10 シネンの協力
日が明ける前に、僕とディアナを乗せた荷馬車は、アムカイラと隣国の国境を越えた。
国境沿いの関所では、兵士が荷駄を検査するが、そこは元領主代理としての権限を使って、しっかりとした許可証を御者に渡してある。荷馬車は形だけの検査をされたのみで、あっさりと国境を越えることができた。
しばらくして休憩の為に荷馬車が速度を落とし、街道の脇の木陰に停車した。御者の男が幌のかかった荷駄の方へと移動すると、僕とディアナの入った箱を開け始める。真っ暗な闇の中に、一気に朝の眩い光が差し込んできた。
「もう大丈夫そうですぜ、坊ちゃん」
「……坊ちゃんはやめてくれっていっただろう?シネンさん」
「ははは!そうだったそうだった!わりぃわりぃ」
窮屈な箱の中から立ち上がり、文句を一つ言えば、豪快な笑い声が返ってくる。御者として僕らをここまで運んでくれた目の前の男は、シネン・フリークスという商人だ。
彼は大きな手で僕とディアナが箱から出るのを手伝ってくれると、その大きな図体からは想像もつかないほどの素早さで、僕らが座る場所を整えてくれた。
髪と同じこげ茶の立派なひげを生やしたシネンは流れの商人で、様々な国を跨いで商売をしている。僕が幼少期の頃からの知り合いで、彼にはよく色んな国の話を聞かせてもらっていた。今でもその交流は続いており、シネンがアムカイラ王国へ来た際には、いつも僕の下に立ち寄ってくれていた。
「それにしても思い切ったことをするねぇ……手紙をもらった時にはまじで驚いたぜ」
荷馬車の中でようやく普通に座れた所で、シネンはまじまじと僕とディアナの姿を見比べた。彼には全ての事情を話してある。思い切ったことというのは、王女であるディアナと、公爵家嫡男である僕が、駆け落ち同然で屋敷を飛び出したことを言っているのだ。
「……理由はわかっているでしょう?このまま僕が公爵家にいたら、領地を巻き込んだ戦になったかもしれない……」
「……まぁそうだな。裏で王家が画策してたんじゃぁ、状況は好転するはずがないわな」
笑顔から一転、難し気な表情で考え込むシネン。彼には、その商売の手腕を見込んで、ここ最近の領地の物流を調査してもらっていた。
本当なら領主代理として、僕には自分の領地と領民を守って行く義務がある。ディアナと二人、全てを投げ出して逃げ出す僕らを、いくら友人だとはいえ真面目なシネンが友情だけで協力してくれるはずがない。だがここ最近の麦や他の物資の不足が、王位争いが原因で起こっているとしたら話は別だ。
この事態を引き起こしたと思われるのは、王太子のグスマンの一派だ。病気で伏せっていた陛下の代わりにグスマンが物資の買い占めを命じていたのだろう。僕が国境沿いの領地代理となったのをきっかけに、その管理能力の無さを周囲に知らしめようと、このような事態を引き起こしたのだ。
どんなに策を弄しても、王家が相手であっては状況が好転しないのも頷ける。そしてそれが今後も解消されないとなれば、いずれは血で血を洗うような争いに発展していくのは目に見えていた。
だから無責任かもしれないが、僕が公爵家を出た方がこの事態を好転させることができると思ったのだ。そしてその考えをシネンもわかってくれて、ディアナと二人で出奔する手伝いを買って出てくれた。
「……後の事は、父や他の者達が良くしてくれるはず……僕はそれをこうして遠くから祈ることしかできないけど……」
故郷に残してきた人々を思い、苦々しい表情を浮かべれば、隣に座るディアナが気遣うように僕の手を握る。
「大丈夫……貴方の選択は何も間違ってはいないわ……」
「そうだぜ、坊ちゃん。自分の身を削ってまで領民のことを思う領主はなかなかいないさ。……けどそんな坊ちゃんなら王様になっても良かったと俺は思うがねぇ……っておっとこれは失言だな」
つい本音をぼやいてしまったシネンに、僕は微笑みを返した。彼が様々な想いを抱えながらも、僕らの未来を案じてくれていることを知っているからだ。
「もしそうだったとしても、やはり僕は争いたくはないよ。自分の義理の兄になる人や、その周囲の人たちと。誰の血も流れてほしくはない」
「えぇ、そうね。私もそう思うわ。きっとそんなことになったら、例え二人が一緒にいられたとしても、きっと後悔すると思う」
僕の意見に同調するように、ディアナが頷く。
そんな僕らの様子を見て、シネンはその太い眉を下げると、よし!と一際大きな声を上げた。
「そうなったら、俺たちは自分のできることをするまでだ。商売人には商売人としてのやり方ってもんがあるからな」
どん!と勢いよく自らの胸を叩くシネンに、僕らはひと時の安心感を得て、笑い合うのだった。




