後日譚37 侯爵夫妻の幸福
日差しが少しばかり柔らかくなった午後、色とりどりの花が咲き乱れる侯爵家の庭園で、花の世話をしていると、突然庭園の出入り口が騒がしくなった。
何事かと思って振り返れば、焦った様子のレスターが髪が乱れるのも構わずに、こちらへ走ってくるのが見えた。
「デイジー?!どうしてそんな恰好をして土いじりをしているんだ!休んでなくては駄目じゃないか!」
あぁ、見つかってしまったと内心残念に思いながらも、それを笑顔の奥にきっちり隠して立ち上がる。ここで説得し損ねてしまっては、また部屋に閉じ込められかねない。
「閉じこもってばかりじゃ逆に体に良くないから、少しお散歩していたの。お医者様の許可もあるし、今日は天気も良かったから……」
「いいや、何かあってからじゃ遅い!部屋に戻ろう!」
「きゃっ!」
レスターは最後まで聞くことなく、強引に私を抱き上げた。その拍子に持っていた庭いじり用の道具を落としてしまったが、それはすぐに控えていた侍女が拾い上げてくれた。
私が不満げにレスターを見上げると、彼は何故か酷く嬉しそうな顔をしながら私の額に口づけを落とす。
「さぁ、部屋に行こうか。愛する奥さん」
「……もうっ」
庭いじりという最高の楽しみを中断させられて、つい不満の声がでてしまう。けれど彼の温もりを全身で感じたせいか、下降気味の気分とは裏腹に頬は熱を帯びている。それが少しだけ悔しくて、私は彼の胸に顔を埋めるようにして身体を縮こまらせた。
そんな私の様子に、頭上からくすくすと楽し気な笑い声が聴こえてくる。周囲で見守っている庭師や侍女達も、私達のそんな様子を微笑ましく見守るばかりだ。
結局それ以上庭にいさせてもらえるはずもなく、私はレスターに横抱きにされたまま屋敷へと連れ戻された。
ただ、寝室に閉じ込められるのだけは断固として抵抗したので、結局私は客間の広いソファの上に降ろされた。侍女達はこの結末を既に見越していたようで、既にお茶の用意が完璧になされている。
私はそんな周囲の完璧な対応にも少しだけ不満を感じながら、レスターに問いかけた。
「レスター、お仕事は大丈夫なの?」
「あぁ、勿論。何も心配することはないよ」
「……本当に?」
「ふふ……疑っているの?」
「そうじゃないけど……」
レスターは早速用意されたお茶を飲みながら、優雅な笑みを湛えている。最近の彼は、日に必ず一回は屋敷へと戻ってきて、こうして私との時間を作ってくれる。そのことが嬉しくもあり、仕事が大丈夫なのかと心配もしていた。
そんな不安が顔に出ていたのだろう。レスターは暫く私をみつめてから、笑いを堪え切らなかったとでも言うように、顔を背けて噴き出した。
「ははっ、そんなに心配しなくてもいいのに……私の奥さんは本当に可愛らしいね」
「もうっ!本当に心配しているのよ?」
「ごめんごめん。つい嬉しくて……でもそんな風に心配してもらえるなんて、私は本当に君に愛されているんだなぁ」
「貴方を心配するのは当然だわ。お仕事だって大変なのに、こんなに屋敷と行き来しているんだし……」
「あぁ、それについては大丈夫。財務部の件で大分人員が入れ替わって、それでかなり仕事がやりやすくなったんだよ。それに本来はそこまで王宮に留まってなくても仕事は回るんだ」
「そうなの?」
「大きな仕事はほぼ処理済みだからね。細々したのは屋敷でもできるし、他の仕事もあるからいつも王宮にいるわけじゃないよ」
レスターは簡潔にそう説明してくれた。彼は土地開発事業部の一員として国の仕事に携わっているが、常にその仕事だけをしているわけではない。個人事業も抱えていて、王都の事務所に時折足を運んでいる。もしかしたら、その行き来の途中で、ここへ来る時間を作っているのかもしれない。
そう思っていると、レスターが更に話を続けた。
「まぁ、個人事業の方は大きな仕事以外はほとんど部下に任せているし、国の方の仕事も今は落ち着いているからね。後継を育てる為にも、これからは彼等にもっと任せるつもりだよ」
「そんなこと言って、本当は早く引退したいからだったりするのでしょう?」
「ははっ!バレたか」
「まぁ、やっぱりそうなのね!」
私が指摘すれば、レスターは悪びれもなくあっさりと本音を暴露した。子供ができたと知ってから、彼は私の側を離れるのを本気で嫌がっていた。だからこそ引退に向けて、仕事の量を調整しているのだろう。
私としても初めての妊娠で不安になっているのもあり、彼がこうして時間を見つけては会いに来てくれるのはとても嬉しい。けれどそのせいで、レスターの邪魔をしてはいないかと、内心心配もしていた。
「大丈夫だよ。これまでずっと仕事漬けだったからね。ようやく結婚をして子供が生れるってなったから、いい機会だよ」
「確かにそうね」
レスターが仕事漬けの生活を送っていたというのは、彼を知る人の間では有名な話だ。けれど私と結婚してからは随分と変わったらしく、ようやく家族との幸せを手に入れることが出来たのだと、周囲からは大層喜ばれた。
だからレスターがこれからの人生で、仕事よりも家庭に比重を置くというのは彼の中では当然の答えなのだろう。またそれを周囲に認めてもらえるほどに頑張って来たのは、レスター自身なのだ。
「それにジェームズの方も何とかなりそうだしね」
「メルフィは花嫁教育頑張っているかしら?」
「あの子なら持ち前の元気の良さで、教師達を無理やり頷かせてしまいそうだね」
「ふふ、そうかも」
つい先日、ジェームズがメルフィに正式にプロポーズをし、彼女は次期エスクロス侯爵の婚約者となった。今は花嫁教育を兼ねて、ジェームズと共に領地の屋敷へと行っている。
そこでジェームズの母であるミネルヴァと、レスターの母である前侯爵夫人からみっちりと教育されるらしい。私の代わりに次期侯爵夫人としての大役を果たさなければならないので、メルフィには申し訳ない気持ちでいっぱいだが、明るい太陽のような彼女なら、きっと大丈夫だろう。
「ジェームズ達の結婚式が終わったら、彼に爵位を譲って、私はもっと家族との時間を取るつもりだよ。新居も用意しないとね」
「そうね。どこに住むことになるのか、今からドキドキするわ」
「当分はこの屋敷の離れになるだろうけど、寧ろジェームズ達の方が遠慮しそうなんだよなぁ」
「ふふっ、それはあるかもしれないわね」
ジェームズがメルフィと結婚して爵位を継承すれば、このエスクロス家の屋敷は彼等のものだ。私とレスターはどこか別に居を構えることになるのだが、ジェームズ達がそれを素直に受け入れるとも思えない。
「子供が大きくなるまでは屋敷にいて、とか言われそうね?」
「うーん、十分あり得る……というかその未来しか見えない」
私の妊娠を知ったメルフィは、「赤ちゃんのお世話は任せてください!」と随分意気込んでいた。だから自分達がこの屋敷の主となって、私達を追い出す形になるのはきっと嫌がるだろう。
「別の場所に住むにしても、屋敷の近くじゃなきゃ納得してもらえそうもない。というかお義父上にもそこは釘を刺されている」
「え?そうなの?」
エルが私達の住む場所について、既にレスターに言及しているとは思わなかった。するとレスターはバツが悪そうな顔をしながら説明してくれる。
「折角初孫が出来たのに、私達が遠くで暮らすのは嫌だと……なんなら大使館に一緒に住んでもいいとまで言われているよ」
「まぁっ!エルったら!」
レスターが苦笑しながら教えてくれたエルの言葉に、私は呆れてしまった。冗談のように聞こえるが、絶対にこれは本気である。けれどエルの気持ちを考えれば、仕方ないことだ。
「だから今は貴族街で場所を探している所なんだが……調整にちょっと時間がかかりそうでね」
「私は別に離れでもいいわよ?メルフィ達の子供が生まれたら、私達の子供と兄弟みたいに過ごせるし、大きくなったら他の街に住んでもいいのだし。その頃にはエルも大使を引退しているかもしれないから、文句も言わないでしょう?」
「ふふ、そうだね。私は兄弟がいなかったから、そういうのもいいかもな。大家族で同じ屋敷に住むの……うん、凄く良い」
レスターが未来を想像して、嬉しそうにふわりと微笑んだ。そして隣に座る私のお腹へと手を当てる。そしてほんの少し膨らんできたお腹を愛おしそうに撫でながら、まだ見ぬ我が子に語り掛けた。
「……早く会いたいな……男の子かな?女の子かな?……君はどっちなんだろう?」
「ふふっ……どっちかしらね?」
「きっと天使みたいに可愛らしいんだろうな。デイジーにそっくりだと思う」
「そう?私はレスターに似ていると思うわ。男の子ならカッコいい子だし、女の子なら物凄い美人さんよ」
「どちらでも楽しみだ。あぁ……早く生まれてこないかな……可愛い君に今すぐ会いたいよ」
「本当に楽しみね」
生まれてくる我が子を想像して、私達は未来に想いを馳せる。その頃にはジェームズとメルフィも家族になって、一緒にこの屋敷で笑い合っているだろう。そしていつかはその子供達とも──
そんな日が待ち遠しくて、私達は家族の幸せな未来を語り合うのだった。
お読みいただきありがとうございました!これにて番外編の後日譚終了です!
ほんのちょっぴりメルフィとジェームズの恋バナを書きたくなっちゃうとこですが、そこまで紆余曲折無さそうな二人なので、割愛wジェームズ君は父の失敗を見てきているので、直球勝負で絶対にメルフィを逃がさないタイプだと思います( *´艸`)くふふ
さて、次回からエルロンド編の開始となります。悲しみと苦悩、そして一途な愛に満ちたエルロンドの人生。それがどんなものだったのか。本編では詳細が語られることのなかった彼の生きざまを、是非ともご覧になっていってください。
次話からもどうぞよろしくお願いします<(_ _*)>




