帰国少女
卒業式も終わり、部長たちは無事卒業。
そしてさらには修了式も終わった三月の末日。
僕は空港の出発ロビーにいた。
今この場には僕を含めた文芸部の面々がフランと別れの挨拶をしていた。さっきまで彩奈とお母さんもいたのだが、散々泣きついた揚句フランにしがみついたまま放れようとしないのをお母さんが呆れて、引きはがして少し離れた椅子へと離したのだ。そのせいかさっきから悲しみと恨めしさの合わさった視線が、僕の背中に突き刺さっている。
「フランともこれでお別れか。なんだか寂しくなるな」
「オーぶちょー。そんな悲しそうな顔しないでヨ」
「ハハハ。私は悲しんでるわけじゃあない。会おうと思えば会いに行けるからな」
「高城、そんな金あんの?」
「……今から行くわけじゃないだろ」
「冗談だ」
いつも通りなんだけど、やはりどこか高城部長も香月先輩も寂しそうな感じが見て取れる。
送り出されるフランは、いつも通りな笑顔を向けているが、それもやっぱりさみしげなものだった。
そういう僕はというと、長いようで短かったフランがいた一年間が終わってしまうという実感が持てずにいた。すぐ近くのゲートを通ったらしばらくフランに会えなくなるのかと思うと、やっぱりさみしかった。
昨日の夜は家族全員で食事をしたあと、夜が更けても気にせずにフランと僕の部屋で話していた。最初こそしんみりしたものはあったけど、思い出話には花が咲くようで、深夜三時の時計を見るまでずっと話していた。そのほとんどが文芸部のもので、残りがうろな町で過ごしたことだった。もっと日本のいろんなところを案内した方が良かったのかとも思うけど、それは後の祭りであって、フランが楽しそうに思い出話をするのを見ていたら薄れていった。
そんなことを思い出しながら三人の話を聞いていると、フランがこっちを見て笑った。
「浩二はさみしくナイの?」
三人の視線が僕に集まる。
僕はフランの肩口辺りに視線をそらして答える。
「ちょっとだけね。でもフランにも向こうに家族がいるんだし、一番複雑なのはフランかなって思ったらさみしいとは言えないかなって」
「そっか。アリガトウ」
そう言って笑顔を作ると、僕の方へと歩み寄ってきた。そしてもう一歩の距離まで近づくと、僕の顔を見つめた。
やっぱりフランもさみしいんだ。
僕の目の前に立つフランは、笑えずに今にも泣きそうな顔をしていた。それにつられてか、僕の涙腺も少し緩んだが、意地でも泣くまいと閉じていた口に力が入る。
そしてフランは僕との距離を詰めると、僕の背中に手を回して胸に顔をくっつけるようにして抱きついてきた。
「……フランもさみしい。コッチに来て浩二に会えてよかったデス」
震える声でそう言うフラン。僕はフランの背中に手を回して少し強めに抱きしめた。
先輩の『おー』という声が聞こえたが、かまっている余裕はなかった。
「僕もフランと会えて良かった。ありがとう」
フランの柔らかい金色の髪が頬に当たる。初めて女の子を抱きしめたからわかんないけど、柔らかくて温かくて、いつまでも抱きしめていたいと思った。
少しの間、フランは僕の腕の中で泣いていたが、それが治まったのか、離れる素振りをみせたので僕は腕の力を弱めた。胸から顔を離し、見上げるように僕の顔を見た。
潤んだ目がそこにあって、日本人よりも高い鼻がそこにあって、艶やかな唇がそこにあって、もうしばらく見ることができない顔がそこにあって。
自分の脳にしっかりとフランの顔を刻み込むように見た。
そして僕はフランにキスをした。
背中に回っていたフランの手が、僕の首の後ろへと上がり、なんとも情熱的なキスになった。
たっぷり十秒はしていただろう。
互いに口を離し、少し見つめ合ってまた抱きしめあった。
僕は抱きしめたままフランに告げた。
「フラン。向こうでも元気でね」
「ウン。浩二もネ」
それを合図にするかのように、腕の力は弱まっていき、抱きついていた身体は離れ、僕らの間は数歩分離れた。そしてフランが目をゴシゴシと拭って微笑んだ。僕もフランに笑顔で返した。
「じゃあぶちょー。そろそろ行くネ」
「お、おぅ? お、おぉ! そ、そそうか! じゃあ向こうでも元気で。気を付けて帰りなさいよ」
「元気でなー」
「イロイロとお世話にナリマシタ」
「彩奈ー!」
僕らの後ろにいる彩奈にフランが大きく手を振ると、彩奈は小さく手を振ってまた泣いていた。
そんな彩奈を見て笑顔になったフランは、僕を見て満足そうに笑い、クルリと踵を返して向こうにある搭乗ゲートへと歩み出した。
フランがゲートの順番を待っている間、僕らは何も言わずにそれを見ていた。そしてフランがゲートのチェックを抜け、僕らが入っていけないところまで抜け切ると、こちらを見てまた大きく手を振った。僕らはそれに手を振って返すと、フランは満足そうにまた笑って見えなくなっていった。
フランが見えなくなり、振っていた手を所在なさげに下ろした。
「綾瀬君……」
そんな僕に部長が心配そうな声をかけた。
「なんですか?」
「……いや、なんでもない。帰ろうか」
「そうですね」
帰りの電車の中、僕は窓側の席に座って流れていく景色の向こうに見える離陸していく飛行機を眺めていた。
「あのどれかにフランが乗っているんだろう」
向かいに座る部長が独り言のようにつぶやいた。
僕は部長をチラリとだけ横目で見て、また外を見た。
「綾瀬君。フランに自分の気持ちを伝えなくてよかったのかい?」
「いや、あれだけやれば伝わらないもんはないだろ」
「香月。世の中には言葉にしないと伝わらないものもあるんだ。お前には乙女心がわかってない」
また夫婦漫才が始まりそうだったので、僕はすぐに答えた。
「いいんです」
「……そうか。綾瀬君がいいならいいんだが、前にも言った通り、君は私の可愛い後輩だ。おせっかいを焼きたくなる先輩の気持ちもわかって」
「ずっと会えなくなるわけじゃないですし、部長だって言ってたじゃないですか。会おうと思えばまた会えるって」
「いや、あれは言葉の文であって……」
「もしもまた会うことができて、その時もまだ気持ちが変わってなければ言います」
「……君は本当にフランのことが好きだったんだな」
「……どうなんでしょうね?」
ひどく晴れて眩しい太陽のせいで、最後まで追えなくなった飛行機から視線を外し、目の前に座る部長を見た。
その部長が歪んでいて、自分が泣いているのに気が付いた。
「君は本当に泣き虫になったな」
「誰のせいだと思ってるんですか」
「フフフ。泣きたいときは泣いてもらった方が、こっちは嬉しいもんなんだよ。覚えておくといい」
『部長だって泣いてたの隠したくせに』という言葉は口から出てこず、代わりに目から涙があふれ出てきた。
目を抑えて泣く僕の頭に部長の手が置かれたのがわかった。
僕、最近涙もろくなった気がするなぁと思いながら、今頃はもう青い空を飛んでいるであろうフランに、心の中で別れを告げた。
ありがとう。フラン。
おしまい




