後日譚32 侯爵夫人の憂鬱15
「へ、陛下……!」
「レスターの溺愛っぷりを話には聞いていたが、これは相当だな」
突然現れたリュクソン陛下に、私は一瞬で意識を引き戻された。
流石のレスターも私の拘束を解くと、すぐに立ち上がって陛下へと礼を尽くす。私も慌てて立ち上がって頭を垂れた。
「妻が差し入れをしてくれたので、皆で昼食を取っていた所です。陛下」
「そうかそうか。ここ最近のお前達は忙しそうだったからな。デイジーの手料理で英気を養うのは大事なことだ」
陛下は鷹揚に頷くと、近衛の者達とともに部屋に入ってくる。その後ろにはエルの姿と、もう一人、シャンダル公爵の姿も見えた。
「邪魔して悪いな。エルからデイジーの差し入れがあると聞いてやってきてしまったぞ」
陛下はそんな風に言ってつかつかと私達の前へやってくると、テーブルの上の料理を一つひょいとつまんで口に入れてしまう。近衛の騎士がギョッとして目を剥くが、陛下は気にも留めずにニカっと朗らかな笑みを浮かべた。
「うん、うまい!デイジーは料理が上手だな」
「ありがとうございます。フィネストへ来る前から、よく父のエルロンドに作っておりましたので──」
「それは羨ましい。エルの掌中の珠であるデイジーを妻にできるなんて、レスターは幸運な男だ」
「恐れ入ります」
陛下は気安い様子で私達に話しかけ、ソファへと腰掛ける。
今は勿論、陛下以外は全員立った状態だ。一体次は何を言われるのだろうと緊張が走るが、当の本人はどこ吹く風で、くるりと興味深そうに部屋の中を見回している。
「──そういえば、デイジーが差し入れをしに来たというから訪ねたが、もう一人来訪者がいるとは思わなかったぞ。なぁシャンダル公爵?」
「は、はぁ……」
リュクソン陛下は、ちらりとシャンダル公爵令嬢へと視線をやり、続いて公爵へと向けた。一方娘のことを指摘された公爵は、脂汗を滲ませながら酷く恐縮している。
話題に上った当の本人であるシャンダル公爵令嬢は、自分の父親と陛下とを交互に見やり困惑していた。
すると陛下は、再び公爵令嬢へと顔を向けてにこりと微笑む。
「ここ最近は、何故か土地開発関連の予算が降りないらしい。何か邪魔でも入っているのではと疑っているのだが、君は何か知らないかね?」
「えっ──!?」
「予算に関することは君の父親が指示しているはずだが」
「えと……その……」
にこやかに微笑みながらも、恐ろしいほどの威圧感で令嬢に訊ねる陛下。その言葉にしどろもどろになってしまった令嬢は、知っていると答えたも同然だ。するとシャンダル公爵が慌てて話しに入ってくる。
「へ、陛下……ここでそのような話は──」
「何か問題でもあるのかね?」
「い、いえ……」
陛下の言葉に口ごもったシャンダル公爵は、今にも倒れてしまいそうなほど蒼白である。一体どうしたのだろうかと思っていると、エルが二人の間に入った。
「陛下、ここで揉めても仕方がありません。場所もこの人数では狭いですし、話し合いの席は別で設けてはいかがですか?」
「あぁ、大使がそう言うのならば仕方ない。レスター達も休憩中のようだからな。終わってからの方がいいだろう」
二人の話しぶりはいつもの気安い感じではなく、大使と国王としての厳格なものだ。陛下はエルの言葉を受けてレスターへと顔を向けると、厳しい表情のまま告げた。
「レスター、一刻後に私の所に来るように。大使、彼に事情の説明をしておいてくれ」
「畏まりました」
「さて、お前達、行くぞ」
陛下は、もう用は終えたとばかりに立ち上がると、近衛達を引き連れて部屋から出て行った。
残された私達は暫くの間は呆然と陛下の出て行った入り口を見つめていた。しかしエルの一言でハッと我に返る。
「──それで、あなた方はまだこちらに用がおありなのですか?」
「っ──」
エルの問いかけに、ぐっと言葉を詰まらせたのはシャンダル公爵父娘だ。彼等は陛下と一緒には出て行かなかったらしい。
「わ、私は少しエスクロス侯爵に話がある!」
シャンダル公爵が表情を引きつらせながら答えた。このまま出て行くのは不都合であると言わんばかりである。
するとエルが片眉をぴくりと上げて、公爵に反論した。
「エスクロス侯爵に事情の説明をするよう陛下から仰せつかったのは、この私です。説明には時間がかかりますので、貴方の用件は陛下との謁見後にしてはいかがですか?」
「それはっ…………!」
エルの冷ややかな目に見据えられ、公爵は黙り込んだ。エルの後ろには陛下が控えていると、先ほどのやり取りで見せつけられた為、強引に出ることができないのだろう。
「……失礼するっ!」
「お待ちになって!お父様!」
憤慨したシャンダル公爵は、娘を伴って部屋から出て行ってしまった。
その後ろ姿を見送ってから、エルはいつもの穏やかな笑みを浮かべてこちらへと振り返る。
「休憩中に来てしまって悪かったね。もう食事を続けてくれて構わないよ?」
「お義父上……ありがとうございます」
レスターがエルに近寄り謝意を述べた。彼が陛下を伴って来てくれたおかげで、喚きたてる令嬢を追い払えたのだ。レスターの部下達も笑顔で頷いている。
「良かったら一緒にお昼をどうですか?」
「あぁ、そうさせてもらおうかな。どうせ食事が終わるまで説明はできないしね」
そう言ってエルはレスターと共に食事の席へと着く。遠慮するレスターの部下達にも席に着くよう告げると、再び楽しい昼食が始まった。
「──それにしてもさっきは驚いたよ。レスターがあんなに熱烈だとは思わなかったな」
「え、エルっ!」
急にエルが先ほどのレスターの所業について言及する。するとレスターの部下達からも同意の声が上がった。
「あれは驚きました!侯爵は奥方様の前だとあんな風になるんですねぇ」
「冷徹侯爵が、実は溺愛侯爵でした……」
「見せつけっぷりが凄かった……」
「はははは!彼等にも言われているのだから相当だな、レスター」
エルが堪え切れずに笑いだす。ここにいる全員にあの状況を見られていたのだと思うと、顔から火を噴いてしまいそうだ。
「折角デイジーが来てくれたんです。溢れる気持ちを抑えきれなくて当然ですよ」
レスターは自信満々にそう言ってのけた。その様子は少しも悪びれてはいない。
「それにここ最近の城内の噂に不満もありましたから……」
「城内の噂?」
レスターのその言葉を受けて、私は思わず何のことか聞き返していた。
「……あぁ……私とあの令嬢が恋仲なんじゃないかっていう馬鹿な噂だよ」
レスターが苦虫を噛み潰したかのような表情で毒づく。すると部下の一人が補足してくれた。
「予算をもぎ取る為に、レスター様がかなり頑張ってくださったんですよ。各方面に掛け合ったり、令嬢の我が儘を受け入れる形で、公爵にいくつか予算を降りさせていたんです」
その言葉にレスターや部下達が頷いた。更に別のもう一人が説明を付け加える。
「それで城内で二人が一緒にいるのを見て、一部の者達からそういった噂が出ちゃったんでしょうねぇ。真相を知っている俺達からしたら、あの令嬢と恋仲だなんて絶対にありえないのに」
「そうだったんですね……でもそれにしたって、レスターのあれは……」
「あれくらいしなければ、あの勘違い女は諦めないだろう?あの時来るような気配がしたからわざと見せつけたんだよ」
「で、でもっ、あんな恥ずかしいことっ……!」
「デイジーとの時間が足りなさ過ぎて耐えられなかったんだ。だから仕方ない。それにできることなら、城内の噂を払拭する為にも、他の者達にも君との仲を見せびらかしたいくらいだ」
うんうんと一人頷くレスターに、周囲は苦笑を漏らす。だが誰一人として彼の言葉を否定しない。それだけレスターにも限界が来ていたということなのだろう。
そんな私達のやり取りを見ていたエルが、くつくつと楽し気な笑みを浮かべながら口を開いた。
「君達の忙しさも、もう終わると思うよ。リックも既に動いているし、私もこうして来たから」
「本当に助かります。やはり我々だけでは色々と限界がありましたから」
レスターが深々と頭を下げてお礼を言った。その言葉通り、レスター達だけでは難しい状況だったのだろう。すると他の部下達も嬉しそうに声をあげる。
「やったー!……これで徹夜地獄から抜け出せる!」
「あぁ……やはり女神のお父君は神だったのですね」
「か、神様……心からの感謝を……!」
皆は既に問題が解決したかのような喜びようだ。祝杯だなんだと、ただのお茶で乾杯までしている。
そんな心地よい喧噪を聞きながら、私はレスターへと声を掛けた。
「レスター、あんまり無理しないでね?」
「あぁ、大丈夫。お義父上も協力してくださるし、陛下も動いてくださっている。何も問題ないよ」
そう言ってレスターは、私を安心させるように穏やかな笑みを浮かべたのだった。




