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◇ 知らない警報
「ふうっ」と、私は小さく息を吐きカップをソーサーに置く。
それから九条家と契約し、あれから一カ月が経過した今日もお飾り妻をなんとかやっていけそうだとも。和国と溱璽国、西洋が混ざったような生活に馴染み始めていると感じながら。
そして、それもこれも毎日優しく接して下さるお手伝いさん達のおかげと感謝も。
そう思いながらも当主であられる旦那様には複雑な気持ちを抱くようになっていたが。最近、無理をしてまで私に声をかけてこられなくなったので。用がある以外はと、先ほどまで視線を感じた場所に顔を向ける。
それから小さく溜め息も。
何せあの日以降、周りのお手伝いさん達も気づかれるぐらいこちらに定期的に視線を向けてこられるので。
「何も仰ってこられずに……」
そう周りに聞こえないぐらいの声でつい呟いてしまった直後、お手伝いさんの代表である石さんが溜息を吐かれる。皆さんの気持ちを汲まれ「奥様に何か用があるなら声をかけたらいいのに……」とも。
先ほどまで旦那様が座っていた椅子を呆れ顔で見つめて。
ただし「ま、まあ、もう少しだけ考える時間をあげましょう。李玲様も頑張っていますから」と同じく側におられた匙裏さんがそう仰られると今度は不安気な表情になられてしまうが。
「ですが、このままだと奥様に……」
「私にですか? ええと、いったい旦那様は何を頑張られているのでしょう? それに考える時間とは……」
すると「それは……私達からは申し上げられません」「それと旦那様にも尋ねるのはご遠慮を」と石さんと匙裏さんにそう言われてしまう。しかも頭まで下げられ。
もちろんそこまでされたら契約だけのお飾り妻である自分はそれ以上、詮索してはいけないだろうと本音を隠して頷くが。
「わかりました。なのでお二人ともお顔をお上げ下さい」
更に笑顔も忘れずにと付け足すと、匙裏さんは「ありがとうございます」と安堵した表情を浮かべられる。まるで家族を心配する父親のように。
いいえ、違うわね。匙裏さんは年齢的に歳の離れた兄。そして……
石さんを見つめると視線に気づき顔を向けてこられる。
「どうかなされましたか?」
「旦那様にとってここにいる方々は大切なご家族みたいな存在だと思いまして」
「ふふ、ありがとうございます。でも、今、現在、本当のご家族は貴女様だけなのですよ。奥様」
そう仰り、石さんは私の手を優しく握られる。私は立場を理解していたのでその手をそっと離すが。
「お気持ちは嬉しいですが私などと皆様を一緒にしない方が……」
「何を仰っているのですか。私達も貴女様のことを大切な家族だと思っているのですよ。それとも奥様はそう思ってらっしゃらないのですか?」
「それは……」
石さんが再び握りしめた手の感触を感じながら言葉に詰まってしまっていると匙裏さんが慌てて間に入ってこられる。
「石さん、それぐらいに。奥様だってご事情があるのですから」
「で、でも、知っていてほしいのです。私も皆も奥様にはずっとここに居て欲しいと……」
そう仰られると私を一瞥し「で、では私はこれで」と逃げるように食堂を出て行かれてしまう。「なぜそこまでして私を?」と尋ねられるのを聞かれたくないというように。
もちろん私はそんなことをするつもりはないけれど。
それに「今はそっとしておきましょう。それと奥様は今のことは気になさらないでください。よろしいですね?」と匙裏さんにそう仰られたらなおさら。
いや、もちろん「わかりました」と返事をしながらお金目当てで来た私なんかを家族だと言わせてしまったことに罪悪感は感じていたけれど。
ただし、それもいっときだけだったが。何せ入れ替わるように旦那様が現れたので。
しかも困った様子……と私は気持ちを切り替える。きっと何かあったのだろうから。そう思っていると案の定、旦那様は一通の招待状を見せてこられる。
「これを見てほしい……」
そう仰ってこられながら差出人の名に岩倉 時政と書かれた招待状を。
「す、凄い……。和国軍の総大将から社交界……いえ、パーティーの招待状が届くなんて」
「君は岩倉総大将を知っているのか?」
旦那様が軽く驚いた表情を向けてこられたので私は頷く。
「はい。学校の教科書に載っていますから。それに旦那様達、対魔獣師団が来られる前に魔獣から私達を守って下さった方ですので覚えるのは当たり前ですよ」
「そうか」
旦那様は感心した様子で見つめてこられる。すぐに招待状に目を落とすと溜め息を吐かれたが。
「だが、パーティーにはなるべく優月を連れて行きたくないんだ。何せ和国軍は我々、対魔獣師団……いや溱璽国のことを心良く思っていないからな」
「なぜでしょうか? 溱璽国のおかげで魔獣の攻撃を防ぐのではなく倒すすべを得られたのに……」
「それこそ彼らのプライド……誇りみたいのが許さないのだろう。何せ自分達が必死に守っていた場所、そして民衆の支持も対魔獣師団に奪われたのだからな」
「でも、和国軍が命をかけてくださったのは皆知っておりますよ。現に私や父は感謝していますし」
いつも怪我をしながらも私達のために頑張っている和国軍の方達を思い出していると旦那様の表情が和らいでいく。すぐに困った表情に変わったが。
「くっ、優しい君をパーティーとは名ばかりのあの魔窟に連れて行かなければならないなんて……」
ただ、再び手紙に視線を落とされると今度は諦めた表情で「まあ、だが、このパーティーは強制に近い。だから仕方なく行くわけだが……それなりの格好をしてな」とも。
「それなりの格好」
そう呟き私は旦那様に購入して頂いた今着ている着物を見つめる。すぐに顔を上げるが。使用人の方々が沢山部屋に入ってこられたから。綺麗な着物や帯、髪留めなどを沢山持ってこられ。
「あの、これは….…」
「もちろん優月がパーティーに着ていく服だ。寸法も合わせある」
「えっ……」
私は驚きながら着物を見る。本当だった。ただ、首を傾げてしまったが。なぜ寸法が合っている着物がもう用意されているのだろうと。
まあ、すぐに匙裏さんの説明で納得することができたが。
「前に着物を見に行ったお店で旦那様が頼んでおいたのですよ。こういうことがあると思いまして」
「なるほど。そうだったのですね」
視線を向けると旦那様はばつが悪そうな表情を浮かべられる。
「べ、別にそれだけの理由じゃないぞ。優月にはやはり古着だけではなく新しい着物も着て欲しかったんだ」
「旦那様、私は……」
ただ、話しはそこからは続かなかったのだが。遠くで警報がなったので。
それと旦那様は既に窓の外を睨みもと、私は返事がわかっていながらも口を開く。
「行かれるのですか?」
「ああ。どうせ、しばらくしたら招集命令がでるだろうしな。だから行ってくるよ」
「わかりました。お気をつけて」
そう言って深く頭を下げるとすぐに旦那様と慌てて後を追いかける匙裏さんの靴の音が聞こえてくる。
もちろん私もすぐに使用人の一人に顔を向けたが。ただし、当初の予定とは違った言葉を口にしながら。
「すみませんが私は少し部屋で休ませて頂きます」
「奥様、顔色が……」
「大丈夫ですから」
「……わかりました。では、着物は後でご覧下さい」
「はい」と私は申し訳なく思いながら足早に部屋へと戻る。そして普段とは違う脈打つように痛む右肩を押さえながらベッドに顔から倒れ込みも。声が漏れないようにするために。
ただし、しばらくすると痛みより不安感の方が優ってしまったのではあるが。病の進行が進んだのでは、このままだと周りに迷惑をかけてしまうのではと。特に旦那様にと。
「あっ」
ただ、すぐにある考えを思いつき私は上半身を起こしたが。先ほど招待されたパーティーで自分と旦那様の仲の良さを見せればこの白い結婚も終わったようなものになる。そうすれば私が居なくなっても旦那様が困ることはない、むしろ旦那様が思い人と一緒になるまで誰も近づかなくなると。
まあ、しばらくして再び倒れ込みながら唇を噛み締めてしまったけれど。何せ気づいてしまったので。自分が死ぬことで全てが上手くいく可能性があると。
いいえ、可能性じゃ……
そう思った直後、自然と声が出てしまう。
「はははっ……」
ただし、しばらくして気持ちを切り替えるが。幸せそうに思い人と歩く旦那様の後ろ姿をが頭の中に浮かんだから。それと同時に最近会った父の姿も。借金のめどがつき安堵した表情を。
「……」
私はそっと目を閉じ気持ちを切り替える。それから痛みが引いた右肩をさするとゆっくりと立ち上がったのだ。
◇
「ふう、やっと終わったわ」
私は庭で大きく息を吐き新鮮な空気を取り込む。
そして、直前までしていた山になるくらい大量の着物の試着、更には着替えるごとに大袈裟に喜ぶ石さんやお手伝いさん達を思い出し苦笑したのだ。徐々に申し訳ない気持ちになるまで。
だって、あんなに沢山の高価な着物を用意させてしまったのだから。
私という契約だけのお飾り妻に。
まあ、しばらくしてある考えが浮かび、あれで良かったのだと勝手に解釈し納得してしまうが。青川様や他の女性が入り込む隙がないほど完璧にしたいのだと。
「外側だけでも……」
私はそう呟き自分が着ている着物を見つめ自虐的に口元を歪める。すぐに表情を作るが。誰かの気配……いや、香水の香りがしたので。
私の知らない。
一瞬、青川様や他の女性陣の顔が浮かぶ。ただ、「あのう、すみません」と声をかけられ笑顔を作ると振り返ったが。何あともあれ対応しなければならないので。契約に基づき九条家の妻として。
「はい、なんで……しょ……う」
ただし、振り返えった直後に契約のことなど頭から吹き飛び、私の表情は崩れてしまうが。なぜって目の前に長い黒髪の美しい女性が立っていたから。しかも生まれてこの方見たことないほど美しい。
絶世の美女と、私はつい見惚れてしてしまう。状況を忘れて。
ただし女性が首を傾げながら「ごきげんよう。どうなされたのですか?」と尋ねてこられたことで我に帰れたが。
「す、すみません、あまりにもお綺麗な方でしたから驚いてしまって」
「ふふ、何を仰っているのです。貴女様だってそうでしょう?」
私はそう言われてだいぶ肉はついたが、今だに痩せた身体と顔色の悪い自分の顔を思い出す。そして首を横に振る。
「いいえ、私など全然ですよ」
心底、そう思いながら。
それでも女性の方は微笑みながら「まあ、そんなこと仰られないで。貴女様は綺麗よ。自信を持って下さい」と仰ってこられたけれど。
お金目当ての誰かと違い、嘘偽りない表情でと私は再び首を横に振る。彼女の美しさを目にすればするほどそう感じたから。
外側も、そして中身もと思っていると彼女の方は「どうして? 貴女様は……」と悲しげに呟かれる。ただしその表情は一瞬で変わるが。『ウウゥーーーーーー!! 魔獣が現れました。皆様、今すぐ結界の中に避難して下さい』と魔獣警報の音で。
「本日、二回目ね……」
「あの、中に入られますか?」
音が鳴り響く中、そう尋ねると彼女は即座に首を横に振り、和国軍の車、その側に立つ二名の魔獣師団員の方へ顔を向けられる。
「いいえ。もう戻りますから」
そして、続けて「あの通り私には護衛二人がおりますので。だから私よりも貴女様の方が館の中に入って下さい。何せ最近の魔獣は安全地帯にも侵入してきますからね」とも。笑顔を向けてこられながら。こちらに不安感を抱かせないという配慮を感じながらと、私も笑顔を作る。
「わかりました。貴女様の仰られる通りに致します」
更には足早に館の方にも歩き出しも。
ただ、「あっ……」と重大な過ちに気づき、つい声を出してしまったけれど。ここに何をしに来たのか要件を聞き忘れたことに気づいたのでと、慌てて振り返る。
残念ながら既に声をかけるには遅く女性は軍用車に乗り込んでいたが。しかも「九条家の妻として最低限の仕事さえこなせないなんて……」と落ち込む私の声すら掻き消すほど大きな音で走り出し。
すぐに頬が緩んでしまったが。窓越しだが女性が微笑んできたので。軽く手まで振って下さってと、こちらも同じように小さく手を振り続ける。石さんから声をかけられるまで。
「奥様、また警報が鳴りましたね。先ほど倒された警報が鳴ったばかりなのに……」
私は振り返り神妙な顔で頷く。
「確かにそうですね。旦那様は大丈夫なのでしょうか……」
「そのことなのですが先ほど旦那様から連絡がありまして今日は帰れないと」
「きっと魔獣がまた出てくるとふんだのでしょう」
「ああ、範囲はかなり狭いらしいですが旦那様みたいに力を持つ者はそういうのを感じとれるらしいですからね」
すると、正解とばかりに石さんが仰られた直後に警報が鳴り響く。
ただしいつもと違う警報だったが。
『ウウゥーーーーーー!! 緊急、緊急、魔獣に警戒しながら避難をして下さい』
「あのう、今の警報はどのような意味があるのでしょうか?」
「さあ、私も初めて聞く音……いえ、あれは……」と、石さんの表情はみるみる真っ青になっていく。「お、奥様、急いで中へ! この警報は対魔獣師団が魔獣に負けた時の警報ですから!」と、私に向かって慌てて手招きも。
「じ、じゃあ、旦那様は?」
「心配は後でにして早く!」
「は、はい……」と、私は急ぎ石さんと共に館に駆け込む。そして玄関扉を勢いよく閉め、高まる心臓音を気にしながら呼吸を整えようとも。あんなに鳴り響いていた警報音が消えた静かな館内で。
「戸締りをしなさい! それから皆、応接室へ!」
残念ながら代わりに石さんの声が館内に響き渡ったので叶わなかったけれどと、私は胸の上に両手を合わせる。
すぐに石さんの「奥様、大丈夫ですよ。あの方はそうそう死にませんから。何せ一人で大型の魔獣を倒してしまうんですからね」という言葉に胸を撫で下ろす……が、やはり不安感が高まっていっていく。
何せ気づいてしまったので。震える手を必死に抑えながら微笑む石さんにと、私は意を決して口を開く。
「石さん、応接室に行きましょう。そして全員で旦那様が帰ってきたら笑顔で出迎えましょう」
それから笑顔を作りも。
すると石さんの表情は今度こそ本当の笑顔になる。「奥様……はい!」と。
ただし、それも一時だけだったが。
何せその後、旦那様が病院に運ばれたという知らせの電話がきたので。




