14 終焉の足音 (レスター)
レスター視点の過去回です。
こんなはずではなかった──
運命が唐突に終わりを告げた時、全ての彼女への想いが、腕の中から零れ落ちていくのを感じた──
*********
デイジーと想いを交わし合い、ついに私たちは婚約した。
父は既に説得していたから、親戚たちも特に文句は言ってこなかった。そしてデイジーの親も、エスクロス家と縁続きになれるとあって、この婚約を快諾してくれた。
私はこの時、幸せの絶頂にいたのだ。
けれどそんな幸せが、酷く脆いものの上に立っていたなんて、その時の私は知る由もなかった。
父について仕事の関係で、とある貴族の屋敷を訪れた時だった。父とそこの当主が二人だけで話し込んでいる中、私は歓待してくれた夫人に唐突に話を振られた。
「本当にレスター様は、あのフラネル子爵の令嬢と婚約なさいますの?」
「……えぇ、勿論ですがそれが何か?」
もうすぐデイジーとの婚約式があるというのに、あまりに不躾なその質問に、眉間に皺を寄せる。
「……あまりいい噂を耳にしませんので。一応お耳に入れておいたほうがいいかと……」
「どういうことです?」
私はいきなりこんな話題を振られることの意味が分からなかった。確かに身分差のことがあるので、誰もが私たちの婚約を歓迎していないのはわかる。
だが目の前の夫人は、物事に対して公正で偏見を持たない人物だ。デイジーに関する悪い噂を信じるような人ではない。ましてや自らそう嘯くなど。
(もしかしたら、良からぬ噂が横行しているのを懸念しているのかもしれない。無駄に社交界の闇による被害を受けないようにと忠告しているのだろう)
そう思い至った私は、夫人に詳細を聞くことにした。だが彼女の口から出てきたのは、信じられないような虚言だった。
「何でもフラネル家の御令嬢が出席した茶会で、よく物が無くなったりすると……」
「それをデイジーがやったとでも?証拠は?」
根も葉もない噂とデイジーが結びつけられたことに、思わずカチンとくる。つい語気を荒げ、紳士にあるまじき剣呑さで夫人に問いかけてしまった。だが夫人は特に怒ったりはせず、バツが悪そうにしながらも、先ほどの自分の言葉を否定するかのように首を横に振った。
「いえ……やはりただの噂ですわ。ごめんなさい、変な事を言いました」
「……こちらこそすみません。こういう噂は、根も葉もないくだらないものばかりですから。彼女がそんな事をするはずがないので、大丈夫です」
私は先ほどの自らの態度を夫人に謝罪した。けれど腹の底から湧き上がる怒りはそのままだ。
(一体誰がそんな事を──)
愛する人を貶める噂を流す人間が許せない。だがこの件は、心に棘のように引っかかったのだ。
その後は、婚約式の準備で忙しくしており、デイジーと会う機会も少なくなっていた。それでも彼女の動向が気になっていた私は、それとなく周囲の友人たちに、彼女のことを聞いた。
「あぁ、フラネル子爵令嬢?そうだなぁ、なんかこないだの茶会で何か揉めたって聞いたぞ?」
「揉めた?一体何があったんだ?」
長年の友人の一人が、気まずそうに事の詳細を話してくれた。
「……こんな事お前に言ってもいいか分からないけど……怒るなよ?」
「いいから早く教えろよ」
「それがな……お前の婚約者が、茶会の席でとある令嬢の荷物に手を付けたって……」
「そんな馬鹿な!デイジーがそんな事をするはずがないだろう!」
「わかってる!わかってるって!……だがそういった事情で揉めたのは、残念ながら事実だ……」
「そんなはずが……」
友人が慰めてくれるが、彼女の周囲で起こる不穏な噂は、私の心に確実に疑念と言う名のシミを残していった。
********
そうこうしていくうちに時は過ぎ去り、ついに私たちの婚約式の日が訪れた。
結局、事の真偽を確かめることが出来ず、噂を流した人物についても何もわからなかった。
エスクロス侯爵家で開かれた婚約式は、盛大なものだった。親戚は元より、父が宰相であるので、多くの来客があったからだ。
「おめでとうございます、エスクロス侯爵」
「次代の侯爵夫人はとてもお綺麗な方ですね」
「あぁ、ようやく息子も身を固める気になったよ」
多くの人からの祝いの言葉を受け取り、父も上機嫌だ。
私とデイジーは父の横で、やって来た人々にお礼と挨拶をしていく。
私はこうした社交は慣れたものだが、デイジーにとってはそうではない。デイジーはデビュタントを迎えたばかりだし、高位の貴族と会話することもこれまでなかっただろう。緊張と不安でいっぱいだろうに、懸命に笑顔で応対していた。
私はそんな彼女の頑張りに、胸が熱くなるのを感じながら、彼女を支えつつ、次代侯爵としての役目を全うした。
そうして一通りの挨拶を終えた私たちは、ようやく解放された。来客者は皆、思い思いに時を過ごしている。
そんな中、デイジーは言った。
「レスター。少し疲れたから、着替えついでにちょっと休んでてもいい?」
「あぁ、勿論。晩餐の時間まではまだあるから、ゆっくりするといいよ」
「えぇ」
そう言って侍女もつけず、デイジーは部屋へ下がった。
今思えば、どうしてあの時彼女を引き留めなかったのか。彼女を自分の側から離しさえしなければ、あんなことにはならなかったかもしれないのにと、後悔してやまない。
彼女が裏へ行ってから暫くして、デイジーの妹のサビーナを見かけた。酷く青ざめており、何かあったような様子だ。
「サビーナ、どうしたんだい?」
「っ──」
私に声を掛けられて、明らかに動揺するサビーナ。怪訝に思って更に問いかける。
「一体どうしたっていうんだ?もう君の義理の兄になるのだから、なんでも話してくれ」
「……ちがう……私じゃ……お姉様が……お姉様がやったのよ……」
「──え?」
ぼそぼそと何か言うサビーナの口から“お姉様が”という言葉を聞き取り、私は自分の中にある疑念がむくりと大きくなるのを感じた。
「デイジーがどうかしたのか?サビーナ」
自分で思うよりも低い声が出てしまい、怯えたサビーナはそれ以上話してはくれなかった。
これでは埒が明かないと思い、私はデイジーを追いかけて、広間の会場から飛び出した──
お読みいただきありがとうございました。
遂に破滅の時がやってきます。デイジーにとっても辛い出来事ですが、レスターにとっても辛い展開になっていきます。
登場人物によって、見え方の異なる展開を、どうぞお楽しみください。




