28 愛しいその名前は
「ディアナ……っ」
手紙を読み終えた僕は、激しい感情の渦に飲み込まれた。
長年探し求めていた人が、自分の死期を悟って書いた手紙だとは思いもしなかったから。しかもそれは何年も前に書かれたもので、既に長い年月が経過してしまっている。
「どうして……っ何故っ!……何故こんなことにっ……!」
その慟哭は虚しく部屋に響くだけで、過去が覆ることは無いと知っていても叫ばずにはいいられない。
僕は涙で視界が滲みながらも、何度もディアナの綴った手紙を読んだ。そこから僅かでも彼女へ繋がる希望を見出したかったからだ。
「日付は……10年近く前……僕がフィネストを訪れる少し前……」
ディアナを探して、僕は旧友のリュクソンの助力を求め、フィネスト王国を訪れたことがあった。あの時、ディアナはすぐ近くにいたのだ。
けれど彼女はずっと隠されて閉じ込められていたようだから、リュクソンがあの時その存在を知らなくても仕方がないことだったのかもしれない。けれど──
「もっと早く見つけられていれば……」
ディアナの手紙には、彼女の辛く苦しい状況と悲痛な願いが込められていた。病に侵されながらも、何とか僕に連絡を取ろうとこの手紙に想いを託したのだ。なのにどれだけの時を僕は無駄に過ごしてしまったか……
今すぐ駆けつけて、ディアナと娘を救い出したい。娘を腕に抱く彼女の笑顔を見てみたい。そして二人に口づけを……
「ディー……ディアナ……本当にもう君は儚くなってしまったのか……?」
信じたくない。彼女にもう二度と会えないなんて。けれどこの手紙を最後に他に連絡が無いということは……。
「ディー……どうして……どうしてなんだっ……!あぁぁぁぁぁぁっ!!」
僕は彼女の手紙に縋りつきながら、それまでずっと押し込めていた感情を爆発させた。膝から崩れ落ち、人目もはばからずみっともなく泣き叫ぶ。
周囲の者たちが何があったのかと心配そうに声を掛けてくるが、一度外れてしまった感情の箍は、涙が枯れ果てるまで元に戻りはしない。
ディアナの優しい声、甘い口づけ、花のような笑顔。
それをもう二度とこの手に出来ないのだから……。
暫くの間、僕は泣き続けていた。ディアナの手紙を持って来てくれた商会の者が、気を使って一人にしてくれたが、それでも時折心配そうに部屋に様子を見に来ていた。けれど僕はそんな気遣いにも反応できず、ただただ泣き続けた。
ディアナを本当の意味で失ったと知った僕は、まるで屍のようだった。もう何も考えたくないと、現実から目を背けたいと思った。
本当はずっと怖かった。ディアナを失うことが。
彼女がもう僕を必要としていないのではないか。もう生きてはいないのではないか。そんなことを心のどこかで思いながら、その考えを誤魔化して彼女を探してきたのだ。
彼女を失うという現実を突きつけられるのが、ただただ怖かった。
「ディー……」
彼女の愛称を口にすると、冷たい床にそれは落ちていく。何年も何年も、返事が無いと分かりながらもずっとしてきた虚しい行為だ。けれど──
「ディー……ディーか……」
僕はそれまでとはどこか違った感覚を覚えていた。いつしか悲しみを含むようになっていた愛しい人の名は、僕の心に罪悪感という小さな棘を作り、痛みと共に血の涙を流し続けていた。
けれど今、その響きはかつてのような甘く温かな熱を取り戻していた。
「デイジー……」
ディアナが名付けてくれた娘の名前。愛する人と僕との子供。僕が娘の誕生を知らずにいて悲しむことの無いように、ディアナは彼女と同じ愛称を娘につけていた。
「ディアナ……デイジー……」
僕は何度も何度も二人の名を呼んだ。その度に、冷え切った僕の心に穏やかさと温かさが蘇る。
「そうだ……ディー、僕たちの娘を取り戻さなければ……」
悲しみの淵から浮上した僕は、ようやく自分がすべきことを思い出した。
「……泣いてばかりいてはダメだ。ディーの最後の願いを叶えなきゃ……」
未だ流れ落ちてくる涙を袖口で強引に拭った僕は、ディアナが送ってくれた手帳を手に取りそれを開いた。中に書かれていたのは、ほとんどがデイジーについてのことで、それはディアナの日記というよりも、娘の成長記録と言った方が正しかった。
流麗な字で日々の些細な出来事が綴られている。娘といて楽しかったこと、初めて話した言葉や、初めて立った日のことなど。まるでディアナやデイジーがすぐそこにいるかのように、鮮明にその光景が目に浮かぶ。
まだ見ぬ娘なのに、もうデイジーは僕の心の中を占めていた。愛しいという気持ちが溢れ出してきて、今度は喜びの涙で顔がぐしゃぐしゃになってしまう。
「ディー……」
手帳の記録は、デイジーが5歳になったばかりのところで止まっていた。ディアナが自らの死期を悟り、その後は商人に託したからだろう。
「あれから17年……娘は、デイジーは今は……16歳か……」
美しく成長したであろう娘の姿を想像しながら、彼女が今どのように日々を過ごしているのかが気がかりだった。ディアナが僕に助けを求める為の手紙を書いてから、10年近くが経過しているのだ。母親を失った娘が、卑劣な男の下でどのように暮らしているか、考えるだけで恐ろしさに震えてくる。
「すぐにフィネスト王国に行かなければ……」
新たな決意を胸に抱き、僕は立ち上がった。




