9 二人だけの門出
父を含む反王太子派の思惑を知ってから数週間──僕とディアナは、悩みに悩んだ末、ある決断を下した。そしてついにそれを実行することにした。
「……本当に後悔しないかい?ディー」
「えぇ、勿論よ。もうお姫様の役は十分演じたもの。今更惜しくなどないわ」
「……ありがとう」
僕とディアナは、自分達だけで生きていくことを決めた。地位だけでなく家族や住むところさえ捨てて──
僕に不安な様子を見せまいと、明るい様子で胸を張るディアナ。王女としてのおしとやかな姿を周囲には見せていたが、本来の彼女は活発で自分の意見をしっかりと持っている女性だ。
ディアナは自分が原因で、国が分裂することを良しとはしなかった。だから彼女は僕が、公爵家の跡取りとしての全てを捨てて、家を出ていくつもりだと話した時に、何も反対はしなかった。むしろ僕の意見に賛同してくれ、自分もついてくるとまで言ってくれたのだ。
本当は不安だった。ディアナの為を思うなら、父の思惑通りの人生を歩むことも選択肢の一つかもしれないからだ。
安全を考えるならば、父の思惑通り次期王位を目指すか、完全に僕がその地位に成りえない存在になるしかない。
例えこのまま何もせずに公爵家嫡男としてディアナと結婚したとしても、僕らが繋いでいく血は、王太子殿下のそれよりも王家の血が濃いと周囲の人々は認識するだろう。そうすれば次は僕らの子供が標的になるかもしれないのだ。
僕は散々悩んだ末に、公爵家の後継ぎという地位を捨てて平民になることを決意した。本当なら公爵家を継いで、ディアナを世界一幸せな花嫁にするはずだったが、危険を冒してまでその地位にい続けようという考えはなかった。でも平民になることで、逆に彼女を不幸にしてしまうのではないかという不安もある。
それでも目の前のディアナは、不安げな様子は微塵も見せない。僕が平民になるという考えを告げた時から、彼女の美しい翠玉色の目には希望の光が灯っていた。
「どうしたの?何か考え事?」
「……いや……あぁ、でもそうだな。ちょっとだけ君のことを考えていた」
「なぁに?目の前にいるのに、まだ私のことを考えているの?おかしいわね」
そう言ってクスクスと笑うディアナは、これまでと何も変わらない。彼女は自分が王女であってもそうでなくても、僕と一緒にいられればいいのだと、そう全身で言ってくれているようだった。
「そうだね。僕はいつだって君のことで頭がいっぱいさ。おかげでちっとも不安なんか感じないよ。むしろ一緒にいられる時間が増えるから、嬉しいくらいさ」
「えぇ、そうね!私もうまくできるかはわからないけれど、貴方の奥さんとしてがんばるわ!」
「ふふ、僕も君の旦那さんとして、頑張らないとな」
なんだか可笑しくなって二人で笑い合えば、誰にも見送られぬこの寂しい門出さえ喜びに満ち溢れたものになる。
僕はディアナの白くて華奢な手を握ると、館の門へ向かって歩き始めた。
周囲は真っ暗な闇に包まれている。領主館の人々は、まだ夢の中だろう。日の出まではだいぶ時があるはずだ。
僕らは僅かな荷物だけを手に持ち、誰にも告げず館を後にする。街道まで出れば、知り合いの商人が待っていてくれるはずだ。
やがて門までやって来て、僕は一度だけ館を振り返る。ディアナもそんな僕に合わせて振り向いた。夜の冷たい風が一陣、頬を撫でていく。
「……さようなら、父上、母上……」
小さな呟きは闇の中に消えていき、誰にも拾われることなく後は風の音だけが響く。
僕は再び前を向くと、もう後ろを振り返ることはしなかった。ディアナもそんな僕に黙ってついてきてくれる。
そうして僕らは、自分たちのこれまでの人生と決別して、新しい未来へと向かって歩き始めたのだった。




