因果応報
以上が、見つかった荒木の手記です。
この後は先輩の御存知の通りです。美田が獄中で病死したことをきっかけに、あの真明寺という探偵が事件の再調査に乗り出しました。宣言通り、着々と実績を上げて警察の信頼を勝ち得ていった彼にとっては、警察内部の資料を読むことも造作もないこととなっていました。証拠の捏造を見破り、鑑識技術の向上で見つかった新証拠から、隣人だった勅使保の犯行が明らかとなり、芋づる式に共犯が荒木であると明らかになるまで、ほんの一ヶ月もかからなかったのは、喜ぶべきことなのか悲しむべきことなのか、私は未だに反応に困ってしまいます。
事件の再審が行われ、勅使保と荒木は然るべき処罰を受けました。これまで先輩が係わった事件も洗いなおされ、複数の事件で証拠の偽造や捏造の事実が認められ、起訴される運びとなってしまいました。
しかし今振り返ってみると、この事件は収まるところに収まったという気がします。十五年前の首謀者である目賀は被害者遺族に殺され、美田は獄中で充分に苦しんで死にました。目賀殺害犯である勅使保と共犯の荒木も投獄され、証拠を捏造した先輩も懲戒免職処分になり、刑務所で刑期を終えました。先輩の言っていた、どんな罪でも罰せられるべきという言葉のとおりになっています。
これは私の考えすぎかもしれませんが、先輩はこうなることをどこか予期していたのではありませんか。十五年前の事件の被害者の息子の名前を知っていた先輩であれば、もしかすると彼を引き取った家族の名前も知っていたのではありませんか。隣人がその名字を持つ若い男と聞いて、ピンときたのではありませんか。そしてあの自尊心の高そうな探偵を焚き付ければ、事件の真相がいつか明らかになるのではないかと思ったのではありませんか。
とはいえ、もはや過ぎたことですから、それを知ったところで詮無いことやもしれません。
取り調べに裁判、刑期の時間も含めると、先輩が刑事課を離れてからもう六年近く経っているとは、月日の流れるのは早いことです。寂しさもありますが、先輩と連絡を取ると私も色々と目を付けられる危険性があるので、恐らくはこれが最初で最後の手紙となるでしょう。
しかし、先輩の教えは確かに、私の中に生き続けています。
私もまた自らの正義を信じ、先輩の思いを継いでこれからも日々の職務に邁進していく所存です。
新宿署 刑事課課長 定家正義




