32 引き渡し
フィネスト王国へとやって来て10日程が経った頃、僕は真新しい衣装に身を包み、要求された金を持ってフラネル子爵家へとやって来ていた。
「……本当に金を用意するとはな」
「商人は信用が第一ですので、口にした約束は決して違えませんよ」
莫大な金を用意してきた僕に、セフィーロ・フラネルは自らが提示した金額であるのに驚きを隠せない様子のようだった。
「わかった。まずは金を確認させてもらおうか」
「えぇ、勿論です」
僕は言われるままに、持ってきた金を見せた。連れてきた商会の者に指示を出し、すぐに屈強な男二人がかりで大きな箱が運び入れられた。
金の入った箱は膝丈ほどの高さで、両側には金属の持ち手がついており、蓋には厳重な鍵が掛かっている。それをセフィーロ・フラネルの目の前に置かせると、懐から出した鍵で開けて見せた。
「おぉぉっ!……本当に金だ……」
箱の中から現れた黄金の輝きに、セフィーロ・フラネルは唸り声を上げた。箱の中には黄金を固めて棒状にしたものでいっぱいに埋め尽くされていた。
「こちらの貨幣に換算する時間がございませんでしたので、現物の黄金です。相場では提示された金額以上の価値があるかと存じます」
「そうか、そうか。確かにこの量ならば問題はないな」
この国の貨幣ではなく金そのもので用意されたことが気に入ったのか、セフィーロ・フラネルは欲深そうな笑みを浮かべて何度も頷いた。
「……それで私の花嫁となる方はどちらでしょう?」
僕は再び金の入った箱を閉めて鍵をかけると、その鍵を懐へと仕舞う。金を渡すのはデイジーを手に入れてからだ。
セフィーロ・フラネルは、既に我が物のように思っていた金の箱に鍵を掛けられ、僅かに不満げな顔をしながら使用人に声を掛けた。
「おい、呼んで来い」
「……畏まりました」
すぐに使用人の一人が下がって、デイジーを呼びに行く。僕はようやく念願叶っての娘と会えることに、胸を高鳴らせた。しかし──
「……デイジー様は具合が良くないようで、こちらにはお見えになれないようです。いかがいたしますか?」
すぐに使用人が戻って来てそう言った。すると子爵は、苛立ちをその顔に滲ませながら口を開く。
「ふん、あれしきのことで相変わらず面倒をかける娘だ。そのまま馬車に運べばいいだろう」
「待ってください。どういうことですか?こちらで会わせていただけるはずですが……」
僕は使用人の言葉と子爵の言い草に、思わず待ったをかけた。この場で彼女と引き合わせることもしないで、まるで荷物か何かのように馬車に運べとは、一体どういう神経をしているのかと。
「聞いていなかったのか?娘は具合が悪くて、この場に来ることが叶わん。馬車には運んでやるから、さっさと金を置いて連れて行くがいい」
「──っ」
既にデイジーには何の興味も無いと言う風なその言い草に、僕は心臓が凍り付く程の怒りを覚えた。
(こんな男の下で娘として暮らしていただなんてっ……!)
何故僕はもっと早く彼女を見つけてあげられなかったのだろうかと、自分への怒りでどうにかなりそうだった。だがそれを表に出すことはできない。努めて冷静に見えるように心がけて、低い声で提案を口にする。
「……ではこうしましょう。私が彼女を部屋から馬車までお連れします。金を渡すのは彼女を馬車に連れて行ってからです。ここに箱と共に部下を置いていきますから、鍵は後程お渡しするということで。あくまでも彼女と引き換えでなければ、金はお渡しできません」
「……いいだろう。おい、この男をデイジーの部屋に案内しろ」
了承を得た僕は案内役の使用人の後ろをついて行った。そして、デイジーがいるという部屋にやって来たのだが……。
「……こちらです。あの、お嬢様は今は眠っておられますので……」
「わかりました……」
どこか気まずげな使用人に扉を開けてもらい部屋に入ると、そこは酷く殺風景な雰囲気の部屋だった。調度品はほとんどなく、中央に質素な寝台が一つあるだけだ。そこに誰かが横たわっているのが見えた。
「……デイジー……」
僕は思わずその名を口にしていた。長年求めてやまなかった愛する人が遺してくれた宝物。
(ようやく……ようやく会えた……!)
感動に打ち震えながら、そっとその側に近寄る。けれど娘と会えた高揚感は、すぐにその悲痛な姿によって叩き壊される。デイジーは僕が想像していたのよりもずっと酷い状態だった。
「……何てことだ……こんなっ……」
寝台の上に横たわるデイジーは、まるで死人のように青ざめており、かなり痩せ細っていた。顔には未だ暴力の痕跡が残り、よく見れば手の甲にも見える。今は服で隠されてはいるが、きっとそれ以外の場所にもあるのだろう。
「デイジー……ごめん……早く助けてあげられなくて……ごめん……」
僕は自らの不甲斐なさと、あの男への怒りとで涙が溢れるのを止められなかった。寝台の横に跪き、謝罪を繰り返す。屋敷の使用人はこの部屋には入ってこなかったので、僕の声は聞こえてはいないだろう。
僕は一刻も早くデイジーをこの屋敷から連れ出す為に、涙を拭って立ち上がった。そして横たわる彼女を抱き上げて部屋から出て行く。
「エルロンド様……」
「すぐに出立する。お前たちは彼女の荷物を頼む」
部屋のすぐ外で控えていた部下の一人が、心配そうに声を掛けてきたが、僕は一言指示を出すと、そのままデイジーを抱え屋敷を出た。
門外に留めていた商会の馬車にデイジーを乗せると、僕は部下に大きめのクッションと毛布を用意するように指示を出して、待ち構えていたセフィーロ・フラネルへと向き直った。
「……鍵を渡してもらおうか。そうでなければ、近くの屯所へと突き出してやる」
「……約束は違えませんよ。どうぞ」
僕は約束通り鍵をセフィーロ・フラネルへと渡すと、これ以上の用は無いとばかりに背を向けた。例え無礼だなんだと言われても、これ以上この男の顔を見ていたら殴ってしまいそうだったからだ。
「待て、最後に言っておくことがある」
「…………何でしょう?」
相手から声が掛かるとは思っていなかったので、僕は不機嫌な声のまま返事をし、首だけを回して振り返った。
「今後二度と我が子爵家に関わらないと約束してもらおう。もうデイジーとこの家は何の関わりもない。平民の商人の妻となったのだからな。今回が最初で最後の取引だということを肝に銘じておけ」
「……わかりました」
流石にこの男も娘を金で売るような行為が、世間的な評判に関わると思ったのだろう。セフィーロ・フラネルは、僕に二度と関わるなと要求してきた。
だが元よりこちらもそのつもりだ。二度とこんな卑劣な男の下に、僕の大切な宝物を渡すものか。
僕は一言了承の言葉だけを告げると、そのまま馬車の中へと入った。そして部下達が屋敷から戻ってきたのを見計らって、御者にすぐに馬車を出すように告げた。




