3 夏の日の小さな誓い
ディアナと出会ってから何年もの月日が過ぎた。子供だった僕らは、次第に大人へと向かって成長していく。その間に二人を取り巻く環境も関係もどんどん変わっていった。
確か二次性徴が始まった辺りだったろうか。僕達はお互いへの想いが、兄妹のそれではないことにとうに気が付いていた。
けれどそれまで築き上げた関係を崩したくなくて、互いに胸の奥に想いを秘めて、それをずっと言い出せずにいた。
そしてあの15歳の夏の日──僕らはついにその一歩を踏み出した。
「秘密の場所って一体どんな所なのかしら?」
「ふふ……それは着くまでの秘密だよ」
馬車の中では、ディアナがこれから向かう場所への期待を胸に、その美しい碧玉の瞳を輝かせていた。
明日は彼女の誕生日だ。いつもなら前日から誕生パーティーの準備で忙しくしているが、今日は僕の我が儘で彼女と二人外へ出かけている。
「こうやって二人で気軽に出かけられるのも、最後になるのね……」
「ディアナ……」
ふと外へ向けた視線が遠くを見つめるように、寂しげに細められた。彼女は明日15歳となる。それは彼女が大人の仲間入りをするということだ。これまでのように無邪気な時間を過ごすのは難しくなる。
そして成人した王族は、婚約者を選ぶことになるのだ。彼女は王女だから王の臣下に降嫁する形になる。王女と婚姻を結ぶとなれば、その家には王族と大きな繋がりができる。だから今後彼女に取り入ろうとする者は多いだろう。
(それでも僕は、ディアナが他の人に嫁ぐなど考えられない──)
僕はある決意を胸に、彼女を特別な場所に連れて行くことにしていた。
やがて馬車が止まり、目的の場所に到着する。御者が扉を開け、僕は先に外へと出た。そして馬車の方へ振り返り、ディアナへと手を差し出して恭しくお辞儀をする。
「さぁ着きましたよ、お姫様。お手をどうぞ」
「まぁ、ふふふ」
ディアナは本物の王女だけど、今は物語に出てくる異国の姫君と王子のように僕は振舞った。彼女も僕が演じているのがわかったのだろう。クスクスと楽しそうに笑いながら僕の手を取りて馬車を降りた。
そしてそのまま彼女の手を自分の腕に回させて歩き出す。やって来たのはとある森の近くにある草原だ。
馬車を停めた場所から暫く小道に沿って歩いて行くと丘があって、それを登ると視界が大きく開けた。
「まぁ……!すごい!」
「あぁ、これを君に見せたかったんだ」
目の前に広がるのは、一面に広がる色とりどりの花々。まるでそこだけ別世界のように鮮やかな色彩で輝いている。
「こんな場所があるなんて……知らなかったわ!」
ディアナは嬉しそうに笑顔になると、僕の腕からあっという間に抜け出して走り出す。その姿は、まるで花々の間を舞う蝶のようだ。
ディアナが遠くへ行ってしまうような気がして少しだけ不安になったけど、それでも彼女が喜んでくれるのが何よりも嬉しい。僕ははしゃぐ彼女に向けて声を掛けた。
「気に入ってくれた?」
「えぇ!連れてきてくれてありがとう」
花々の中で振り向いたディアナは、まるで異国のおとぎ話の中に出てくる妖精のようだ。可愛らしいけれど気まぐれで、あっという間にどこかへ飛び立ってしまいそうで目が離せない。
僕はそんな気まぐれで可愛らしい彼女に近づいた。
「ここに君を連れて来たかったんだ。おとぎ話の世界みたいだろう?」
「えぇ、本当に。まるで魔法の国にある妖精のお花畑みたいね」
「あぁ、今日は君がその妖精のお姫様だよ」
ディアナの手を取ると、僕は今度こそ彼女を腕の中に閉じ込めた。またすぐに飛んで行ってしまいそうだからだ。
「あっ……エル……」
「ディー……」
後ろから華奢なその体を抱きしめ、少し赤くなった可愛らしい耳の横で、僕だけが呼ぶ彼女の愛称を口にする。
「……どうしたの?いきなり」
少し上ずった声を出すディアナ。抱きしめる腕からは、彼女の小鳥のように可愛らしい鼓動が伝わってきた。
「ディー……そのまま聞いてくれるかい?」
「えぇ……」
僕は彼女を後ろから抱きしめたまま話し始めた。本当は顏を見たかったけれど、恥ずかしくて出来なかった。
「君と出会ってから今日まで……僕らはずっと一緒にいたね」
「……うん」
「けれど君は明日大人として認められる。これからは互いに大人同士だ。だからもうこんな風に自由気ままに共にいることは出来ないだろう」
「……」
僕の言葉にディアナの肩が小さく震えた。彼女の沈黙が、僕の言葉を肯定している。ずっと気付かずにいようとしていた現実が、もう目の前に迫っているのだ。
僕は一層彼女を抱きしめる腕に、力を込めた。自分の中にある想いを込めて。
「ディー……僕はずっと君を妹みたいだって言ってきたね。本当の妹だったら、ずっと一緒にいられるのにって……。けれど本当はそうじゃないんだ」
「っ──」
ディアナが息を飲む。それは二人のこれまでの関係を否定する言葉だと思ったのだろう。けれど違う。僕が本当に言いたい事は──
「君の笑顔を一番近くで見ていたい……兄としてでなく、ただの一人の男として──」
「!!!」
「ディー、君が好きだ。他の誰にも渡したくない。世界中の誰よりも君を愛している」
「エル──っ」
思い切り抱きしめれば、ディアナの身体が少し強張ったのが分かった。きっと彼女も自分と同じ想いだろうと思っていたのに、少しだけ不安になる。
「エル……手、放して?」
「っ──!……ゴメン……」
戸惑うように訴えるディアナに、僕は悲しみが胸いっぱいに広がっていくのを感じた。自分だけが浮かれていて、彼女の本当の想いに気付けなかったなんて、情けなさと悲しみとでどうにかなってしまいそうだ。
言われるままにディアナを腕の中から解放すると、すぐに彼女はそこから抜け出した。失った彼女の熱に、目の前が真っ暗になったような気がする。
けれど──
「私もよ?エル……私もずっと貴方と一緒にいたいの……妹としてではなく、一人の女性として……」
「っ……!」
気が付けば優しく包み込むような熱が、僕を抱きしめていた。
驚いて腕の中を見れば、少し恥ずかしそうにして僕を正面から抱きしめているディアナがこちらを見上げていた。白磁の頬が薔薇色に染まり、金糸のまつ毛に縁どられた碧玉の瞳が、キラキラと喜びに満ちて輝いている。
「……本当に?本当に君もそう思ってくれているのかい?」
ディアナからもらえた言葉のあまりの嬉しさに、思わず聞き返してしまった。彼女を疑っているわけではない。けれど一度は失ったかもと思った恋が、すぐさま戻って来たので、またどこかへ行ってしまうのではと不安になったんだ。
すると僕のその言葉が少し不満だったのだろう。ディアナが口を尖らせて生意気そうにツンと鼻を上向ける。本当に気まぐれな妖精みたいだ。
「嘘だと疑うのなら、これからもずっと一緒にいて確かめてみたらいいんじゃないかしら?」
「……ふふっ、確かに……そうだね」
そうやって悪戯っぽく言うディアナに、思わず笑いが零れる。きっと恥ずかしいのを誤魔化しているのだろう。強がって見せているけれど、耳まで真っ赤だった。
そんなディアナが可愛くて、もっと抱きしめたくなるけれど、恥ずかしそうにしている彼女をもっと見たいから、僕はその小さな手を握った。そしてそこへ小さなキスを落とす。まるで異国の王女様にするみたいに。
「じゃあ僕の君への想いが本当だってわかるように、ディーもずっと一緒にいて確かめてね?僕の大事なお姫様──」
「!!!」
「ふふ……真っ赤だね?」
「もうっ!エルったら!」
「はははは」
恥ずかしがって真っ赤になって、それでも強がるディアナが可愛くて、思わず抱きしめる。華奢で柔らかな身体が、すっぽりと僕の腕の中に収まった。小さくて、大切な僕の宝物。
「……これからもずっと一緒だ、ディー」
「うん……ずっと一緒ね、エル」
美しい花々の中で誓い合う小さな約束。
指輪も立会人もない、まだ子供のような二人。
けれど僕らは真剣だった。
僕らの運命は、これからも永遠に共にあると信じていたから──
お読みいただきありがとうございました。
エルロンドという人物は、恋愛面において一番ヒーローらしいヒーローだなぁという印象です。彼に愛されたディアナは幸せですね。




