19.デュラン殿下のお茶会に参加する
デュラン殿下のお茶会へのお誘いの手紙に返事を書いてから、わたくしはルシアン殿下の部屋を訪ねた。
ルシアン殿下の部屋に入るのは、わたくしが結婚してすぐにルシアン殿下に「結婚しなければよかった」と言われた日、以来だった。
部屋を訪ねてきたわたくしに、ルシアン殿下は快く部屋の中に入れてくれた。
相変わらず質素だが整頓された清潔な部屋で、古びた硬いソファをルシアン殿下が示してくれるのを、わたくしは断った。
「わたくしは、明日、デュラン殿下のお茶会に参加します」
「決めたのですね」
「はい」
明日決行することはルシアン殿下にも把握してもらっておかなければいけない。ルシアン殿下はわたくしがお茶会に参加している間に、デュラン殿下の部屋に忍び込むという大事な仕事があるのだ。
囮になるにあたって、わたくしはルシアン殿下に伝えておきたいことがあった。
「わたくしは、明日、デュラン殿下になにかされるかもしれません」
「やはり、リュシア姉様、やめた方が……」
「いいえ、これはどうしても必要なことなのです」
それでも、囮になるにあたって、わたくしはルシアン殿下にお願いしたかった。
「わたくしが何をされても、ルシアン殿下の愛は変わらないと誓ってくださいますか?」
デュラン殿下の機嫌を取るために、わたくしは要求されたことをのまなければいけない場面もあるだろう。それがルシアン殿下にとってはわたくしを穢されたように感じることかもしれない。
ギヨーム殿下がわたくしを襲おうとしたときに言っていた。
――議会の会場で、ルシアンはお前を愛する妻と言っていた。愛する妻が他の男に穢されて、それでもルシアンは平気でいられるのかな?
それに対して、わたくしは言い返した。
――わたくしになにをしても、ルシアン殿下の愛は変わりません!
あのときは勇気を奮い立たせるためにそう口にできたが、本当にルシアン殿下の愛が変わらないかどうか、確信が持てなくなるときがある。ルシアン殿下を疑うつもりはないが、デュラン殿下がわたくしの想像を超える要求をしてくる場合もあるかもしれないのだ。
できる限りはそれを逃れようと思っているが、デュラン殿下からの要求を拒み切れなかった場合、また、デュラン殿下の手中にいるのだからデュラン殿下に襲われて抵抗ができなかった場合のことを考えると、恐怖がわいてくる。
「誓います」
ルシアン殿下がわたくしの前に膝をついて、わたくしの手を取って、その甲に口付けをした。
「リュシア姉様になにがあろうと、ぼくの愛は永遠に変わらないことを誓います」
ルシアン殿下の誠実な態度にわたくしは体中が愛に満たされていくのを感じる。ルシアン殿下の手を取って立ち上がらせると、わたくしはゆっくりと両腕を開いた。
「抱き締めてくださいますか?」
「リュシア姉様」
ルシアン殿下が大きな体でわたくしをすっぽりと抱き締めてくれる。温かく逞しい胸に顔を埋めて、わたくしはルシアン殿下の香りを吸い込んだ。
「あの……はしたないと思わないでください」
「リュシア姉様ははしたなくなどありません」
「わたくしの、頬に、口付けてくれませんか?」
デュラン殿下と対峙する前に、わたくしはルシアン殿下の愛を確かめて勇気を手に入れたかった。恥じらいながら告げると、ルシアン殿下の大きな手がわたくしの顎に添えられる。顔を上に向かされて、ルシアン殿下がゆっくりと大きな体をかがめるのが分かった。
「リュシア姉様、失礼します」
「ルシアン殿下」
目を閉じて待っていると、しっとりと柔らかな感触が頬に触れる。
唇への口付けはまだ早いが、頬への口付けは許されるかもしれない。そう思ってお願いしたのだが、目を開けたときにルシアン殿下の顔が間近にあって、恥じらうように目を伏せているのが見えて、その黒い睫毛の長さにわたくしは胸を震わせた。
ルシアン殿下を愛している。
ルシアン殿下はわたくしを愛してくださっている。
それが分かるからこそ、わたくしはデュラン殿下と対峙する勇気をもらうことができた。
翌日、ルミエール公爵家から持ってきた美しいレースの飾られたドレスを身に纏い、わたくしはデュラン殿下が指定した王宮の庭のお茶会会場に出向いた。お茶会会場には、わたくしの他には、デュラン殿下がかわいがっている美少年と美少女しか参加していないようだった。
「お招きいただきありがとうございます、デュラン殿下」
護衛のアラン殿を一緒に連れているが、デュラン殿下はアラン殿を邪魔そうに一瞥した後で、わたくしに満面の笑みを浮かべてみせる。
「ようこそいらっしゃいました、リュシア嬢。やっとわたしの愛がリュシア嬢に通じたのですね」
「それはどうでしょう。わたくしに真実の愛を捧げてくれるのはデュラン殿下だけではありませんからね」
「いえいえ、ギヨーム兄上はリュシア嬢から拒まれて、王子妃を襲ったとして謹慎させられています。わたしの愛こそが、リュシア嬢の心を動かしたと思っていいですね?」
しつこく聞いてくるデュラン殿下に、わたくしは微笑みだけで意味深長に返して、お茶会の席についた。わたくしの席はデュラン殿下の隣で、デュラン殿下は美少年と美少女に給仕をさせている。
美少年が震える手でお茶をカップに注ぐのを見て、彼もデュラン殿下を恐れているのだと分かる。
デュラン殿下が出す飲食物については、何が入っているのか分からないので、わたくしは口をつけるふりをして、飲食しないことに決めていた。
「あぁ、リュシア嬢の髪と瞳の美しいこと。こんなに美しい蜂蜜色の髪と瞳は見たことがありません。蜂蜜のように甘いのでしょうか?」
デュラン殿下がわたくしの長い髪をひと房手に取って嗅いでいる。とても気持ち悪いが、デュラン殿下を油断させるためにわたくしは耐えていた。
「デュラン殿下、わたくし、欲しいものがあるのですが」
「これまでリュシア嬢がわたしの贈りものを受け取ってくれたのは一度だけでしたね。あんな安っぽいアメジストのネックレスでは満足できなかったでしょう?」
あのアメジストのネックレスは国王陛下と王妃殿下の思い出のこもった王妃殿下の遺品なのに、デュラン殿下はその価値を分かっていないようだった。
わたくしは心の奥で憤りを覚えつつも、ちらりとアラン殿に視線を向ける。
アラン殿は頷き、そっと席を外した。
これはルシアン殿下に合図を送ってもらうためなのだ。それを理解していないデュラン殿下は、わたくしがひと払いを望んでいるように感じたようだ。
美少年や美少女を下がらせる。
お茶会会場に二人きりになったわたくしは、デュラン殿下にあやしく微笑みかけた。
「デュラン殿下が持っている中で一番価値のあるもの、それはなんでしょう?」
「それは謎かけですか? 異国の壺でしょうか? 東洋の絵画でしょうか? いえ、もしかして、この国で一番大きいと言われるダイヤモンドでしょうか?」
「あぁ、わたくし、一目でいいからそれを見てみたいですわ。デュラン殿下、わたくしの願いを叶えてくださいますよね?」
デュラン殿下が大事にしているものならば、間違いなくデュラン殿下の部屋にある。デュラン殿下は部屋にそれを取って来させなければいけないだろう。壺でも、絵画でも、ダイヤモンドでも構わない。
どれでも構わないので、デュラン殿下が動くのを待つ。
「リュシア嬢はわたしを試しているのですね?」
「真実の愛を示してくださるのではないですか?」
「それならば、わたしにもリュシア嬢にお願いがあります」
デュラン殿下のお願い。
それは何だろう。
警戒するわたくしに、デュラン殿下は微笑んで告げた。
「リュシア嬢のその美しい髪、生まれたときから切っていないのではないですか?」
そういえば、デュラン殿下はわたくしを褒めるときに、必ず蜂蜜色のこの長い髪と瞳を褒めている気がする。もしかしてと、思ったが、デュラン殿下の要求はすぐに明かされた。
「その髪をわたしにくださいませんか?」
気持ち悪い!
反射的に断ってしまいそうになったが、わたくしは必死で思いとどまる。
人毛が欲しいだなんてどういう趣味なのだろう。
わたくしの髪を切って、デュラン殿下に捧げろということか。
「リュシア嬢の髪をビスクドールに埋め込んで、最高の人形を作るのを夢見ていました」
背筋が寒くなって、震えそうになるのを、わたくしは必死で堪えた。
デュラン殿下は、わたくしの髪を欲しがっている。
わたくしは、生まれてから一度も切ったことのないいつも整えている蜂蜜色の髪に手を触れた。
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