4-08 猪狩源治物語 ~生まれ変わった彼女たちを今度こそ幸せにする物語~
千年の昔、京の都に男がいた。彼は魔の者、吸血鬼であった。
たいそう見目麗しく才気あふれ、数々の女性と浮名を流したという。
女性たちを翻弄した彼は彼女たち、そして自分自身も不幸にし、その因果は子供たちやその相手にも及んだ。
彼は後悔した。
せめて彼女たちの来世――生まれ変わっていく彼女たちを幸せにしよう。
――そして千年の時が流れた。
彼女たちが同じ時代に生まれ変わるタイミングが来て、男の子孫、猪狩 源治は最後のチャンスという彼に協力する事にした。
義理の妹の紫、源治の許嫁で学園長の娘、生徒会長の輝光殿 葵。海外から来た引きこもり女子のムハナ=スウェッツ。田舎から源治のために転校してきた幼馴染の明石。
様々な悩みを持つ子孫たちを今度こそ幸せにするために、“元”源治と“今”源治が奮闘する。
「そなたは猫である。名前は――」「名前なんてどうでもいいよ! それよりどうなってるの、これ!」
高校1年の夏休み最後の夜、日付が変わる少し前。
静かな住宅地のいたって普通の一戸建ての、その2階のこれまたいたって普通の男子の部屋。
明かりを消した暗闇に小さな叫び声が上がった。
窓際にある勉強机の上にすっくと黒猫が2本足で立っていた。
窓からは月の光が差し込み、漆黒の毛並みを美しく照らしている。
「はて、名前は大事じゃぞ。どうでもよいのなら、そなたの事は『ネコ』と呼ぼうぞ」
「僕にはれっきとした『猪狩 源治』って名前があるよ!」
『ネコ』は高めの声でハッキリと、人間の言葉で抗議した。そして、器用にも2本足で机の上をスタスタと歩き、ちょうど目の高さにある人間の顔に迫った。
「麿が今から猪狩源治じゃ。すまぬがの」
椅子に姿勢よく座っている高校生、『猪狩源治』が答える。本人には自覚がないのか、シレっとした表情と声が『元・猪狩源治』には小憎らしい。
人間の源治の顔はお世辞にも魅力的とは言えなかった。まず目に入るのが極太の眉。そしてしもぶくれの頬。まつ毛は長いが糸のような細い眼。
『ネコ』と名付けられた『元・猪狩源治』は、自分の顔を至近距離から見て思わず目を反らした。自分ではないものが自分の顔をしている気持ち悪さ。そして、鏡を見ることも避けていた、自分でも気に入らない顔の作りの恥ずかしさ。
目を背けた先にあったガラス窓に映るのは黒い猫。2本足で立っている姿になぜか違和感がない。
夢かもしれない。一縷の望みを持って手を振ってみた。
ガラスに反射している黒猫も、うにゃうにゃと前足を振り返す。
その猫はそのままガックリと両ひざをつき頭を抱えた。
「安心せよ。悪いようにはせんからの」
「十分悪いようになってるよ!」
まさか僕と猫の身体が入れ替わるなんて!
「まことにすまぬ。いっとき、そなたの身体をお借りするぞよ。うまくいけばすぐにお返しする」
源治の少し高めの声が一瞬低く抑えたものになり、誰に聞かせることもない呟きが漏れた。
「――何度も生まれ変わり、千年待ったのじゃ。今度こそ――」
「そうねえ。今回ほどのチャンスはもう来ないわね」
艶っぽい声と共に一人の女性が暗がりから月光の中に現れた。
圧倒的な美女。
北欧系だろうか、スッと通った鼻筋に白磁のような肌とプラチナシルバーの長い髪が静かな月明かりに映える。
20代前半か後半か――年齢不詳。どことなく面白がるような表情に、妖艶な中に知的さも見える黒い瞳。紅く引かれたルージュが艶めかしい。
大きく張った胸と深い谷間。そのなめらかな曲線は腰から長い脚へと続く。
肌の露出が多い服装は、自らの肉感的な魅力を存分に魅せるために違いない。
元高校生のネコには刺激が強すぎたのか突然の出現に驚いたのか、目を見開いて固まっていた。
(猫の眼って夜でもよく見えるんだな……)
そんな事を考えながら。
「私の名前はセレーネ。よろしくね」
「あ。は……はい」
セレーネはネコに近づくと、くすりとほほ笑んだ。
「今、胸のあたり見ていたでしょ」
「え? ち、ちが……」
「だいじょうぶ。健全な男子高校生なら当たり前だから」
細い指でネコの背中をやさしくなでる。
「かわいらしいわね。私、この子にも興味でてきちゃった」
女性に慣れていないネコがさきほどからの姿勢で固まったままでいるのを見て、源治がため息を吐く。
「あまりからかわないでやってくれぬか」
「あら、貴方と違って子孫が女性に免疫ないって歯がゆいの?」
源治の顔が曇った。
「そのようなことはない。麿のようにならぬならそれでよいのじゃ」
硬直から回復したネコは、源治が糸目の奥から遠くを見るような眼差しをしていることに気が付いた。
「千年前、吸血鬼の貴方はお遊びが過ぎてたくさんの女の子を不幸にしてしまった。因果応報。自分の子供たちもその相手も不幸となり、強く後悔した貴方は――」
セレーネは不思議な微笑みをみせる。
「――因果の繰り返しの中で再び彼女たちと出逢えるタイミングを待つために猫として生まれ変わることにした。九つの魂を持つ猫として」
「余計な事を言わずともよい」
「あら、ちゃんと彼に話をして協力してもらった方がいいんじゃないかしら?」
前かがみになって、机につく源治の顔を覗き込むセレーネ。
「友達の吸精姫として。そして転生の手伝いをした魔族の先輩としてのアドバイスよ。あの時の全員が揃う因果のタイミングなんてもうないわ。だから残っていた魂を全て使って入れ替わったんでしょ?」
吸血鬼? 生まれ変わり? 入れ替わり!?
元・猪狩源治、現・ネコの理解は追い付いていない。
「何を訳の分からない事言ってるんだよ!」
真夜中0時過ぎに再び小さな叫び声が上がった。
※※
「おにーちゃん、寝すぎ! クラブ活動があるから先に行くねっ!」
ドタバタと玄関へ走る、見えない姿に向かって源治――の影に隠れたネコが声をかける。
「紫ー! 桐子母さんの朝のお参りはしたのかー」
「したよー! おにーちゃんこそ忘れずにちゃんと家の鍵、かけるんだよー!」
そのままバタンと閉まる玄関ドア。
「ふぅ……まずは紫と遭うのは避けられたぞ」
「麿はかまわぬのじゃが。元のそなたと寸分変わらぬ姿じゃからの」
「こっちがかまうんだよ! だいたい、いつの時代かわからないごちゃまぜの言葉、使わないでよ!!」
「仕方ないわよね。いろんな時代に生まれ変わって中途半端に身に付いちゃってるんだから」
セレーネが隠れていた押し入れから顔を出す。
「わかっておる。この時代も結構長く生きてきたからのう。ナウなヤングの言葉使いや常識は身につけておる。麿――じゃない、儂……俺? にまかせよ」
姿勢よく立つ源治が髪の毛をサッとかきあげた。太眉しもぶくれ顔をCoolにキメる。
頭を抱える黒猫。
「協力するとは言ったけど、不安しかないよ……」
器用に正座したネコが仏壇に手を合わせている。
「桐子母さん、とんでもないことになったよ。父さんは相変わらず海外をふらふらしたままで連絡がないけど、こういう時はよかったって思う……」
「こちらはご母堂か? 若くなんと美しい――」
仏壇の遺影に気が付いた源治も手を合わせる。
「彼女までは因果の流れを合わせることはできなかったわね」
「……詮無きことよ」
「あれ? セレーネさんがいない」
「そういえば、準備があるとか言って出て行ったのう」
「げんちゃん、おはよ~」
ネコの指示で源治が家の鍵をかけていると、忙しい朝に不釣り合いなのんびり声がかけられた。大慌てで口を閉じるネコ。
ホウキで源治の家の前を掃いていたエプロン姿の女性が、ほわほわと手を振っていた。
年のころは20歳くらいだろうか。にこにこと満面の笑みの、ましゅまろみたいな印象だ。
「どなたかの?」小声でネコに尋ねる源治。4本足でおとなしく猫の振りをしているネコがこちらも小声で返す。
「お向かいの花里 千里お姉ちゃん。毎朝うちの前まで掃除してくれるんだよ」
「……そうであったか」
「そうそう~、ちょっと待ってて~」
エプロンで手を拭いながらぱたぱたと向かいの玄関に戻ると、ひまわり柄の大きな包みを持って出てきた。
ぽやんと両手で差しだすと、
「は~い、いつものおべんと、ですよ~」
ほわ~っと笑顔を見せた。
きょとんとする源治にネコがささやく。
「紫の分も毎日持たせてくれるんだ。親が不在だからって」
「いと、をかし!」
感極まった様子で源治が叫んだ。
「をかし過ぎであるぞ……」
絞り出すように続ける。
「あれれ~、どこかおかしかった?」
にこにこ顔のまま小首をかしげる千里。
「あ。お菓子だね~。ちょっと待っててね~」
ぽてぽてと急ぐ千里の後姿を見て、ネコは前足で頭を抱えた。
※※
四季舞学園――男女共学、中高一貫の私立校である。源治と義理の妹である紫が通う学校だ。
「おはよう! ひさしぶりー!」
「夏休みどうだった?」
セミが鳴く通学路は、校門に近づくにつれて賑やかな声が増していく。
その中を歩く源治と後ろをついていくネコ。
源治は少し歩みが遅くなっているネコに気が付いた。
「どうしたのじゃ? ボロが出ないか心配であるか?」
「それもあるけど……」
「ほら、ゲジゲジ君、猫と一緒に登校してるよ」
「ゲジゲジの奴、夏休み明けでも相変わらずの面構えだな」
周囲のささやき声とクスクス笑いが聞こえてくるようになった。
「ほら、僕ってゲジゲジ眉毛だし、こんな顔だし、源治って名前だから……」
「……ふむ」
校門横に立つ何人かの生徒と教師の姿が見えてきた。
その中でも一人、抜きんでた存在感を放つ女子生徒がいた。
朝日に輝く艶やかな黒髪はきっちりとハーフアップにされている。長いまつ毛と切れ長の瞳。日本人形のような端正な美しさ。スラリと長い手足に毅然と顔を上げた、凛とした佇まい。
「おはようございます」
「お、おはようございます、生徒会長」
喧噪の中でもハッキリと声が聞こえてくる。登校してきた生徒たち一人一人に声をかけているのだ。
「して、そなたはどうしたのか」
ネコは完全に立ち止まっていた
「彼女は……僕の許嫁――葵なんだよ……」





