を温かく見守りながら、再び取り止めの無い話を彼女の前で続けたのだった。



 その後、僕はデイジーと同じ馬車に乗り込み、道中を共にした。相変わらず彼女は何かを思案しているような感じだったけど、僕が側に居るのを特に嫌がったりなどはしなかった。


 時折デイジーからの視線を感じて目を向けると、彼女はハッとしたような表情をした後、困惑気味に顔を逸らすを繰り返していた。それは明らかに彼女が僕に何かしらの興味を示し始めたことを物語っていた。


 その日の夜、僕らはたどり着いた街で宿を取り、いつものようにデイジーには一人部屋をあてがった。


 寝るまでの世話については、女性の部下に任せてはいるが、夕食後の僅かな時間だけは僕と二人きりになる。



「今日はこの地方独特のお茶が手に入ったからそれを飲もうか。香りがすごく良いんだよ」



 用意してもらった湯で茶器を温め茶葉の入った缶を開けると、ふわりと芳しい香りが放たれる。こうした夕食後のティータイムは、今では僕のささやかな楽しみの一つだ。



「デザートも今日は皆が奮発したみたいだね。何でも評判の冷菓子みたいだよ?」



 そう言ってワゴンから姿を現したのは、ミルクを柔らかく固めて中に季節の果物を入れた冷たい菓子だった。



「この辺では海藻を煮出したものを混ぜて、それで液体を固めるという調理法が使われるようだね。つるんとしてて舌ざわりが面白いんだよ」



 材料の説明をしながらいつもの如く茶器の準備をしていく。以前までは夕食の席でデザートをそのまま出して皆で食していたが、今は他の者たちが気を使ってこの時間だけはデイジーと二人きりにしてくれていた。


 あまり遅い時間だとデイジーが僕に怯えるかもしれないし、昼間は仕事の関係でバタついている。その合間であるこの限られた時間の方が、デイジーと二人きりになるは丁度いいと思ったのだ。


 いつものように食後のお茶を出すと、デイジーはその芳しい香りにホッと微かに息を吐いた。その穏やかな表情は、彼女の心が少しずつ解けていっているのを物語っていた。 

  

 じっとその様子を見つめていると、視線に気が付いたのかデイジーが顏を上げた。目が合ったのでにこりと微笑めば、彼女は驚いて目を見開いたけど、それでも視線を外すことはない。そしてじっと何かを言いたそうな表情をしていた。



「どうかしたのかい?何かしてほしいことでもあった?」



 これまでデイジーは言葉を話すことはなかった。だがこちらが話しかければちゃんと聞いているし、仕草で自分の意志を伝えてはいる。心が傷ついていたとしても、そこに彼女の意志があるのは確かなのだ。


 だから僕は、デイジーが今何を欲しているのかそれを知りたいと思っていた。僅かでも仕草でそれを伝えてくれればと思っていたのだが──



「……あの……」


「っ──……」



 デイジーが意を決したように話しかけてきた。驚きのあまり僕の方が言葉を失ってしまう。



「……貴方は一体…………私をどうするつもりなのですか……?」



 正直、デイジーが本当の意味で僕に心を開いて話してくれるのは、もっとずっと先だと思っていた。そしてそれを気長に待つつもりでいた。


 だが今彼女の目には光が宿り、それを真っ直ぐにこちらへと向けている。その目には怯えた様子は無く、単純に僕がどういう存在なのかを知りたがっているのだとわかる。その様子に喉の奥に熱いものが込み上げてきて、ようやく全てを語る時が来たと悟った。



「あぁ……デイジー……ようやく……ようやく君に告げることができる……」



 歓喜に震える声でそう言えば、デイジーの瞳が期待に揺らめいた。その眼差しに後押しされて、僕は懐から一冊の手帳を取り出した。



「……これは……?」



 デイジーは不思議そうに手帳と僕を交互に見つめる。受け取ってもいいのかという戸惑いを感じ、僕は彼女に向けて笑顔で頷いた。



「……中を見てみて」



 恐る恐る手帳を受け取ったデイジーは、驚きを隠せない様子で食い入るようにそれを見つめている。もしかしたら彼女はそれに見覚えがあったのかもしれない。震える手でページをめくり始めた。


 暫くは黙ったままそれを読んでいたデイジーだったが、やがて中身がなんであるかわかると、今度は僕の方へと視線を向けた。



「なぜ……?どうしてこれを貴方が……」


「……それのおかげで君を見つけることができたんだ。彼女が……ディアナがそれを私の下へ送ってくれたから……」



 デイジーに渡したのは、ディアナの日記だ。それを読めばディアナの想いが伝わるだろう。そしてそれを僕に託した意味も。


 けれどデイジーは未だ信じられないのか、戸惑ったような視線を僕と日記に交互に送っている。デイジーにとって僕は見知らぬ商人のままだから、信じられないのは当然かもしれない。けれどディアナが託してくれた想いを、ここで遂げないわけにはいかなかった。



「……ディアナはもう自分が長くないとわかっていたのだろう。病魔に侵されて、それでもなお私のことを覚えていてくれた」


「貴方のことを……?」


「あぁ……それで彼女は私の下へこの日記を送った。出入りしていた信頼のおける商人に密かに頼んで……私の下に届くようにと……」



 本当ならもっと早く見つけてあげられるはずだった。けれどディアナが送った手紙と日誌は、革命後の混乱の中に失われてしまっていた。それをどれだけ悔やんだか……苦い思いが蘇ってくるのを感じながら、僕は話を続けた。



「彼女はアムカイラ共和国にいるはずの私の下へ、この日記と手紙を送った。……けれどその時は既に私はあの国にはいなかったんだ」


「え……?」


「彼女を……君のお母さんをずっと探していたから……ディアナは私の妻だった」


「!!」



 絞り出すように言えば、愛しい娘の顔に悲しみの色が広がっていく。まるで家族を亡くしたかのようにその顔が歪み、今にも泣き出してしまいそうに見えた。



(……あぁ………そうか)



 僕は彼女が何を思って悲しんだのかを理解した。そしてうまく伝えられなかった自分に対して怒りを覚える。



(君はずっと信じていたんだな……あの男が自分の父親だと……だから僕がディアナの夫だと知って…………自分と家族ではなかったと……)



 言葉が正しく伝わらず、デイジーを悲しませてしまったことに激しい後悔の念が生まれる。


 偽りの父娘という呪縛に捕らわれたデイジーは、あんな酷い暴力を受けていたとしても、まだあの男のことを家族としてみていた。それほどに彼女の愛は大きかったのだ。


 デイジーの悲しみに複雑な想いを抱きながらも、悲しみに震える彼女を優しく抱き寄せる。



「……デイジー……よく聞いて欲しい……」



 小さく震えるその華奢な肩を抱きながら、僕は彼女へと語り掛ける。この胸に抱いたその温もりは、確かに命の鼓動を刻んでいて、そこにディアナの繋いだ未来を想った。


 本当ならば生まれたその時にこの腕に抱いたはずの命。ディアナと共にその成長を側で見守り、たくさんの愛と幸せの中で過ごすはずだった。けれど運命のいたずらによって、僕らは引き離されてしまった。


 永遠に取り戻すことの出来ない時間。それでも僕は、もう一度、家族を取り戻したい。



「信じられないかもしれないが……私は……君の……君の本当の父親なんだ」



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