18.元侍女の説得
女性は椅子に座ったが、落ち着かない様子で後ろのドアを気にしている。そのドアの向こうには男の子がいるのだろう。
「わたくしはこの国を変えたいのです」
「この国は変わりません。国王陛下はギヨーム殿下とデュラン殿下の傀儡になってしまって、お二人が民衆を重税で苦しめている……」
「ギヨーム殿下を断罪し、デュラン殿下も断罪できた暁には、この国は変わります」
「そんなことは理想論です」
諦めきった様子で答える女性に、わたくしは身を乗り出した。
「この国の王子はギヨーム殿下とデュラン殿下の二人だけではありません」
三人目のルシアン殿下が成人したときに、正式な王太子が選ばれる。そのときにルシアン殿下が選ばれる土台を作っておけば、この国は変えられるのだ。
それを匂わせても、女性の表情は明るくならない。
「誰も、助けてはくれなかった……」
「どういうことですか?」
「わたしが助けを求めても、誰も助けてくれなかった。それどころかにやにやして見ているだけだった。王子妃殿下ですら、泣きながら止めようとしてくれたけれど、ギヨーム殿下の取り巻きに敵わなかった」
自分の気持ちを吐露する彼女の目からはらはらと涙が流れる。
ギヨーム殿下の取り巻きに見られている前で彼女は乱暴されたのか。
その傷の深さにわたくしは言葉を失ってしまいそうになる。こんなに傷付いている彼女を証言台に立たせるのが本当に正しいのか。
けれど、ギヨーム殿下の悪事を暴くには、被害者の証言がどうしても必要だった。
ゆっくりと椅子から立ち上がり、わたくしは彼女の前に膝をついて、その手を握った。貧しい暮らしで荒れた手だった。
「わたくしも先日ギヨーム殿下に襲われました」
「王子妃殿下もそうでしたね……」
わたくしが襲われたという噂はここまで届いているようだ。静かに答える彼女にわたくしは訴えかける。
「わたくしの力では到底ギヨーム殿下には敵わず、抵抗もできなかった。ルシアン殿下が助けてくださらねば、最悪の事態になっていたかもしれません」
「あなたには助けてくださる方がいてよかったですね」
「あなたの魂は救われないのですか?」
「わたしの魂が救われる?」
聞き返す彼女にわたくしは立ち上がり、しっかりとその目を見て伝える。
「あなたも抵抗したかったはずです。ギヨーム殿下のしていることを誰かに咎めてほしかったはずです。それが遅くなりましたが、これから行われるのです」
「もう終わったことです」
「本当に、終わったことなのでしょうか? あなたの心はずっと傷口から血を流し続けているのではないでしょうか?」
わたくしの言葉に、彼女の肩が震える。俯いて彼女は抑えた声で語り始めた。
「わたしの息子が成長して行くたびに、わたしはどうしてもあの方の影を思い出さずにはいられないのです。息子には罪はないと分かっていても」
「ギヨーム殿下を断罪して、過去と決別したいと思いませんか?」
「断罪した後、わたしはどうなるのでしょう? ギヨーム殿下に弄ばれた女として生きていかなければいけない。息子はこのことを知りません。息子が真実を知れば傷付くのではないでしょうか」
彼女には息子がいるのだ。ギヨーム殿下との間にできた息子が。
その息子には父親がギヨーム殿下で、自分がどういう経緯で生まれてきたかを伝えていない様子だった。
「証言の後は、あなたを王宮で保護できるように取り計らいましょうか」
そう提案したのは同席して沈黙してわたくしたちの話を聞いていてくれた兄だった。
「王族の子どもを産んだあなたは当然、王宮で保護されるはずだった。御子息も王族の子どもとして教育を受け、豊かに暮らすはずだった」
「わたしが、また王宮に?」
「王宮に戻るのが怖いと仰るのならば、離宮でも構いません。国がきちんとあなたを保護して、御子息共々暮らせるように援助することができます」
その申し出に、彼女の心は動いている様子だった。
わたくしは兄に言葉を添える。
「御子息は自分の生まれを知ることになるかもしれませんが、だからこそ、正しい教育が必要となってくるでしょう。そのための援助を国ができるとすれば、あなたはどうしますか?」
「わたしは……」
「ギヨーム殿下が断罪されれば王子妃殿下も解放されることでしょう。王子妃殿下も王宮から離れたいかもしれません。そのときに共にいてくれる相手が必要ではないでしょうか」
「もう一度、王子妃殿下にお仕えすることができますか?」
王宮から追放されたとはいえ、彼女は王子妃殿下の侍女として仕えていた身だ。王子妃殿下への忠誠心もあったのだろう。なにより、王子妃殿下は彼女が追放されるときに、実家の侯爵家で彼女を保護してくれた恩がある。
「証言の件、考えさせてください」
「いいお返事をお待ちしています」
時間をくださいと言った彼女を、わたくしは急かすつもりはなかった。
ギヨーム殿下の断罪まではまだ時間がかかる。じっくりと準備を整えておかねばならなかった。
返事を待つと告げて、わたくしと兄とアラン殿は彼女の家を辞した。
三人の被害者の説得が終わって、わたくしが王宮に戻って来たころには、季節は夏に移り変わっていた。
夏が終われば秋が来て、わたくしがルシアン殿下と結婚して一周年になる。
そして、冬がくればルシアン殿下の誕生日になり、ルシアン殿下が成人する。
後季節が二つ動けば、この国も変わるかもしれない。
わたくしはその予感に身を引き締めていた。
王宮に戻ると、ルシアン殿下に報告をした。手紙でも逐一報告はしていたが、実際に顔を会わせて話をするのとは少し違う。
「ルシアン殿下、夜会で襲われた伯爵夫人は協力してくださると言ってくれました。ルシアン殿下が助けてくれたご恩を返したいとのことでした」
「そのように手紙にも書いてくれていましたね」
「ギヨーム殿下に連れ去られそうになっていた令嬢は、お父君は反対していましたが、証言すると言ってくれました」
「ありがたいことです」
最後の元侍女に関してだけは、まだ答えが出ていないので、ルシアン殿下に手紙で伝えていなかった。
わたくしは元侍女が苦悩していたことをルシアン殿下に伝えた。
「彼女は御子息の父親が誰か、御子息に教えていません。証言することで御子息に自分の父親が知られることを恐れていました」
「それはそうでしょう。あのギヨーム兄上が父だなどと知ったら御子息はショックでしょう」
「ですが、ギヨーム殿下の断罪が行われれば、王子妃殿下も解放されて、後宮を離れるかもしれないこと、そうなると王子妃殿下のお世話をするものが必要になることを伝え、御子息は王族として教育をされることも伝えると、証言の件について、考えてくださると言いました」
完全にいい返事はもらえなかったが、それでも考えてもらえるだけマシだろう。
ギヨーム殿下の王子妃の元侍女の証言は、御子息を産んでいるということでギヨーム殿下を断罪するにはかなり重要なものだった。
「後はギヨーム兄上の断罪の場を作ると共に、デュラン兄上を追い詰めていかなければ」
そうなのだ。
わたくしたちの敵はギヨーム殿下だけではない。
デュラン殿下もいるのだ。
「デュラン殿下の奴隷取引の闇帳簿と割符を手に入れられれば、状況は変わってきますよね」
「デュラン兄上は非常に警戒していて、自分の部屋に誰も入れないようにしているようなのです。奴隷として買われた美少年や美少女に手を回していますが、デュラン兄上を恐れて行動に移せないものばかりで、協力してくれるものも、デュラン兄上の慎重さにどうにもならずにいるのです」
どうにかデュラン殿下の油断する場を作れないか。
わたくしは考えを巡らせる。
デュラン殿下が今一番興味を持っているものといえば、一つだけ閃いたことがあった。
「わたくしが、囮になればいいのでは?」
「リュシア姉様! いけません!」
「ルシアン殿下、落ち着いてください。デュラン殿下のわたくしに対する執着は並々ならぬものです。毎日のように贈り物とお誘いの手紙が届きます。わたくしがデュラン殿下のお茶会に顔を出して、デュラン殿下の部屋にあるものを欲しがったら、デュラン殿下はそれを取って来させるのではないでしょうか」
そのときに、デュラン殿下の部屋に入り込んで、闇の帳簿と割符を手に入れる。
「確かにそうかもしれませんが、それではリュシア姉様があまりにも危険です」
「危険でもやらなければいけないときがあるのは分かっています。ルシアン殿下、わたくしを信じて任せてくださいませんか?」
「リュシア姉様が心配なのです!」
どうしても頷いてくれないルシアン殿下に、わたくしはその赤みがかった紫の目を見つめて静かに訴えかける。
「ルシアン殿下、この国が変わらなければ、救われないものはたくさんいます」
「リュシア姉様……」
「ルシアン殿下が国王になるために、どうしても必要なことならば、わたくしは我慢できます」
例え、デュラン殿下がわたくしにどんな要求をしてきたとしても、デュラン殿下の油断を誘うためならば、わたくしは耐えられそうな気がしていた。
「リュシア姉様の崇高なお気持ちは分かります。それでも、ぼくはリュシア姉様に危険を冒してほしくないのです」
「ルシアン殿下、わたくしを信じてくださるなら……愛しているのならば、わたくしに協力させてください。わたくしのルシアン殿下への愛を示させてください」
ルシアン殿下が国王になるためならわたくしは多少のことならば我慢ができる。
これも全てルシアン殿下と国のためだった。
わたくしの申し出に、ルシアン殿下は不承不承頷いてくれた。
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