20 義兄の願い
アムカイラの王城で捕まった僕は、重罪を犯した者が入る地下牢へと連れてこられた。地下牢には多くの反王制の過激派が入れられており、僕はその中でも特に警備の厳しい独房へと入れられたのだ。
鎖につながれ、ほとんど灯りが無い中で一人待っていると、暫くして国王であるグスマンがやって来た。彼は鎖に繋がれた僕の姿を見ると、その顔に歪な笑みを浮かべる。
「ふっ……無様だな。かつては王太子よりも王位に近いと言われた男の末路がこれか……」
「……僕はそんなことは望んでいなかった……ただ彼女と……ディアナと平穏な暮らしがしたかっただけだ……」
僕とグスマン以外に誰もいない空間で、僕は敢えてかつてのようにグスマンに話した。一人の男として、かつての友に今の自分の気持ちを伝えたかったのだ。
けれどグスマンは僕の言葉を一笑に伏すと、憎々し気に口元を歪める。そこに彼が抱えていた心の闇を見た気がした。
「だが、お前達はかつて王太子である俺の立場を脅かした。その結果がこれだ。お前が望んでいなかったとしても、周囲にその思惑を許した時点で同罪だ」
「……それでも僕は王になりたいと思ったことはない。僕もディアナも、グスマン……君こそが王に相応しいと思っていた……その想いは今も変わらない……」
かつての友の名を呼べば、グスマンは難しい表情をした後に、顔を逸らして黙り込む。
今思えば、こうしてちゃんとグスマンと面と向かって話をするべきだったのだろう。彼が何に悩み、苦しんでいたのかを知っていれば、兄と妹を引き離すことにならなかったし、グスマンもここまで強引な治世をすることなかったかもしれない。
──だがもはや全ては遅すぎたのだ。
「……ディアナは……」
やがて長い沈黙の後に、グスマンが重い口を開く。
「……ディアナはお前と共に行って、本当に幸せだったのか……?」
彼が紡いだのは、妹を案ずる兄としての言葉だった。僕は瞼の裏が熱くなるのを感じながら、グスマンに大きく頷きを返す。
「あぁ……商人の妻として、彼女は毎日幸せそうに笑っていたよ。ささやかだけどちゃんと結婚式も挙げたんだ。花嫁衣裳を着たディアナはとても綺麗だった……君にも見せてあげたかったよ……義兄さん」
「…………そうか……」
顔を逸らしたまま、グスマンは再び沈黙した。
そこにある想いは、兄としての後悔か、それとも王としての苦しみか。彼に責任の全てを押し付けて逃げ出した僕には、到底計り知る事はできない。
再び沈黙が僕らの間に横たわった。
それまでのどこかひりつくようなものではなく、どこか穏やかさを湛えた静かな時に僕らは沈んでいく。けれどそれは長くは続かなかった。
──ドォォォンッ──
「!!?今の音は……?」
突如遠くで爆音のようなものが鳴った。それと同時に、地下牢を揺さぶるような振動が僕達を襲う。
何事かと驚いていると、すぐに僕らのいる独房へと兵士がやってくる。
「陛下!大変です……!過激派の襲撃がっ……!」
「何だと!?状況は?」
「まだ詳しくは……ただ門を突破しようと爆薬を使っているようです!すぐにお逃げください!」
「馬鹿なっ……!国王がおめおめと逃げてたまるものか!すぐに兵を集めて迎え撃つ!」
グスマンは兵士の報告に再びその顔に怒りを湛えると、踵を返して独房を出ていこうとした。
「グスマンっ!」
僕は彼の身が心配で呼び止めた。商人として市井にいたからこそ、今のこの国の状況がどれだけ彼にとって危険なものかわかっている。だが、グスマンは王として逃げることも隠れることもしないつもりのようだった。
僕の必死の呼びかけにグスマンはその足を止め、振り向かずに静かに答えた。
「……ディアナはここにはいない……治安部隊の報告は全て聞いているが、妹と似た人物が捕まったことも、彼女がここを訪ねてきたことも無い……」
「そんな……」
グスマンの答えに絶望に打ちひしがれて声を落とせば、キンッ!と何か金属が落ちるような音がした。視線を音のした方へ向ければ、そこには小さな鍵が落ちていた。
「……騒ぎが収まってから使え。扉は開けておく」
それは手錠の鍵だった。彼は僕がここから逃げ出せるように、敢えてそれを落としたのだ。
「……妹を頼んだぞ……エル」
そう言ってかつての友は、こちらを振り返ること無く出て行ってしまう。
「グスマンっ!!」
僕は必死にその名を呼ぶけれど、彼からの返答はもはや無かった。
僕は床に落ちていた鍵を手を伸ばして取ると、すぐにそれで手錠を外した。そして扉へと顏を寄せて、外の音に耳を澄ました。
何度か遠くに爆発音が鳴り響いて、その後は特に物音は聞こえなかったが、暫くして地下牢まで怒号と剣戟のような金属音が聞こえてきた。どうやら反王制の者たちが、城内まで侵入してきたようだ。
扉の鍵は開いているが、僕はそのまま息を殺して扉のすぐ横の壁に身体を貼り付けていた。
やがてドタバタと激しい足音がしたかと思うと、地下牢に捕まる過激派の仲間たちを呼ぶ声が地下の空間に響く。王城を襲った者たちが、捕らえられた仲間を助けに来たのだ。
独房であるこの部屋も、小さな見張り窓から覗き込んで中を確認したようだが、誰もいないのがわかるとすぐに襲撃者たちの足音は去っていった。
僕はその後も、城が静けさを取り戻すまでその場にじっとしていた。
もしここで下手に動いて過激派の連中に見つかったとしたら、いくら商人だと説明したとしても疑いを掛けられてしまう可能性が高い。何より僕の姿を見ていた兵士や、僕の顔を良く知っている高位の貴族が捕まっていたとしたら、彼らから素性がバレる危険があった。
(何としてもここを抜け出さなければならない……ディアナの為に……!)
グスマンが最後に告げたのは、ディアナがここにはいないという事実。そして僕に妹を託すと言う兄としての想いだった。だから僕はそれに応える為にも、王城から無事に逃げ出す必要があった。
──そしてどれだけの時が経っただろうか。
長い時を暗闇の中で過ごした僕は、ようやく地下牢からひっそりと逃げ出したのだ──




