4-11 先生は見ています。
両親の離婚で新しい街にやってきた『月足れの』の生活は、期待とは違っていた。
転校先の高校ではいじめの対象になってしまい、家では母親と共に見知らぬ男性の家で暮らすことになって、どこにも居場所がない。
とうとう授業をサボってしまった彼女は、一人の女性教師竜胆燈子と出会った。
「私と契約すれば、お前の学校生活は良くなる。ここは私の学校だ」
校内のあらゆる場所にカメラを仕掛け、全ての教師、職員、生徒を監視している竜胆は、学校の全てを知っているのだ。
「私は全てを見ている。だから私の手を取れ。私に協力しろ。私と契約すれば、お前は安寧を得られる」
優しい顔の教師が、悪魔のささやきを呟いた。
高校一年生の『月足れの』には居場所がない。
離婚した母と共に、新しい町で新しい生活が始まると思っていたのに、新しい我が家は知らない男の家だった。
自分の部屋はあっても、決して自分だけの場所には思えなかった
学校にも居場所がない。
半端な時期の転校は噂話の種になり、生来の大人しい性格も手伝って、「転校生に対するいじり」という呼び方で正当化されたいじめにつながった。
質が悪いのは、そこに担任教師も加担したことだ。
とはいえ、父のところへ行く気にはならない。
不倫の挙句に自己正当化の道具に自分を使った相手を頼れるはずもない。頼りたくもないし、何かの解決につながるとも思えなかった。
「はぁ……」
冬が近い。
真新しい制服のブレザーにはまだ馴染めないが、誰もいない旧校舎の裏を歩く彼女が、寒々しい秋風から身を守るには役に立つ。
正午を少し過ぎたばかりの時間だというのに、じっとりと湿った雰囲気がある旧校舎北側のスペースは、ややぬかるんでいる。
「初めて、授業サボっちゃった」
午後最初の授業は、担任と顔を合わせる数学だった。
教室の隅で一人、パンを齧っている間は何も考えていなかったのだけれど、二つ目を食べてパックの牛乳を飲み終わった途端に、れののやる気はゼロになった。
ゴミを捨てたところまでは憶えているが、気付けば靴を履き替えてこんな場所にきている。
何の用も無い場所だけれど、だからこそ引き寄せられたような気がしながらも、れのはふらふらと歩いてきた。
そして、誰もいない校舎裏に、ポツンと小屋のような建物があるのを見つけた。
「倉庫?」
そっと近づいて見てみる。倉庫というよりは、平屋の民家に近い。
「物置……でもないのか。引き戸だけど、昔の家のちゃんとした玄関みたい」
格子のついたすりガラスの玄関は、学校の施設というより町中によくある民家のようで、昔何度か訪れた祖父母の家を思い出した彼女は、何の気なしに手を掛けた。
「えっ、開いてる?」
からからと何の抵抗もなく開いた引き戸に、開けた本人が驚いた。施錠もされてないとは、放置された建物なのだろうか、と想像が膨らむ。
だが、ちょっとした冒険心もあっという間に寒気に変わった。
「誰か、住んでるの?」
玄関は綺麗に磨き上げられていて、傘立てにはまだ新しい赤い傘。恐る恐る開いた靴箱には、女性用のパンプスやブーツがならんでいる。
明らかに使用している、生活をしている雰囲気に、自分が「やってしまった」と気づいたれのは慌てて逃げ出そうとした。
「ひぅっ!?」
目の前には、一人の女性。
「そこで何をしている?」
身長はれのより少し高いくらいなのだが、圧力すら感じる無表情な顔つきは、美しく整っていることで人形のような印象があり、余計に恐ろしく見える。
「え、と……」
「確か……転校生。月足だったか」
「は、はい」
どうにか返答しながらも、れのは自分のことが知られていることが少しだけ嬉しかった。しかしそれも、理由を想像すると迂闊に喜べない。この学校で彼女の話題といえば、都会からきた変な名前の女というからかい以外にはないはずだから。
「あの……」
「私は竜胆燈子。この学校、皐月高校の国語教師だ。君のクラスは担当していないから、知らなくて当然だろうな」
竜胆は淡々とした口調で一方的に話すと、後ろ手に戸を閉めた。
「上がれ。話がある」
転校一か月で早くも怒られるのか、と有無を言わさぬ口調に何も言い返せず、れのは小さく返事をした。
授業をサボったのだから、きっと母親にも連絡がいくだろう。それが何よりも嫌だった。どうにか謝り倒して、許してもらえないだろうか。
「茶を入れるから、座って待っていろ」
「はい……え?」
「緑茶は嫌いか?」
意外な言葉を掛けられ、反射的に返事をしてしまったれのに、竜胆は静かに尋ねる。
「あの……大丈夫です。いえ、好きです」
「そうか」
飲み物が必要になるほど長時間の説教があるのだろうか。そう思うと竜胆が別室へ向かった今のうちに、ここから逃げ出したくなる。
逃げこむ場所なんてないのだけれど。
「あの、すみません。学校の施設に勝手に入ってしまって……。ただ、わたしはまだこの高校に転校してきたばかりで、よく知らなくて……」
「一年四組、月足れの。都会の高校から転入して一か月。転入試験の成績は、筆記は充分。面接はやや低いが及第点。書類上の問題は特に無し」
「……はい?」
和室の中、湯飲みが置かれたちゃぶ台を挟んで座る竜胆の口から流れるように語られるのは、れのの情報だった。とはいえ、ここまでは教師間で共有されていることなのかも知れない。
そう思って心を落ち着けようとした彼女に、竜胆はためらいなど一切見せずに続けた。
「転校早々、担任教師や周りの女子から目を付けられて、からかい……まあ状況的にはいじめと言って差し支えないだろうな。その対象になっているようだな。家も母子家庭で、心配かけたくないから相談もできないと言ったところか?」
「あ、え、なんで……。お母さ、えと、それは……」
「茶を飲んで落ち着け」
「い、いただきます……」
ちゃぶ台に置かれた熱いお茶を、一生懸命息を吹きかけて冷ましながら飲む。熱いお茶が胸の中を乱暴に温めると、れのの心もちょっとだけ落ち着いてきた。
「この学校のことで、私が知らないことはない」
「だ、断言した……」
「事実だ」
自分のために入れた茶をぐい、と飲む竜胆の姿は、見た目のおとなしさと相反して奇妙に男らしい。
れのは焦り始めていた。
このままこの教師の話を聞くのはまずい、と本能が警鐘をならしている。深入りしてはいけない場所に入り込みつつある、と。
「あの、授業をサボっちゃったのは謝ります。だから……」
「授業? ああ、その話なら大丈夫だ」
ジャケットから取り出したスマホで電話を始めた竜胆は、れのが驚くようなことを言う。
「校長、一年四組の月足れのの件で。……そう、転入生の。今は私の“家”にいるから、午前の授業は病欠扱いで」
目くばせを受けて、れのは反射的に頷く。
「受けるそうだ。ああ、担当には周知をよろしく。それじゃ」
というわけだ、とテーブルにスマホを置いた竜胆は、どこか自慢げだった。
「あのはげ……校長に話はつけたから、授業のことは気にしなくていい」
「ありがとうございます……? いやいや、そうじゃなくて、今の話、ここが先生の家って!」
「事実だ。ここは私、竜胆燈子の住まい。そして君は不法侵入者ということになる。まあ玄関の鍵をかけ忘れた私にも非はあるが……侵入に躊躇いが無いにもほどがある。もしかして常習か?」
再びスマホを手に取った竜胆がひょいひょいと操作してれのに見せたのは、彼女が引き戸を開いて入っていく姿を捉えた映像だった。
「うぇ?」
「綺麗に撮れている。不法侵入の良い証拠映像が撮れたな」
「しょしょしょ……証拠? え、カメラ? なんで? 常習とかそんなことはないですよ? よ?」
「やれやれ、君は想定外の出来事に対応できないタイプだな。まあ良い。時間は有限だ。本題に入るとしよう」
混乱しているれのを気遣うことなく、竜胆は話をつづけた。
「私はこの学校内でのことは何でも知っている。校内のあらゆる場所は私の監視下にある」
竜胆が背後の襖を勢いよく開く。
そこには無数のモニターが壁一面に並んでいて、全てに校内のあちこちが映し出されていた。一つのモニターが四分割されていて、カメラの数はどれほどか、れのには数えきれないほどだ。
「犯罪なんじゃ……」
「そうだな」
竜胆は涼し気に肯定する。
「だが、それがどうした。この学校は私が掌握している。そのために必要なことだ」
話が逸れたな、と竜胆は茶を飲み、唇を湿らせた。
「お前の担任、荻園のことも把握している。あれは好青年ぶっているが、実際は女生徒に手を出すクズだな」
担任の名前が出たことで、れのの意識は非現実的な光景から引き戻された。
「荻園先生って、そうなんですか?」
「校内で堂々としたものだ。おかげで楽に証拠を掴めた。……さて、その映像を使えばお前を助けることはできる」
竜胆の目が、れのをまっすぐに見つめている。
「ようやく教職に慣れてきたのでな。しばらく放置していた学校の”掃除”をやろうと思っていたところだ」
竜胆は「思っていたより教師は忙しいのだ」とため息を吐いた。
「取引といこうじゃないか、月足れの」
伸ばされた竜胆の細く白い右手は、れのの目の前で彼女を誘う。
「私のために動いてくれる仲間になるなら、この家に出入りする権利をやろう。お前の周りも綺麗にしてやろう」
甘美な響きだった。
母もあの男もいない場所と、穏やかな学校生活。
竜胆の言葉は、淡々としているが確かな自信に裏打ちされている。この人に任せれば大丈夫だとれのを信じさせるに充分な力があった。
優しく、柔らかな掌が、温かくれのの手を包む。
「これからのことは心配しなくとも大丈夫だ。先生はお前を見守っているぞ」
「先生……」
「任せておけ。お前が私の味方でいる限り、私はお前の味方だ。その代わり私の支配する学校をより良くするために、協力してくれるな?」
握り絞められた手が少し痛いと感じたれのだったが、その痛みすら頼もしさとして受け止めた。
そして、れのは小さく息を吸って、頷く。
「お願い……します!」
「契約成立だな」
竜胆燈子が、にやりと笑った。





