1 幼き恋心との出会い
いよいよエルロンド編が始まります。
全編エルロンド視点となりますので、どうぞお楽しみください。
僕はエルロンド・フリークス。アムカイラ王国で生まれ育った。
生まれは公爵家の長男だったから、他の人よりは恵まれた生活をしていたと思う。でも想像もしないような出来事の連続で、僕の人生は思い描いたものとは全く違ったものになってしまった。
おかげで例えようの無い苦しみと絶望の中を長い間歩くことになったけれど、それでも同じくらい……いや、それ以上の喜びと素晴らしい宝物をこの手にしたんだ。
それがどんなに素晴らしいものだったか、ここで少しだけ語ろうか。
僕のとても大切な、唯一生涯愛する人との思い出を──
***
「エルロンド、さぁ王女殿下にご挨拶しなさい」
人々の騒めきが聞こえてくる中、8歳になった僕、エルロンドは、公爵である父に促され一歩前へと出た。ここはアムカイラの王宮。今日は末の王女殿下の誕生日を祝うパーティーが盛大に行われている。
目の前には、可愛らしいドレスに身を包んだ金色の髪の少女。僕より一つ年下の王女が、美しい碧玉の瞳を下に向けて、少し恥ずかしそうにして立っていた。
僕は教えられた王族への正式な礼を、間違えないように頭の中で反芻しながら王女に挨拶をした。
「初めまして、王女殿下。私はエルロンド・フィルカイラと申します。お誕生日のお祝いを申し上げます」
フィルカイラという名は、このアムカイラ王国では歴史ある公爵家の名前だ。この国の誰もが知る名前なので、僕が挨拶した瞬間、人々がこちらに注目するのがわかった。
彼らはフィルカイラ公爵家の跡取りである僕がどんな人物か、自分達に利があるのかを見極めようとしていたのだろう。僕は幼いながらに大人達の欲望に塗れた視線を感じて、少しだけ陰鬱な気持ちになった。けれど──
「ディアナ・ルイ・アムカイラです。お祝いをありがとう、エルロンド。よろしくね」
そう言ってにっこりと笑った王女ディアナは、花のように可愛らしくて、濁ってしまいそうな僕の心を一瞬で綺麗にしてくれる。
すぐにディアナのことが気に入った僕は、もっとその笑顔が見たくて話しかけようとしたけれど、彼女は挨拶が終わると少しだけ困ったような表情をした。その様子に僕は何か失礼なことをしてしまったかと不安になる。
「……何か変なことをしてしまいましたか?だとしたら申し訳ありません……」
僕はすぐに謝罪の言葉を口にした。いくら子供とは言え、大人たちの大勢いる公式の場での会話だ。王族の方に失礼があってはいけない。
けれどディアナは驚いたように目を見開くと、すぐに首を横に振った。そして僕に近づいて、他の人には聞こえない様にして意外なことを耳打ちした。
「あの……あそこにちょっと苦手な子がいて……」
そう言って僕の肩越しに視線を向けた先に、同年代の男の子達の姿が見えた。美しく豪華な衣装に身を包んでいるから、高位貴族の子息だろう。
僕の視線に気が付いた彼らは、思い切りこちらを睨んでいる。どうやらお姫様に真っ先に挨拶をした僕のことが気に食わないのだろう。だが嫌悪感丸出しで威嚇していては、王女殿下に忌避されるのは当然というものだ。
僕は彼らの視線をさらりと無視してディアナに向き直ると、片目をつぶっておどけてみせた。
「確かにあれは僕も苦手かも。視線で穴をあけられそうだしね」
「ふふっ、そうよね。エルロンドとは気が合いそう」
思わずいつもの砕けた話し方をしてしまったけれど、ディアナは全然気にした様子はなく、また可愛らしい笑顔を見せてくれた。
そうして二人でくすくす笑っていると、それまでこちらを見ていた子達が険しい表情のまま此方へと近づいてくる。それに気が付いたディアナは、ビクリと肩を揺らして僕の背中に隠れた。
「王女殿下、シュザイツ・オールドレンがお誕生日のお祝いを申し上げます」
「……ありがとう、シュザイツ」
真っ先に声を掛けてきたのは、僕よりも少し年上の高位貴族の子息シュザイツだ。王女であるディアナににこやかに挨拶をしているが、僕の方へは視線を一つも寄越さない。
「よろしければあちらでお話しませんか?王女殿下ほどの方でしたら、もっと高位の貴族との繋がりがあった方がいいでしょう」
シュザイツは明らかに僕を蔑んだような目で見下ろして、そんな風に言った。彼は僕がどの家の子供なのか知らずにそう言ったのだろう。知っていたらこのタイプの人間は自分より高位の家の子に突っかかってこないだろうから。
ディアナは困ったような表情をして僕に視線を寄越してきた。こういう尊大な態度をする奴のことが苦手なのだろう。僕は、彼女に大丈夫との意味を込めてニコリと微笑みを返した。
しかしその態度が気に食わなかったのか、シュザイツは強引に僕を押しのけると、ディアナの腕を掴んだ。
「痛っ……」
「さぁ王女殿下──」
痛がるディアナを全く気にもせずにシュザイツは、そのまま力任せにディアナを引っ張る。
「やめろ!」
僕は咄嗟に反対側のシュザイツの腕を取り、強く捻り上げた。
「痛いっ!何をする!」
突然強い痛みに襲われ驚いたシュザイツは、あっさりとディアナを掴んでいた手を離した。
「そういう君こそ、王女殿下にいきなり失礼だろう?殿下が痛がっていたのがわからないのか?」
「っ──」
怒りを込めて凄めば、先ほどまで威勢の良かったシュザイツや他の貴族令息たちが怯む。僕は他の子たちよりは体格が良い方だったし、彼らはそもそも反撃されるとは思っていなかったのだろう。
けれど流石にシュザイツは年上なだけあってすぐに気持ちを立て直すと、嘲りを込めた目で僕を睨んできた。
「お前!俺が誰だかわかっているのか?俺の家は侯爵家だぞ!お前みたいな無礼な奴など簡単に捻りつぶせるんだからな!」
怒りで顔を赤くしながら僕の胸倉に掴みかかるシュザイツ。彼はこの場がどういう場所なのか、すっかり失念しているのだろう。自分の屋敷でもなければ、人気の無い裏庭でも無い。大勢の大人の貴族がいて、国王陛下もいるのだ。いくら子供とは言え、このような振る舞いで自分の評判を傷つけるなど、愚の骨頂である。
「そういう君は、貴族としての振る舞いを学び直した方がいい。いくら血筋が良くとも、そんな態度では誰もついてきはしないよ」
僕は胸倉を掴まれながらも、シュザイツを冷静な目で見下ろした。だが決して自分の家名を名乗ることはしなかった。
正直シュザイツと同じように自分の家柄を口にすれば、それで事は済んだだろう。だけどそれでは彼と同じレベルになってしまう。ディアナの前で彼と同じに振舞うのは、何だか嫌だった。
「貴様っ!!」
「やめて!シュザイツ!」
激高したシュザイツが拳を振り上げる。ディアナの悲痛な叫びも空しく、それは僕の頬に向かって振り下ろされた。
──ガッ!──
「ぐっ……!」
胸倉を掴まれた状態だったから思い切り彼の拳を食らって、僕はよろめきそうになるけど何とか堪えた。彼の拘束から抜け出そうと思えばできたけど、僕はあえて彼にされるがままになったのだ。
「やめなさい!」
案の定、僕らの様子を見ていた大人たちが慌てて止めに入り、シュザイツは僕から引きはがされた。
「お前は何ということをっ……!」
どうやら彼の父親なのだろう。このような公の場で息子が暴力沙汰を起こし、酷く青ざめている。そして息子が暴力を振るった相手──僕に視線を移して一層顔色が悪くなった。
「あ……君は……フィルカイラの」
「オールドレン侯爵、私はエルロンドと申します。ご子息のシュザイツ君とちょっとふざけ過ぎてしまったみたいで、お騒がせして申し訳ありません」
僕はシュザイツの父親であるオールドレン侯爵へ微笑むと、敢えて相手の言葉を遮って口を開いた。普通であれば礼を欠いた態度であるが、僕の家名をこの場で名乗れば、余計に事が大きくなってしまう。未だ衆人環視の只中だ。殴られた頬は痛むが、フィルカイラ公爵家の嫡子としてここで馬脚を現すわけにはいかない。
侯爵は冷静な対応をした僕に一瞬目を見開くと、次の瞬間にはきりりと表情を引き締めて頷いた。流石に彼もこのまま騒ぎを大きくするのはまずいと思ったのだろう。息子のシュザイツの腕を掴んで抑えたまま僕に話しかけた。
「……そうか。息子のシュザイツが大分迷惑を掛けたようだ。本当に申し訳ない。正式な謝罪の場は改めて後日設けたいのだが構わないだろうか?」
「えぇ、こちらこそ侯爵にお手数をお掛けしまして申し訳なく思います。父にもそのように申し伝えておきます」
「父上っ!何故こんな奴にそんな丁寧な態度をするのですか!大した家柄の者でもないのに」
「愚か者!彼は敢えて問題を大きくしないように対処してくれたのだぞ!それをお前は……!」
オールドレン侯爵は、未だ喚き散らすシュザイツの腕を掴むと、今一度僕とディアナに向き直って謝罪と共に深く礼をする。そしてそのまま急ぎ足で広間の出口へと去っていった。
その様子を見守っていた他の貴族令息たちも、彼らの親らしき大人がやって来て、それぞれに嗜められてその場から去って行った。大人たちは、僕がどの家の息子なのかわかっているのだろう。チラチラと気まずげな視線をこちらへ向けてきたが、僕はそれ以上大ごとになるのが嫌だったので、敢えて無視してディアナへと話しかける。
「腕は大丈夫でしたか?殿下」
「エルロンド……私よりも貴方のほうが……」
ディアナは僕よりも痛そうな顔をして、その小さな手を僕の頬へ寄せた。労わるようにそっと触れるか触れないかの距離で包まれると、温かな気持ちが胸の内に生まれてくる。
「これくらい大丈夫です。避けようと思えば避けれたんですが、そうすれば余計に彼は怒って暴れると思ったので。ああして殴られた方が、彼らの親が介入してくるだろうし、今後安易に殿下に近寄ることが出来なくなるだろうから」
「だからって……!」
「怖がらせてしまって申し訳ございません。でも私は大丈夫だから気にしないで」
泣き出しそうなディアナの頭を撫でると、彼女はくしゃりと顏を歪める。
「私の為にごめんなさい……急いで手当をしなきゃ!」
涙を堪えるようにディアナは表情を引き締めると、僕の手を取って歩き出す。その様子を少し離れた場所で、僕の父と国王陛下が見ていたが特に引き留められることはなかった。
父や国王は、僕があの状況をどう治めるか見ていたのだろう。彼らが介入してくれば、フィルカイラ公爵家と問題を起こしたとして、オールドレン侯爵家が咎められる可能性があったし、流石に子供同士の喧嘩でそこまでの醜聞になるのは避けたかったのだろう。結果として僕の行動が最善と認められたからこそ彼らは何も言ってこなかったのだ。
「本当にごめんなさい、エルロンド……」
けれどそんな思惑があったことなど知る由もないディアナは、未だ心を痛めているようで、僕の手当をしながらもしきりに謝ってきた。逆にそれが申し訳なくなってしまって、自分の行動を反省する。シュザイツが暴力を振るう前に対処しようと思えばできたのだから。
「私の方こそ殿下を悲しませてしまい申し訳ございません」
「……いいの。守ってもらえて嬉しかったわ。まるで騎士みたいで格好良かった」
「っ──!……それは……」
騎士みたいだと言われて思わず赤面してしまう。無様に殴られただけの僕に、ディアナがキラキラと眩しいばかりの笑みをみせてくれるから。
「本当よ?とっても素敵だったわ、エルロンド。私、貴方ともっと仲良くなりたい」
「殿下……」
「ディアナって呼んで?それに話し方も敬語じゃなくていい……その方が嬉しい……」
頬を赤らめながらそう言うディアナに、僕は胸がドキドキと高鳴るのを感じていた。名前を呼ぶ許しを得たこと以上に、僕と親しくなりたいと言われたことが嬉しかった。
「分かった……ディアナ……僕もこうして君と親しく話せて嬉しいよ」
「うん……ありがとうエルロンド」
その後、僕らは二人でたくさん話した。好きな食べ物のことや異国の物語、得意な事や苦手な事。話しながらくるくると表情を変えて笑うディアナは本当に可愛らしくて、その顔を見たくて僕はいつも以上にたくさん喋った。
この時の僕は、ディアナのことを友人というよりは新しくできた妹のように思っていた。友達よりも親密で家族のように大切な存在。だから物語の騎士のように、僕がディアナを守るのは当然だと思ったんだ。
そう──もうこの時既に、僕は彼女のことを愛していたのかもしれない。
僕が生涯愛することになる人、ディアナのことを──
ご覧いただきありがとうございました。
いよいよ始まりましたエルロンド編。愛に一途な男の生涯を、どうしても書きたくなって本編と同等くらいに長いのを書いてしまいました。楽しんでいってもらえると嬉しいです。




