12 恋に気付く時 (レスター)
引き続きレスター視点(過去)の夜会シーンです。
夜会の会場には必ず休憩の為の部屋が用意されている。ドレスを汚してしまった場合の避難場所としては最適だ。
連れてきた女性をその部屋へ入るよう促すが、躊躇してなかなか入ろうとしない。どうしたのかと彼女を見やれば、困ったように眉を下げて、こちらを見上げた。
「あの……ありがとうございました。後はもう、一人で大丈夫ですので……」
慎み深いその女性は、私と一緒にいる所を周りに見られるのを気にしているのだろう。広間を抜けてくる間にも、いくつかの視線を感じたし、今もまたチラホラこちらを気にしている人間がいるようだ。
このまま彼女と共に入室するようなことがあれば、人々の噂がどういうものになるのか想像に難くない。恋仲と噂されるか、一夜の関係とでも言われるか……。
他の女性であれば、この好機を逃さず迫ってくるのだろうが、彼女は全くそんな素振りはない。
「参ったな……本当に君は他の女性とは違うようだ」
「え……?」
思わず漏れた心の声。
他の女性とは違うのが彼女の良さなのに、その違いを残念に思う自分がいる。
恥ずかしそうに頬を赤らめる彼女に、無性に愛しさが込み上げてきて、今まで感じたことのない衝動に駆られる。
(男として彼女に求められたい──)
その細い腰を抱き、小さな手を抑え込んで、驚く彼女の吐息さえも飲み込むような口づけを──
(──って私は何を考えているんだ!)
妄想で彼女にとんでもないことをしでかそうとする自分を、心の中で殴りつける。同時に浅ましい劣情を抱いてしまう自分に戸惑った。
彼女のつぶらな瞳が、私のそんな醜さを全て見透かしているような気がして、真っ直ぐ見ることができない。
このままではいけないと、私は近くの使用人を呼んで、彼女の世話をさせることにした。
「────ちょっとそこの君!
こちらの御令嬢がドレスを汚してしまったから、すぐに染み抜きの用意をお願いできるかな。それと身体も冷えてしまっているようだから、温かいお茶も」
少し落ち着かなければいけない。彼女の為にも、自分の為にも。使用人が準備の為に下がるのを見届けながら、私はこれからのことを考えた。
(どうにも彼女を前にすると、自分が自分でなくなる。だがもっと彼女のことを知りたい……)
今一度彼女の方を見やる。使用人の女性が対処してくれるとわかり、安堵した表情をしていた。その柔らかな表情に、心の奥がぎゅっと掴まれる。
(もっと笑顔が見たいな……)
彼女が花のように笑う姿を想像し、口元がにやけそうになるのを必死で堪えた。
(だがこのままでは、通りすがりに助けただけの関係になってしまう。どうにかして彼女との時間を作らなければ)
そう思った私は、そこでハッとした。
彼女の父親には名乗ったが、まだ彼女にはきちんと名乗っていなかったのだ。自分の愚かさに頭を抱えたくなる。本当にこのままではいけない。
「あの……」
「レスターだ」
「え?」
「今更だけど、私はレスター・エスクロスと言うんだ。まだ君に向けては名乗っていなかったから」
そう言って真っ直ぐに彼女を見つめる。彼女の美しい翠玉色の瞳を捕らえて逃さぬように。すると彼女の中に、淡い熱が灯ったように見えた。
「デイジー・フラネルです……お会いできて光栄ですわ、エスクロス侯爵子息様」
ドレスの裾をつまんで、優雅に挨拶をする彼女に、私は思わず抗議の声を上げた。彼女から欲しいのは、儀礼的な関わりではない。
「レスターだ、デイジー」
「え……」
「可愛らしい名前だね」
唐突に名前を呼べば、彼女、デイジーは一瞬キョトンとした顔をして、すぐに真っ赤になった。
私は自分の悪戯が成功したことに思わず微笑むと、彼女の手を取った。恥ずかしさでそのまま逃げだしてしまいそうな彼女を、絶対に逃がしはしないと、そう思って。
「もっと君と話しがしたい──どうかこの後の時間を私にください、レディ」
口づけを一つ、彼女の柔らかな手に落とす。
仄かに鼻腔をくすぐる甘い香り。その蕩けるような誘惑に、私は理性を飛ばされそうになりながら、清廉な誓いを立てる騎士のような心持で、彼女を見つめた。
(きっと、これが恋というやつなんだ──)
直観的にそう思った。
初めて見た時から──いや、その声を聴いた時からかもしれない。
心惹かれていく自分を、止めることが出来なかった。
私たちは出会うべくして出会ったのだ。
──運命に導かれて──




