13 不穏な街の状況
仕事を終え自宅へと戻ると、既にディアナが夕食を用意して待っていてくれた。元王女だった彼女は、勿論料理をしたことがなかったわけだが、それでも旅暮らしの中で少しずつ家事を覚え、今ではその辺の料理人には負けないくらいの腕前となっている。
麦の香りが香ばしいパンに、温かなスープの夕飯を二人で囲い、日々の感謝を神に祈ってから僕らは食べ始めた。
食卓で交わす会話は、主に互いの一日の出来事だ。僕は商会で働き、ディアナは主に家事をしてくれている。
旅暮らしだった頃は、ディアナも共に商売人として露店に顔を出していたが、このアムカイラでは彼女の姿を見知った者がいるかもしれない。僕はその危険性を考えて、商会での仕事に彼女を連れ出さないようにしていた。
「何だか最近は、どこも物々しい感じね。エルの方は大丈夫なの?」
「あぁ、特に問題はないよ。これでも元貴族だからね。あちらのやり方はそれなりにわかっているつもりだ。有無を言わせない書類の作成法も、役人のご機嫌取りの方法もね」
「まぁ!それは頼もしいわね」
片目をつぶっておどけてみれば、ディアナはころころと可笑しそうに笑う。実際のところそうした知識と経験は、今の仕事に役立っていた。おかげで役人の取り締まりが厳しくなってきた中でも、何とかやってこれているのだ。
「お隣のリーマさんの奥様から聞いたのだけど、他の街では反王制を掲げる声が随分と上がっているらしいわ……」
「……そうか……中々うまくいかないものだな。争いを避ける為に国を出たのに、また別の原因で争いが起きるなんて……」
「エル……」
王位を継いだグスマンの治世が、人々にとって良くない方向へ向かっているのは、もはや明らかだった。その原因の一つが、僕ら自身だったのだと思うと、やるせない気持ちになってくる。
そんな後悔の念を、ディアナも感じ取ったのだろう。テーブルに置いた僕の手を取り、優しく包んでくれた。
「貴方のせいではないわ、エル。この国の今の状況は、全て兄自身が引き起こした事よ。私たちには到底予想はできなかった。それに、私たちはこれまで精一杯のことをしてきたんだから、何も悔いる必要はないわ」
「ディー……」
ディアナを守ると僕は決意したはずなのに、今では妻として僕を支えてくれるのは彼女の方だ。ディアナの温かくも心強い優しさに、僕は安堵の笑みを向ける。
彼女の存在があるからこそ、僕はこうして立っていられるのだ。それがどれだけ幸せなことか、考えるだけで思わず涙が出てしまいそうになる。
「ありがとう、ディー。確かに僕らはできることを精一杯やってきた。それはこれからも変わらない」
「えぇ、商人のエルと、その妻である私が、今できることをすればいいのよ」
そう言って朗らかに笑うディアナ。強くて優しい彼女が愛おしい。どんな困難な状況でも、彼女がいれば何でもないことのように思えるのだから。
そんな幸せな日々が、僕はずっと続くと思っていた。
けれど僕らの想いとは裏腹に、王家と民との間に生まれた不信感と言う名の亀裂は、更に悪化していった――
「また、反王制派の連中が治安部隊に連行されたらしい。これで今月何件目か……」
そう不安げな様子で話すのは、商会にやってくるいつものパン屋のご主人だ。彼の言うように、ここ最近の反王制派を名乗る市民たちによる反発は凄まじいものがある。
そこかしこで反王制派の集会が密かに行われ、今の王制へ不満を持つ者たちの勢力が、徐々に大きくなってきているらしい。中にはかなり過激な意見を持っている者もいるようだと、パン屋のご主人は話してくれた。
「エルロンドさんはどうするんだい?あんたの所は、貴族に対してあまり繋がりを持っていないだろう?」
パン屋のご主人が、どちらの側につくのかを暗に聞いてきた。僕は暫く考えて、彼の言葉に小さく頷きを返す。
「まぁ、うちは庶民を相手にする方が気が楽ですからね。ただ、どちらの側と言われても……そもそもこの商会は、元々別の国が本拠地ですし、うちの会長はあまり政治とは関わり合いたくない性分ですから……」
自分には決定権が無いのだと言葉を濁せば、パン屋のご主人はよくわからないといった表情で首をかしげる。
僕自身としては貴族達との繋がりを持つ気はそもそも無いし、だからと言って過激な反王制派の肩を持つ気もない。いざという時はどちらの側にもつかず、この国を再び離れるつもりでいた。
僕が第一に考えるべきはディアナの安全だ。今の僕に国内を二分する争いを止める力は無いし、商人としてこの国の為に働こうという想いも、ディアナの存在があってこそのものだ。彼女の安全を引き換えにまでして、危険な責任を負うつもりはない。
だから、やんわりと自分には関係の無いことのように振舞った。
「いざとなったら、店をたたむしかないかもしれないですね。何せ商人としての知識はあっても、剣を持った経験などないですから。異国人である私には、この国の今の状況は少々厳しいですし」
「そうだねぇ。私もパンをこねたりしても、その手で人を殴ったりはできないよ」
争いに消極的な姿勢の異国の男を演じれば、パン屋の主人も一緒になって笑ってくれた。その様子に僕は密かに安堵の吐息を漏らすと、改めてこの国の現状に想いを巡らせる。
国王によって治安部隊が各地に配備され、反王制派の勢力はことごとく捕縛されている。だがその武力による圧政に対しても、人々は不満の声を治めはしなかった。
最近では、治安部隊と反王制派の間に起こった衝突で、けが人が出たという話も聞く。いずれ誰かの命がその争いの中で失われてしまうかもしれない状況が、もう目の前まで来ていた。
僕は今後のことを考えて、商会をこの国から撤退させる考えである旨をシネンに手紙で伝えることにした。




