24 独りの旅立ち
アムカイラ王国の最後を見届けた僕は、王都から自宅へと戻り、旅立つ準備を始めた。
血に塗れた革命は既に終わりを迎えたが、すぐに穏やかな日常が戻ってくるわけではない。むしろ以前よりももっと酷い混乱の渦へと向かうはずだ。それに巻き込まれる前に、僕はこの国を発つことにした。
革命によってひと時の喜びを分かち合った後に残るのは、ボロボロになって機能しなくなった街の残骸。国という土台を全て叩き壊した後に突き付けられる現実を前に、一般の人々がどういう行動に出るかはわからない。領主としての経験から、革命を起こしたあの者たちが今後うまく国を主導していけるかどうかは、正直怪しい所だと思っていた。
だがこのままディアナの姿を見つけることが出来ずに、国を去るのは正直心苦しかった。もし万が一ディアナが戻って来たとしたらと思うと、離れがたく感じたのだ。
しかし生活の基盤となる商会は既にここには無いし、ズタズタになってしまったこの国で、職を失った僕が生きていくのは難しい。それにこれまで色んな人の協力を得て探し回ったのに、少しもディアナに関する情報が無いのが気になっていた。もしかしたら彼女はもうこの国にいないのではないか──そんな思いが僕の頭にチラついていたのだ。
だから僕は旅立つ前に、パン屋のご主人の下を訪れることにした。何日かぶりに彼の営む店を訪れると、この状況の中でも細々と営業を続けているようだった。彼は僕の顔を認めると、すぐに破顔して近寄って来た。
「エルロンドさん!良かった!無事だったんだね!」
「……店主……心配をかけて申し訳ないです」
「あぁ……思っていたよりも元気そうで良かった……心配していたんだよ。今日はどうしたんだい?」
「今日は貴方にお願いがあって……やって来たんです」
「お願い……?」
不思議そうに首をかしげるご主人に、僕は事情を説明した。彼が最も僕の事情を知っているし、これまで何度も力になってくれたから。だからこの願いも聞き届けてくれるだろうと思ったのだ。
「……この国を離れることにしました。他の国へ渡って、ディアナを探すつもりです」
「あぁ……そうなんだね……」
「それで……この国を離れてしまうから、もし万が一彼女が……ディアナが戻ったとしたら力になって欲しいんです。僕がいないと困るだろうから……」
「あぁ!勿論だよ!ディアナさんを見かけたら、必ず力になるから!」
「お願いします……これ、少ないですが……受け取ってください」
快く僕の願いを承諾してくれたご主人に、僕はある程度のまとまった金を手渡した。店主は受け取った袋の中身を見て、酷く驚いて慌ててそれを突き返す。
「こんなの貰えないよ!むしろこれから君の方が必要になるだろう?これは君が持っておきなさい」
「いえ……もしディアナが困っていたら、これで助けてほしいんです。それに国外にいる僕にも知らせてほしいから……だからお願いです。どうかこれを受け取ってください」
お金の入った袋を突き返そうとするご主人に、僕はその手を両手で包み込んでやんわりと押し返した。そのまま頭を下げれば、観念したように彼はため息を吐く。
「……わかったよ……そこまで言うのなら、これはありがたく受け取って、いざという時の為に使うようにするよ。だが忘れてしまうといけないから定期的に手紙を送ることにしよう。それで君との連絡はどうすればいいのかな?」
「ありがとうございます!……隣国にフリークス商会の本部がありますから、そちらへと届けてもらえればわかると思います」
「そうか、分かったよ!あ、そう言えばこないだ会った反王制派の彼を覚えているかい?彼が君に伝えることがあると言っていたんだ。まだ時間はあるかな?」
「えぇ、大丈夫です」
「そうか、暫くしたら店に来るだろうからそのまま待っていてくれ。それと折角だから最後に私のパンをたらふく食べていってくれよ」
そう言っておどけたように笑うご主人は、これまでと何も変わらない温かさをもって僕に接してくれて、それがとても嬉しかった。
そうして話をしつつ待っていれば、店の扉を見知った顔が開く。
「あぁフライヤ、丁度良かった。エルロンドさんが来ているよ」
「!!そうか……あんたは無事だったんだな」
フライヤと呼ばれた男は、一瞬目を見開いた後、僅かに安堵の表情を浮かべた。パン屋のご主人がその名を呼んでいるということは、既に革命が成されて反王制派としての存在を隠す必要が無くなったからだろう。そこに複雑な思いを抱えつつも、僕はフライヤに挨拶をした。
「フライヤさん、先日はどうもありがとう。それに迷惑を掛けてしまって……申し訳なかった」
「いや……まぁ、あんたのおかげであの場を切り抜けられたわけだし、今はもうこの情勢だ。気にするな……と言うのもなんだか可笑しな気がするが、あの時はこちらも助かったよ」
互いにぎこちなく謝罪とお礼をすれば、側で見ていたパン屋のご主人がくすくすと笑い出す。
「思っていた通り、君たちは相性が良さそうだ。真っ直ぐで純粋な所がそっくりだね」
「なっ……何をっ!」
パン屋のご主人の言葉に、フライヤが顔を赤らめさせて怒りだす。けれどそれはどう見ても図星をさされた態度に思えて、僕も思わず一緒になって笑ってしまった。
「おい、あんたにまで笑われるいわれはないぞ?失礼な奴だな」
「すみません……ところで何か私に話があるとか?」
「あぁ……そうだった」
僕が話を向けると、フライヤは思い出したように指をパチンと鳴らしてこちらを指さす。そして思いもよらないことを話し始めた。
「こないだ巻き込まれそうになった捕り物の前の日の件だ。貴族の馬車と過激派の連中が争いになったって言ってただろう?」
「えぇ」
「どうやらその馬車、異国の貴族が使っていたんじゃないかって」
「異国の貴族……?」
「あぁ。争いになった原因自体は、馬車が起こしたちょっとした事故だったそうなんだが……中から怒声を上げたのがどうやら貴族の奴だったらしくて。それで過激派の連中が怒っちまって争いになったんだと。んで、その貴族とやらを引きずり出そうと、過激派の一人が無理やり扉をこじ開けようとしたんだよ。そしたら馬車が急に発進したもんだから、過激派の連中は余計に火がついちまって」
渋い顔をしながらフライヤが淡々と語る。だがその話が行きつく先がどこなのか、僕は想像するだけでも恐ろしくて思わず肩を震わせた。
「過激派の連中はその後、相手の貴族を調べようとしたんだ。だが、どうやらこの国の貴族じゃないらしいってなったんだと」
「どうしてそれが分かったんだい?」
そばで聞いてたパン屋のご主人が、嘴を挟んで質問をした。確かにちょっと姿を見ただけで異国の貴族かそうでないかなど、普通の平民にわかるとは思えない。フライヤは今度はパン屋の主人に向き直ると、身振りを付けながら話し始めた。
「馬車は貸出されたものだったんだよ。国境近くの街の貸し馬車専門の店のものだった。とある貴族の使いだと言う者が借りに来たらしい。馬車が返却されたのは、あの事件が起きてから2日後。かなり手荒に走ったようで、馬車の状態について返却時に随分と揉めたそうだ。ただ返却にやってきた者は、自分は雇われただけだから知らねぇって言うんだ。相手は異国の貴族らしいからそっちを当たれと」
「なるほど。それで異国の貴族ということがわかったんだね……けれどその話が一体エルロンドさんとどういう関係が……」
パン屋のご主人が未だわからないと言う風に首をかしげるが、僕はその話の意図が既に分かった気がしていた。けれどその恐ろしい可能性を信じたくは無かった。
「そいつが貸し馬車の親父に言ったんだよ。馬車を借りた当の本人は異国の若い貴族と、その連れのえらく綺麗な金髪の女だったって」
「!!!」
突き付けられた事実に、僕は無意識に体が震えた。その馬車に乗っていた女性と言うのは、きっとディアナのことだろう。時と場所が符合する事を考えれば、まず間違いない。僕はようやく見出したその僅かな手がかりに、我を失ったようにフライヤに縋った。
「フライヤさん!その貸し馬車を教えてください!あとその雇われ人だという男のことも……!」
「あ、あぁ……馬車屋は大丈夫だが、雇われ人については……すまねぇが人づてで聞いただけだし、すぐにいなくなっちまったそうだからよくわからないが……」
「それでも!!どうか!お願いします!!」
僕はついにディアナに関する重要な情報を知ることができた。そしてそれをもたらしてくれたフライヤと、パン屋の店主ににお礼と別れを告げて、家へと戻る。
すぐに国を出る支度を終えた僕は、急いでその貸し馬車のある街へと向かった。
しかし僅かな手がかりを元に国境近くの貸し馬車屋へ向かった僕は、すぐに壁にぶち当たった。貸し馬車屋に話を聞くことができたのだが、フライヤに教えてもらった以上のことは何もわからなかったのだ。
馬車屋の主人は、雇人である男にしか会っておらず、しかもその男は馬車の返却について揉めると、隙を見て逃げ出してしまったそうだ。その男について聞いたが、特にこれと言った特徴のない男で、見つからなくて自分も困っているのだと馬車屋の主人もぼやいていた。
僕は手持ちの金を彼に渡して、もしその男を見つけたら、隣国のフリークス商会に知らせて欲しいと頼み込んだ。彼が約束を守ってくれるかどうかは賭けでしかなかったが、僅かな可能性でも僕は見捨てることができなかった。
そうして僕はその街を発ち、シネンが商会長を務めるフリークス商会の本部がある隣国へと向かう。そこを拠点に、商会の力を使って異国の貴族と共にいるというディアナを探すつもりだった。




