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20.蜂蜜色の髪

 デュラン殿下が美しいものを愛していることは知っていた。

 それが人毛にまで至るだなんて、思いもしなかったが。


 デュラン殿下が執着していたのはわたくしの蜂蜜色の髪だった。この長い髪を使って、ビスクドールに植えて、美しい人形を作る。

 あまりにも悪趣味な考えに鳥肌が立ってくる。わたくしの髪が切られて、それをデュラン殿下が人形の髪として所有しているだなんて耐えられない。


 デュラン殿下がわたくしを試すように視線を向けてくる。

 断るべきか悩んだのは短い時間だった。


 ルシアン殿下が愛しているのはわたくしであって、わたくしの髪ではない。デュラン殿下のように髪に妄執するような気持ち悪いことはルシアン殿下はなさらない。

 髪はまた伸びる。

 国を建て直すという大きな目的の前には、わたくしの髪を犠牲にしてもいいのではないかと思えたのだ。


 デュラン殿下のお茶会へ臨む前にわたくしを抱き締めてくれたルシアン殿下の腕を思い出す。わたくしの頬に口付けてくれたルシアン殿下の愛を思い出す。


 わたくしの心は決まった。


「ハサミを貸してください」


 デュラン殿下に切らせないのは、わたくしのせめてもの矜持だった。

 わたくしが自分で切るのだったら、長さも調節できるし、自分で切ったのだからと納得することもできる。


 デュラン殿下が断罪されたら、願わくばわたくしの髪で作った人形はルシアン殿下に廃棄してもらおう。それだけを思って、手渡された紐とハサミを持つ。

 髪を低い位置で結んで、バラバラにならないようにする。

 デュラン殿下は他の相手にもこんな要求をしたことがあるのだろうか。ハサミと紐が手際よく用意された気がする。


 ハサミを髪につけると、首筋にひやりとした感覚が走る。

 わたくしは未練がないように、一気に自分の髪を肩を少し超すくらいで切り落とした。

 紐で結んでいたので髪は束になってわたくしの手に落ちる。


 あぁ、わたくしは自分でわたくしの髪を切ってしまった。

 わたくしが幼いときから両親が着ることなく伸ばさせてくれていて、わたくしも自慢にしていた美しいとよく言われた蜂蜜色の髪を、自分の手で切り落とした。


 生まれてから一度も切ったことのなかった長い髪をバッサリと肩を超すくらいで切り落としてしまったことを、ルシアン殿下はきっと心を痛めてくださるだろう。その痛みはいつかデュラン殿下を断罪するときに、しっかりとお返ししてみせる。


「ありがとうございます。最高の人形が作れそうです」


 わたくしの手から切り落とした髪の房を奪うようにして掲げ持つデュラン殿下に、わたくしは微笑んで問いかけた。


「デュラン殿下も、真実の愛を示してくださいますよね?」

「もちろんです。すぐにもってこさせます」


 警戒の強いデュラン殿下の部屋がこれで開かれる。ルシアン殿下はそこに入り込んで闇の帳簿と割符を手に入れてくるだろう。

 犠牲は大きかったが、わたくしはやり遂げた気持ちでいっぱいだった。


 戻ってきた美少年たちがわたくしに次々と美術品を見せていく。

 高価な異国の壺も、珍しい東洋の絵画も、国で一番大きなダイヤモンドも、わたくしの心を全く動かさなかったが、わたくしは満足したように微笑んでそれを鑑賞させてもらった。

 切り落とした髪の分頭が軽くて、首筋が寒い気がしたが、これも闇の帳簿と割符を手に入れるためには仕方がなかったのだと自分に言い聞かせた。


 お茶会が終わって離宮に戻ると、ルシアン殿下がわたくしの姿を見て立ち尽くしていた。

 わたくしは切り落とした髪が不揃いで恥ずかしかったが、ルシアン殿下の前に歩み出た。ルシアン殿下が声を震わせて言う。


「リュシア姉様の美しい髪が……」

「ルシアン殿下は、髪の短くなったわたくしはお嫌ですか?」

「そんなはずはないでしょう! リュシア姉様には何の変りもありません」

「ルシアン殿下、デュラン殿下はわたくしの髪を狙っていたのです。わたくしの髪をビスクドールに埋め込んで、最高の人形を作ると言っていました」

「その人形は必ず取り返してみせます。デュラン兄上の元にリュシア姉様の髪があるだなんて許せない」


 怒りに震えるルシアン殿下に、わたくしはそっと寄り添う。ルシアン殿下は震える手で、痛々しそうにわたくしの不揃いの肩を超すくらいの髪を撫でてくださった。


「ルシアン殿下、目的は達成されましたか?」

「リュシア姉様がそこまでしてくれたのです。しっかりと達成しました」


 ルシアン殿下が帳簿と割符を取り出す。それこそが、わたくしたちが手に入れたいと思っていたものだった。


「ルシアン殿下、これでデュラン殿下を断罪できます」

「リュシア姉様のおかげです。リュシア姉様、ありがとうございます」

「わたくしができることならば何でもしようと思っていました。あの……この不揃いの髪を、見られるように整えてもいいですか?」

「もちろんです」


 わたくしは部屋に戻って、侍女に髪を整えさせた。

 お尻くらいまであったわたくしの長い髪は、肩を少し超すくらいまでになってしまったが、きれいに整えればそれはそれで見られないわけではなかった。

 ちゃんと髪を整えてもらってから、着替えてわたくしはルシアン殿下と向かい合った。

 お茶室で硬いソファに座りながら、ルシアン殿下がちらちらとわたくしの髪を見ている気がする。わたくしはルシアン殿下に問いかける。


「似合いませんか?」

「いいえ、リュシア姉様は髪が短いのもとてもお似合いです」

「それならばよかったです」


 安堵するわたくしに、ルシアン殿下が手を伸ばしてくる。

 ゆっくりと髪を撫でられて、わたくしはかなり短くなってしまったそれを悲しく思いながらも、そのおかげでルシアン殿下が闇の帳簿と割符を手に入れられたのならば、誇らしくも思わなければいけないと気を取り直す。


 ルシアン殿下の腕がわたくしを引き寄せて、わたくしの肩を抱いた。


「リュシア姉様の犠牲は絶対に無駄にしません」

「ルシアン殿下」

「ぼくはデュラン兄上を確実に追い詰めてみせます。そのための証拠は手に入れました」


 ルシアン殿下がテーブルの上に帳簿と割符を置いた。ルシアン殿下に肩を抱かれたままテーブルに手を伸ばして、わたくしはデュラン殿下の部屋から持ち出した闇の帳簿と割符を見せてもらった。

 帳簿には、どこで奴隷を何人取り引きしたか、その額がどれだけだったか、詳細に書かれている。割符は隣国の宰相との取引の場面で使われていたものだろう。


「デュラン兄上の部屋に美術品を取りに来た少年と交渉しました。ぼくが国王になれば開放する約束をして、デュラン兄上の部屋に入れてもらって、帳簿と割符の場所も教えてもらいました」

「ルシアン殿下も頑張ってくださったのですね」

「リュシア姉様がこんなことになっているとは知らなかったのですが、ぼく場僕のできることをしようと思って、アランが報せに来たときから、デュラン兄上の部屋の前で隠れていたのです」


 アラン殿も無事にルシアン殿下への合図を伝えられたようだった。

 これでデュラン殿下を断罪する証拠も揃った。


 後は断罪の場を作るだけだ。


 これはルシアン殿下に考えがあるようだった。


「父上の前で、ギヨーム兄上とデュラン兄上を断罪したいと思っています」

「それは、いつ?」

「デュラン兄上は帳簿と割符がなくなったことに気付くでしょう。でも、騒ぎ立てることはできないと思います。次の秋の議会に、父上とギヨーム兄上とデュラン兄上に出席してもらいます」


 秋の議会。

 議会が開かれるまでもう少し時間があるが、その間にギヨーム殿下の王子妃の元侍女も証言をするか心を決められるだろう。

 結構は秋の議会で。


 国王陛下は参加してくれるだろうか。

 それだけがわたくしは心配だった。

読んでいただきありがとうございました。

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