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あなたとの愛をもう一度 ~不惑女の恋物語~  作者: 雨音AKIRA
番外編 

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後日譚36 侯爵夫人の憂鬱19 (レスター)

レスター視点です。

 デイジーの待つ客室へとひた走る。既に夕暮れ時の薄暗い廊下は酷く長く感じ、不気味なほどの静寂が支配していた。


 ようやく最後の角を一つ曲がり、その先に目的の部屋の扉が見えたのだが──



「っ──!?」



 部屋の前に立っているはずの護衛の姿がない。


  

「デイジー!」



 私は急いで駆け寄り、扉へと手を掛ける。しかし──



「鍵が掛かっているのか?!デイジー!デイジー!」



 扉には中から鍵が掛かっており、一向に開く気配が無い。私は扉を激しく叩いて彼女の名を呼んだ。しかし返事はなく、扉をけ破るという最後の手段に出ようかと離れた所、僅かにそれが開かれた。



「……っ侯爵様!戻られたのですね!」


「あぁ!ジェーンか!デイジーは無事なのか?!何があった?!」



 扉から顔をのぞかせたのは、護衛としてデイジーに付けていた女性騎士のジェーンだ。彼女は私の姿を確かめると、ほっとしたような表情を見せて私達を招きいれる。



「どうぞお入りください。デイジー様はご無事なのですが……」


「っ──」



 言葉を濁すジェーンに不安が更に大きくなり、最後まで話を聞かずに押しのけるようにして部屋に入る。客室の中を見渡せば、特に変わった様子はない。テーブルの上には用意された茶菓子が並んでいる。ただそこにカップなどの茶器は一切無かった。そしてデイジーの姿もそこにはない。


 不審に思った私が部屋を見回せば、ジェーンがデイジーの居場所を教えてくれた。



「侯爵様、奥様はあちらで横になっておられます」



 ジェーンが指さしたのは、客室の奥にある寝室だ。廊下側に扉は無く、この客室からしか出入りできない要人用のものである。私は急いでそこへ向かった。



「デイジー!」



 中へと入れば日の暮れた薄暗い寝室に、青白い顔をしたデイジーが横たわっている。まるで精巧な人形のように静かに眠るその姿に、一瞬心臓が嫌な音を立てる。


 だが微かに上下する胸部が目に入り、ひとまずは安堵した。そして起こさないようにと静かに近づく。



「デイジー……」



 小さくその名を呼べば、亜麻色のまつ毛がピクリと震えた。ただそれだけのことで、目の奥が熱くなる。堪え切れずに私は彼女の頬に手を寄せた。顔色は優れないが、掌からは確かに彼女の熱を感じる。


 しばらくその柔らかな頬を撫でていると、ゆっくりとデイジーの瞼が開いた。



「デイジー……大丈夫かい?」


「……レスター?」



 デイジーがこちらを見て不思議そうに目をぱちぱちとさせている。そしてようやく私がその場にいることを理解すると、体を起こそうとした。



「そのまま寝てていいよ」



 そう言って私は彼女を制すると、椅子を持って来て座った。



「ごめんなさい……少しだけ眠っていたみたい。ちょっと気分が悪くなってしまって……」


「あぁ……一体何があったんだい?」



 疲れて休んでいただけならわかる。だが扉の前に護衛の者がいなかったし、部屋に内鍵をかけていたのも気になった。



「それが……」



 そうデイジーが口を開きかけたところで、入り口の方が騒がしくなった。部屋に入って来た私達に変わり、ジェーンが外へ出て応対しているようだ。暫くすると言伝を受けたメルフィが私の下へとやって来た。



「侯爵様、護衛の者が戻って来たようです。どうしますか?」


「……そうだな……」



 護衛から事情を今すぐに聴きたいが、具合が悪そうなデイジーのそばを離れたくはない。そう思って逡巡していると、デイジーの方から共に行くと言ってきた。



「私もあれからどうなったのか気になるし、一緒に話を聞きたいわ」


「だが……」


「私はもう平気よ?だって貴方が側にいてくれるんでしょう?」


「あぁ、勿論だ。だが、君はこのままここにいてくれ。体が辛そうに見える」


「わかったわ。でも起きるのくらいはいいでしょう?寝たままなのは少し恥ずかしいわ」


「……そうだな……いや、やっぱり君のこんな艶っぽい姿を見せたくないから、説明を聞くのは後日にしよう」


「もう!レスターったら!冗談ばっかり」


「いや……割と本気なんだが……」



 私の提案を冗談と受け取ったのか、デイジーが頬を可愛らしく膨らませた。だがやはりここが寝室であることを考えると、私以外の男が入ってくるのを躊躇ってしまう。


 それまで寝ていたからか、少し髪が乱れてどこか儚い様子のデイジーは、とてつもない色気を纏っているのだ。たとえ彼女が気にしなくとも、勝手にその魅力にやられてしまう男は大勢いるだろう。



「メルフィ、悪いけど、護衛の方をこちらの部屋へ連れてきてくれる?」


「畏まりました」



 私が苦い表情をしているのにも気づかずに、デイジーはメルフィに入室の許可を出してしまった。暫くすると護衛の騎士と、それとは別に白衣を着た人物が入って来た。客室の外は別の護衛が付いているらしく、ジェーンは寝室の中で待機している。



「侯爵様、こんなことになってしまい申し訳ございません」


「あぁ……一体何があったんだ?」



 私が問いかけると、護衛の騎士は苦い表情で、信じられない様な内容を口にした。



「侍女殿がお茶を入れ替えると部屋を出た後、暫くして戻ってこられたんです。背格好も服装も同じようだったので入室させたのですが……それは侍女殿に扮したシャンダル公爵令嬢でした」


「何だって!?あの女が?」



 騎士が顔を歪ませながら重々しく頷く。その内容にメルフィ自身も酷く驚き、顔を青ざめさせている。あの女が、自分のふりをしてデイジーに近づいたのだから当然だろう。


 驚きに言葉を失う私達に、デイジーも説明を付け加える。



「私も凄く驚いたわ。だって一瞬メルフィが戻ったのかと思ったら、あのシャンダル公爵令嬢だったんだもの」


「まさか公爵令嬢が侍女に扮しているとは思わず……面目次第もございません……」



 デイジーの擁護に、護衛の騎士が申し訳なさそうに深く頭を下げた。護衛対象を危険にさらしてしまったのだから、彼の後悔は当然のものだろう。だが大元の原因が私にあることを考えれば、一概に彼だけを責めることは出来ない。何より無理を言って、デイジーを王宮に留まらせたのは私自身なのだから。


 デイジーは酷く落ち込んだ様子の騎士を庇うように、更に言葉を重ねる。



「あれは仕方ないと思うわ。似た背格好だし、お茶のワゴンも用意していたのだから」



 確かに厨房へやって来てお茶の準備までしていったのだから、用意周到としか言いようがない。一体いつからそんな計画を考えていたのかと思うと、頭が痛くなってくる。



「……私がすぐに戻っていれば……こんなことにならなかったのに……」


  

 メルフィが酷く悔しそうな表情で呟いた。しかし騎士は首を横に振ってそれを否定する。



「逆にすぐに戻ってこられなくて正解でした。もしそのまま茶器を持って戻ろうとしていたら、襲われていたかもしれません」


「え?!そうなんですか?」



 騎士の言葉にメルフィが目を丸くして驚いている。騎士は真剣な眼差しで頷きながら続けた。



「刃物を衣服の中に隠していたので、それで脅して入れ替わるつもりだったのでしょう。貴女が厨房からすぐに出て行ったから、無事で済んだのです」


「そんな……」



 騎士の言葉にメルフィは絶句している。気づかぬ内に、自らも危険にさらされていたのだから当然だ。もしそのままお茶の用意をして部屋に戻ろうとしたら、そこを襲われていたのかもしれないのだ。



「でも、そんな危ないことになっていたのに、私がお側を離れていたなんて……」



 騎士の説明を聞いても、まだメルフィは悔しそうな表情をしている。私も自分が知らない間に、デイジーが危険な目に遭っていたと知り、激しい後悔の念が生まれていた。


 そんな私達の様子に、一番大変な目に遭ったデイジーの方が気遣うような言葉を掛けてくる。



「私は大丈夫よ?すぐにジェーンが取り押さえてくれたから」



 デイジーの言葉に、側で護衛をしているジェーンも深く頷いた。



「えぇ、入って来たのがメルフィではないとすぐに気づきましたので、相手が何かする前に取り押さえました。その後は護衛の騎士に犯人を連れて行ってもらい、私達は部屋に厳重に鍵をかけて籠っておりました」


「そうだったのか……」



 事情がようやく分かってひとまずは納得する。部屋の外に護衛がいなかったのも、取り押さえた令嬢を連れていく為に、一時的にそばを離れたからだった。扉は堅牢な造りだし、そばにはジェーンもいたから、その判断が最良だったのだと説明を聞いた今ならわかる。



「相手が相手でしたから、事情の説明に時間がかかってしまい、戻るのが遅くなってしまいました」



 騎士は更に説明を続けた。シャンダル公爵が先の謁見によってその罪が明るみに出たとはいえ、まだ取り調べの最中である。曲がりなりにも公爵令嬢であるあの女を、一護衛騎士の言葉だけで捕らえるは難しかったのかもしれない。


 だがその考えは、次の言葉ですぐにひっくり返された。



「……ですが、茶器を調べた所、毒物のようなものが入っていたようで、厳重な取り調べが行われることになりました」


「なんだと?まさかそんなことまで……」



 もしジェーンがそこで取り押さえずにいたならどうなっていただろう。悍ましい事実に、怒りで体が震えてしまう。


 思えばシャンダル公爵令嬢の亡くなった夫の死因に不審な点があると、フリークス氏は言っていた。もしかしたら令嬢自身が関わっていたのかもしれない。



「デイジーが無事でよかった……本当に……」


「レスター……」



 気づかずにすぐ側まで迫っていた危険に、今更ながらに恐怖が襲ってくる。気が抜けてしまって足元から崩れるようにしてその場に跪いた私は、寝台に座るデイジーの手を握り、額をそこに付けた。



「本当に体は何でもないのか?まだこんなに具合が悪そうなのに……」


「それは……」



 デイジーを見上げて問いかければ、彼女が困惑気味に口を開く。だが彼女が何か言う前に、そこに割り込む者がいた。



「侯爵様、今からそんなに心配しとったら、いざという時に大変ですぞ?」


「貴方は……?」



 振り返ると、白いものの混じった髭を大きな手でさすりながら、丸眼鏡をかけた人物がこちらを見て笑っている。白衣を着ているから、どうやら医者のようだ。



「ほっほっ。噂の溺愛ぶりを目の当たりにできましたから、これは役得ですかな?儂は医師のラムダス。普段は騎士団の方に常駐しとります」


「あぁ、騎士団の……それでデイジーの具合はどうなんですか?」


「どれ、ちょいと失礼しますよ」



 医師のラムダスは大仰に声を掛けると、私の手からデイジーの手を受け取った。そして彼女にいくつか質問をして診察をしていく。


 私はその様子を落ち着かない気持ちで見ていた。暫くすると診察を終えたのか、ラムダスが立ち上がり、私の方へと振り向いた。



「特に問題はないようですな。まぁ少し疲れていらっしゃるようですから、よく休むのがいいでしょう」


「ですが……」



 特に問題がないというラムダスに、私はそんなことはないだろうと詰め寄った。しかし彼は穏やかな笑みのまま首を横に振るのみだ。



「私の口から言えるのはここまでですな。奥方様はご自身で伝えたいとおっしゃっておりますし、私はこれで失礼しますぞ」


「先生!」



 ラムダスは私が止めるのも聞かずに、そのまま部屋から出て行ってしまった。護衛の騎士も、一応報告を終えたとのことで、失礼しますと言ってラムダスの後を追うようにして部屋から出て行く。その様子を見ていたメルフィも、デイジーと私を交互に見やると、お茶を用意すると言って退室した。


 結局寝室に残されたのは、私とデイジーの二人だけ。しんと静まり返った部屋に、何とも言えない緊張感が漂う。


 私はゆっくりとデイジーに向き直ると、寝台横の椅子に再び腰かける。そして不安そうにこちらを見上げる彼女の手を握った。



「デイジー……さっきの話というのは……」


「その……」



 ラムダスがデイジー自身の口からと言うのだから、きっと何か重大なことなのだろう。もしそれが深刻な病だとしたら……そう思うだけで、心臓が張り裂けそうになる。


 愛を取り戻し、共にあることの幸せを知った今となっては、彼女を失うことの絶望は以前とは比べ物にならないだろう。悲しみに耐えきれずに、本気で死んでしまうかもしれない。


 そんな風に一人苦悩に陥ってると、デイジーがつないだ私の手に、更に自分の手を重ねた。



「あのね……レスター……本当は昨日の夜来てくれた時に言おうと思っていたのだけど……」


「……あぁ」


「その……貴方が忙しそうだったから……言うのを躊躇ってしまって……」



 デイジーは酷く言いづらそうだ。昨晩は私がシャンダル公爵との確執について話したから、それで彼女は遠慮して話せなかったのだ。



「私のことは大丈夫だから、遠慮しないで言ってくれ。どんなことでもちゃんと受け止めてみせるから……」



 デイジーを宥めつつ先を促せば、彼女は覚悟を決めたようだ。美しい翠玉色の瞳を真っ直ぐにこちらに向けながら小さく呟く。



「うん……その……」


「……あぁ」



「…………あ、赤ちゃんが出来たみたいなの……」



「…………え……?」



 頬を赤らめながら呟かれたその言葉に、私は一瞬頭が真っ白になった。想像していた言葉とは全然違っていたから、考えが追い付かない。


 固まる私に、デイジーは不安を覚えたのだろう。私の顔を覗き込むようにして名前を呼んだ。



「レスター……?」


「っ──!」



 デイジーの呼ぶ声に一瞬で意識が引き戻される。私は身を乗り出して彼女を腕に抱きしめた。



(赤ちゃんって…………赤ちゃんって……!!)



 デイジーが驚いて息を飲むが、湧き上がる歓喜に己を律することができない。きつく彼女を抱きしめながら、叫び出しそうなのを必死に堪えて、喉の奥から掠れるようにしてようやくその言葉を絞り出した。



「…………デイジーっ……ありがとうっ……!」


「レスター……」



 愛しい人が、命を宿してくれた。その事実に心が震える。例えようの無い喜びが湧き起こり、涙が溢れ出した。


 それを拭うこともせず、私は腕の力を少しだけ緩め、彼女の顔を覗き込んだ。あまりの幸福に、今見聞きしている全てが夢かもしれないと思ったからだ。



「……本当に……本当に私達の子どもが……?」


「えぇ……ここ最近の体調不良はそのせいだったみたい」



 デイジーが満面の笑みでそう返してくれるので、私は再び顔を涙でクシャクシャにして、彼女の柔らかな髪に顔を埋めた。



「信じられない……こんなに幸せなんて……夢でも見ているみたいだ……」


「ふふふ……夢じゃないわ。ちゃんと感じるでしょう?」



 デイジーが華奢なその手で私の頬に触れながら、くすくすと笑う。その優しい温もりに、穏やかな気持ちが胸いっぱいに広がっていくのに、流れ落ちる涙は止まらない。



「あぁ……本当だね……夢じゃない、現実だ。君がここにいて、新しい命を宿しているんだな……」


「えぇ……この子が無事に生まれてきたら、もっとたくさんの幸せが待っているわ。夢みたいだけど、現実よ?」



 デイジーがもっと喜ばせるようなことを言うから、私は我慢できなくなってしまった。



「デイジーっ!」


「きゃっ!」


「愛してる……愛しているという言葉では足りないくらいに……君を愛している!」



 再びデイジーを腕の中に閉じ込めて、たくさんの口づけを降らせる。あまりの熱烈さに、デイジーが驚いて軽く身じろいだ。



「ふふっ……レスターったら……そんなに強く抱きしめたら、赤ちゃんがびっくりしちゃうわよ?」


「はっ……すまないっ!だ、大丈夫だったか?!」


「ふふ、大丈夫よ。でも優しくね?」



 デイジーに優しく窘められて、私は眉を下げて頷いた。彼女はどこか以前よりも落ち着いた雰囲気で、母親らしい慈愛に満ちた表情をしていた。


 私はそのことに更に愛おしさが込み上げてきて、もう一度愛の言葉を告げた。



「……愛しているよ、デイジー。心から愛している……」


「私もよ、レスター。貴方を愛している」



 毎日言っても飽き足りないほどに、デイジーへの愛を誓う。


 子供が生まれたら、もっと多くの愛を私は注ぐのだろう。


 そんな日々が待ち遠しくて、私は愛しい妻とそのお腹に宿る新しい命を、再びこの腕に抱いたのだった。


お読みいただきありがとうございました。


長くなっちゃった侯爵夫人の憂鬱編。デイジーの体調不良の原因について、ほとんどの読者様がお気づきだったのではないでしょうか。この展開に持って行きたくて番外編を書いていたんですけど、何故ここまで紆余曲折長くなったのだろうか……と作者も謎でございます。


番外編も残り数話。その後はエルロンド編が始まりますので、どうぞお楽しみに(*^-^*)

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