5 離れ離れの恋人たちと、異変への予兆
ディアナとの婚約が整ったのが、僕が16歳で彼女が15歳の時だ。本当なら婚約期間が1年くらいで結婚するのが普通だったけど、僕がまだ16歳ということと相手が王族というのもあって、結婚まで数年の期間が要されることとなった。
僕自身成人したとはいえ、父からの仕事も少しずつ教わっている状態で、まだまだ半人前だ。だから数年の婚約期間にそこまでの不満はない。周囲の誰からも認められるような立派な男になって、ディアナを迎え入れたかった。
暫くの間は父についてその仕事ぶりを学び、他の貴族達との繋がりも作っていく。王都にいる機会も多かったので、その頃はディアナともよく逢瀬を重ねていた。
その状況が変わったのが、僕が18歳になった頃だ。
フィルカイラ公爵家は、国内にいくつか領地を持っていて、隣国との境にもその一つがある。国境近くの土地の管理には繊細な面があるけれど、国の中心部では学べないような事も多い。異国との流通や新規産業に関する事業を学ぶという名目で、僕は暫く国境沿いの領地に行くことになった。
「寂しくなるわ……すぐに戻ってこれるの?」
「この仕事を任されるようになったってことは、僕らが一緒になれる日が近いってことさ。頑張るよ」
王都を発つ前日、ディアナは僕との別れを惜しんで涙を浮かべていた。彼女のいる王都から国境沿いの領地まではかなり遠い。そう簡単に行き来できるような場所ではなかった。
だが父が僕に任せると言ったのだ。一人でかの地に赴くということは、一人前としてようやく認めてもらえた証拠だろうと、僕は少しだけ誇らしい気持ちだった。
けれど目の前の愛しい人は、これがまるで今生の別れであるかのように、悲し気な表情をしている。それもそうだろう。僕らは出会ってからずっと共にいたのだ。長く会えなくなることなんて、考えもしなかったのだから。
「手紙を書いてくれるかい?遠い土地の恋人たちが、手紙のやり取りだけで愛を交わすというやつにちょっと憧れていたんだ」
僕がそう言って片目をつぶると、ディアナはキョトンとした顔をした。
これまでも手紙のやり取りをしたことはあるが、それはすぐ先の予定を取り付けたりする為のものだ。長く会えない期間があって、その上で互いのことを想って手紙を交わすのは、まだしたことがない。
僕の提案に、ディアナの悲し気だった顏がすぐさま喜びに満ち溢れる。
「えぇ勿論!……そうね、確かに手紙だけで愛を交わすのって、ちょっと憧れるかも」
「ふふ……でも手紙は嬉しいけど、同じだけ寂しいってなっちゃうかもね?」
「そうしたら毎日でも届くように手紙を書かなきゃ!」
僕がちょっと意地悪なことを言うと、ディアナはすぐさま意気込んで答える。その様子が可愛くて、僕は笑顔になる。本当に彼女なら毎日でもやりそうだ。勿論僕もだけど。
「返事が届く前に手紙を書くと、内容がちぐはぐになりそうだね」
「そうね、ふふっ。でもそれもきっと面白いわ」
そんな風にして僕らは、会えなくなる不安を笑い飛ばしたんだ。
国境沿いの領地へと行ってからは、色々と覚えなければならない仕事が多く、とても大変だった。けれど4~5日に1通はディアナからの手紙が届くので、大変な仕事も頑張れた。
ディアナ曰く、これでも手紙を出す頻度を抑えているらしい。それでも僕は嬉しくて、同じだけの頻度で手紙を返すのだった。
そうして数か月が穏やかに過ぎていった頃、国境沿いの領地では一つの異変が起こっていた。
「麦の買い占め?」
「えぇ、隣の領地では既に麦の売価が3倍にも膨れ上がっているようです」
「そんな……今年は不作だなんて、どこからもそんな情報は無かったはずだけど……」
「他にも塩や砂糖も値上がりしているようです」
「物価が全体的に上がっているのか……」
市場調査をさせていた者からの気になる情報。麦や塩、砂糖は生活には欠かせないものだ。その価格が高騰しているのは見逃すことは出来ない。
国境沿いであるこの領地は、他領に比べてそこまで豊かな土地ではない。それでも耕作に不向きと言われたこの土地を、先祖が長年かけて改良して広げてきたのだ。今では自領の民が飢えずに済むだけの量と、僅かだが国外への輸出も出来るほどになっている。
だがうちよりも豊かであるはずの他領からの麦の買い占めを許せるほど、こちらに余裕があるわけでもない。
「今では国外への輸出よりも稼げるとあって、市場からどんどん麦が無くなっているようです」
「……そんな事をすれば、今は良くとも自分達が食べる麦が無くなるだろうに……」
「そうです。だからすぐにでも規制をかけませんと……」
「分かった。こちらでの領主代行の権限は既に私が貰っている。領主命令で市場に出回る麦を適正価格でこちらで買い占めよう。出し渋るようなら、今後この領地での商売を禁止するとして構わない。まずは何としても他領への流出を防ぐ」
「はい!」
「それから買い占めをしている商人と、流出先の領地を調べなければ……」
「そちらは既に人をやってます。すぐに情報が入るでしょう」
「よし、頼んだぞ」
何かこれまでにない異変が起こっている気がして、僕はすぐに王都にいる父に手紙を書くことにした。




