29 フィネスト王国へ
商会の仕事を部下に任せて、数日後にはフィネスト王国へと向けて旅立った。
フィネスト王国と言えば、幼少期からの知り合いである王太子リュクソンの国だ。以前ディアナを探して訪れていたが、その後はもう一度足を運んだ程度だ。
僕が会長を務めるフリークス商会は様々な国にその支店が存在するが、フィネスト王国は遠方の為、未だ支店はない。だからそう何度も訪れることが出来なかったのだ。それが大いに悔やまれるが、今は一刻も早くたどり着きたくて急いで馬車を走らせた。
そしてディアナからの手紙を受け取ってから一か月後、僕はようやくフィネスト王国へとたどり着いた。
王都へ入った僕は、真っ先にディアナが捕らわれていたというフラネル子爵の屋敷へとやって来ていた。
そこは貴族の屋敷ながら、王都の中心部にある貴族街ではなく、端の方の街道沿いに位置していた。その為、一般の商人である僕でも怪しまれずに近づくことができた。
静けさの中に佇む古びた屋敷は、王都の端ということもあって、どこか悲しげで僕の心を写し取ったかのように見えた。
「ディアナ……君はずっとここにいたんだね……」
言いようのない寂寥感が胸の中に広がっていく。呟いたその言葉は、誰に聞かれることもなく風の中に消えた。
そのまま暫くディアナの面影を探して、子爵家の近くをうろついていた時だ。急き立てるような馬車の音が近づいてきたかと思うと、僕の横を通り過ぎて貴族の馬車が一台、子爵家の前で止まった。
「ほら降りろ!!」
苛立ちを滲ませた怒声が響いたかと思うと、馬車の中から貴族の男が出てきた。いかにも尊大で傲慢なその様子に、僕は眉を顰める。そして彼が乱暴に腕を掴み馬車から引きずり出そうとしている人物に目が留まり、僕は目を瞠った。
「っ──……」
年の頃は16~7歳だろうか。華奢なその少女の身体は、貴族の男によって乱暴に引きずられ、まるで人形のようにぐったりとしている。亜麻色の艶やかな髪は乱れていて、その下に隠された翠玉色の瞳は──僕の愛する人にそっくりだった。
「ディー……」
思わず近寄りそうになって、僕はハッとして足を止めた。明らかに彼らの様子はおかしい。あの乱暴に少女を引きずり出そうとしている男は、僕の愛する人を奪った張本人、セフィーロ・フラネルに違いない。
「……アイツが……」
堪えがたい怒りと憎悪が己の内から燃え上がる。今にも相手を殺してしまいそうなほどの凶悪な感情に身をゆだねながら、その一方で僕は愛する人が残してくれた娘の姿を目に映していた。
可憐で美しいその姿は、まさに同じ歳の頃のディアナにそっくりだ。そして娘の亜麻色の髪は僕と同じ色だ。彼女は確かに僕とディアナの娘のようだった。けれど──
「っ……!!」
馬車から引きずられるようにして降りた少女の頬には、明らかな暴力の跡が残されていた。赤く腫れあがった頬に、口の端には血がこびりついている。そして──
「さっさと歩かんか!!」
──バシッ!──
うまく歩けずによろけてしまった少女に対して、あの男は思い切り彼女の頬を殴ったのだ。
「っ──!!」
僕はもうそれ以上は堪え切れずに、彼等に駆け寄った。自分の娘が、あの男に酷い暴力を受けているのを見て、黙っていられるわけがない。
「……なんだ?」
貴族の男は、いきなり近づいてきた僕を睨みつけると、あからさまに嫌そうな顔をした。しかし、自らの横暴な行いを悪びれもせずに隠そうともしない。これがこの男の普通なのだろう。苦々しい思いを噛み締めながら、僕はこの男の懐に入る為に思案しながら口を開いた。
「……大変失礼いたしました。私は異国で商会を運営している者でございます。たまたまこちらを通り掛かっただけでして……」
「ふん!ただの商人か」
セフィーロ・フラネルは僕を上から下まで舐めるように睨みつけると、そう言い放った。一介の商人に対しては、愛想も遠慮もいらないと判断したようだ。
僕は相手がどういうタイプの人間かを瞬時に判断し、今にも屋敷に入っていこうとするセフィーロ・フラネルと引き留めた。
「……失礼ですが何か問題でもございましたでしょうか?随分とお怒りのご様子で──」
「お前には関係ない!さっさと去れ!」
中々立ち去ろうとしない僕に、セフィーロ・フラネルは苛立ちを露わにした。しかしここでおめおめと引き下がる僕ではない。僕は自分の持っている最大限の魅力を相手に見せる事にした。
「まぁそうおっしゃらず。こう見えても商人としてはかなり成功している方ですので、何かお役に立てることがあるかもしれません。……主に金銭面のほうで」
「……ほぉ……」
暗に金の存在をチラつかせれば、強欲なこの男は早速興味を示したようだ。
僕は元々公爵家の人間だったこともあり、商人となった今でも周囲からは貴族に間違われる事が多々あった。そして商売柄、高位の客人と接する機会も多い為、服装や装飾品はそれなりに豪奢な物だ。
だからこそセフィーロ・フラネルは、金の匂いのする僕に利用価値を感じたに違いない。俄かに態度が軟化した。
「……いいだろう……話だけなら聞いてやらんこともない」
「……ありがとうございます」
狙い通り相手の懐に入り込むことが出来た僕は、溢れ出す怒りを何とか抑え込んで、己の顔に微笑みを貼り付けた。




