155.貴族名鑑
僕はお母さんの日記を抱えたまま書庫に向かった。広い図書室の更に奥に、過去の貴族名鑑は仕舞われている。
『エリス、大丈夫なの?』
考え事をしていたから、怖い顔でもしていたのかもしれない。アオに心配そうに声をかけられた。
「……大丈夫。なんだかお父さんのことがわかると思ったら、複雑な気持ちで……」
僕がそう言うとシロが体をこすり付けてくる。慰めてくれているようだ。僕は笑ってシロを撫でた。
お母さんの日記から推察するに、お父さんが亡くなったのは僕が生まれる数か月前だ。
貴族名鑑は三年ごとに発刊される。僕の生まれ年より前に発刊された貴族名鑑を見れば、お父さんが載っているはずだ。
僕は台の上に乗って目的の貴族名鑑を取ると、一枚一枚丁寧にめくりだした。
パトリックと言う名前はありふれている。上位貴族から順番にパトリックという名前を探していたら、いくつか該当するものがあった。
僕はその時点でどれがお父さんなのか目星はついていたけど、念のため三年後に発刊された貴族名鑑を調べる。三年の間に名前が消えている……つまり死亡している人物が僕のお父さんだ。
二冊の貴族名鑑を見比べて、それに該当しているのはただ一人だった。
「パトリック・エヴァンス……」
それが、僕のお父さんの名前。先日会ったラルフ・エヴァンス伯爵の次男で、セドリック・エヴァンスの弟。
つまり、先日会った彼らは僕の本当のお祖父さんと伯父さんだった。
なぜだか涙がこぼれ落ちた。悲しいという感情は無いように思う。どちらかというとなんだかホッとして、緊張の糸が切れたようなそんな感情だ。
僕は初めて、自分と血のつながった人達を見つけたんだ。今のお父さんとお母さんに不満があるわけではない。家族の情に血のつながりなど関係ない。わかっていてもどこかで寂しいと感じていたのかもしれない。
僕はお祖父さんと伯父さんにまた会いたいと思った。会って、お父さんの話を聞きたい。僕はお母さんの日記と貴族名鑑を持って、デリックおじさんの元に行くことにした。
『デリックおじさんはエリスのお祖父さん達に会わせてくれるでしょうか』
シロに乗ってデリックおじさんの家へ向かっていると、モモがポツリと呟いた。
「……わからない。でも、止められても自力で会いに行くつもりだから」
エヴァンス伯爵領はそれほど遠くない。転移ポータルでも子供一人で行ける距離だ。転移ポータルは便利だけど、子供だけだと移動できる距離制限があるんだよね。それこそここから王都までは大人が一緒じゃないと行けない。
七賢者達が僕に何も知らせないことで、僕を危険から守ってくれようとしていることは知っている。でも、少しぐらいいいじゃないか。少し会って、話を聞くだけだ。そう思う僕はもしかしたら反抗期ってやつなのかもしれない。
「デリックおじさん!エリスです!居ますか?」
日もくれそうな時間にガンガンドアをノックしたからだろう。おじさんは慌てた様子で家から出てきた。
「どうした、エリス。もうすぐ夕飯じゃないのか?」
「お話があります」
間髪入れずに真剣な顔で見つめる僕に、おじさんは目を見開いた。そして家の中に入れてくれる。
「お母さんの日記を見つけたんです」
リビングの椅子に座ると、お茶を入れようとしたおじさんを遮って言う。おじさんは固まってしまった。
「日記には、僕のお父さんのことが書いてありました。王様に殺されたって……」
おじさんの顔が紙の様に白くなるのがわかる。ああ、やっぱり日記の内容は真実なんだ。
「パトリック・エヴァンス。彼が僕のお父さんですか?」
僕は貴族名鑑のページを開いておじさんの前に差し出した。おじさんは驚愕したような顔をして、貴族名鑑を見つめている。
「……まいったな。全部アンドレアス殿下のおっしゃった通りだ。エリスはいずれ自力で父親を探し当てると……」
僕は少しムッとした。なんだかアンドレアス殿下の手のひらの上で転がされているようで気に食わない。すごい先見の力を持った魔法使いだっていうのは知っているけど、僕は未来は自分の手でつかみ取るものだと思っている。僕が危険を回避できるようにしてくれるのはありがたいけど、すべて見透かしているような対応をされるのは気分が良くなかった。
「そうだよ。お前の父親はパトリック・エヴァンスだ。慰霊碑の完成式で会ったエヴァンス伯爵はお前の祖父だ。エリスが会いたいというなら、会える機会をもうけるが、どうする?」
「会いたいです!」
僕は即答した。おじさんは苦笑して僕の頭を撫でる。
「わかった。伯爵にはお前が会いたがっていると話して、領主邸を訪ねるように言っておく。日付が決まったら連絡するから、くれぐれも一人で伯爵に会いに行くなよ。危ないからな」
僕は頷く。今すぐ会いたいなんてわがままを言うつもりは無い。伯爵……お祖父さんだって忙しいだろう。会って、話ができて、疎まれていないのならそれでいい。血のつながった家族が生きていると知るだけで、僕は嬉しい気持ちになった。
お祖父さんからお父さんの話を聞けるのが楽しみだ。




