3-18 わたしはラインウータン
これはわたし、宇多佳未が一人前のラインマン(送電線工事のスペシャリスト)になるまでの、筋肉痛にうめきつつ冷や汗を流しまくる記録である。
【ラインウータン】とは。
発案者の同僚兼指導員である佐竹さんと秋津先輩によれば『ラインマン』と、送電線にぶら下がった私を見てなぜか連想した『オラウータン』からの造語だという。
人間でないのはいただけないが、『ウー』はウーマン(女性)から。『タ』はわたしの苗字から取ったんだし……と無理やり納得していたら。
「は? んなもの、おまえの格好を見てたらカケラも入る余地はないだろう」(お二人談)と言われてしまった。
くそう。
私は 宇多佳未。
株式会社大空電設に今年入ったばかりの新人で、人呼んで『ラインマン』(のたまご)
仕事は送電塔や電線を設置したり、その保守だ。今日、いよいよ送電塔に登らせてもらえる。
現場に到着。塔の足元でワクワクしているが、まずはミーティングである。
安全に工程をすすめるためには。情報を共有するという作業は、社会に出てから特にチームを組む場合には、とても重要なのだと叩き込まれた。
「宇多。わからへんことはあらへんか」
指導員兼班長である佐竹さんが私に聞いてくる。
「……大丈夫、です」
「佐竹さん、宇多に甘すぎ。俺もですが」
もう一人の指導員であり班員の秋津先輩が苦笑まじりに言う。
うん。『愛のむち』と言う言葉のとおり、お二人にはとても丁寧に指導していただいている。ほぼ毎日、悔し涙を流したり、寝るときにシーツを噛んではぐぬぬぬ……と唸っているけど。
「他の職場は知らへんが、『見て覚えろ』の時代は終わったさかいな」
佐竹さんの言葉に先輩も同意する。
「不明なまま、勘違いで作業を行ったら危険ですからね」
うん。自分のみならず、同僚を巻き添えにするかもしれない。
一歩間違えば『死』がパックリと口を開けている仕事。
なぜ、そんな仕事をわざわざ選んだのか。
私にとって、登山家がなぜ山に登るのかと訊かれて『そこに山があるからだ』と答えるようなもの。
将来のことなんて考えてもいなかったとき、電線の上を歩くラインマンの画像を見た。
頭をガツン!と殴られるような衝撃を受け、この人みたいになりたい、絶対にこの仕事に就くんだと決めた。
あのときの気持ちは消えることはなく、今日私はここにいる。
「宇多。なに目ぇ開けたまま寝ぼけてるんや」
しまった。
……なごやかなミーティングが終われば、次は上に持っていく工具の点検だ。指さし確認しながら落下防止用コードで作業ベルトにつなぐ。
落としたら拾えばいいなんて、簡単なことじゃない。
たとえば拾うのには、せっかく登ったのに降りなければならない。
おまけに落としたものは壊れてなくても歪んでだりする確率が高い。
工具だけなら不幸中の幸い。
自分が落ちたら。それも人の上に落ちたならば、最悪な事態になってしまう。
「ヨシ!」
作業ベルトを腰にまけば、重さがずしりとくる。……今、体重を測ったらなんキロくらいあるのだろう。なんて考えながら、フラつく足を必死に踏ん張る。
「宇多。昨日言うたことはしてきたか」
佐竹さんに聞かれて、私はなんとかうなずいた。
「部屋のドア近くに布団を敷いときました。枕元には湿布と食べ物を準備済みです」
……実は入社以来、毎日やってます。
寮の部屋が洋室だったら、とてもではないがベッドまでたどりつけない。
匍匐前進で布団にダイブ。気絶するように寝落ちする。猛烈な筋肉痛と湿布の匂いで毎朝目覚めるというスタイルを確立していた。
「生まれたての子牛より足腰立たへんようになるさかい、寮に到着したら玄関に置いてあるスケボーに腹這いになって部屋まで帰れ」
「ラジャー!」
古びたスノーボードにキャスターがつけられたモノが受付に何台も置いてあった。お助けボードと呼ばれているそれらが不思議だった。ものすごく納得。
秋津先輩からは。
「おまえ、ほんとに平気? 手足を滑らせたあげく、宙吊りになるぞ?」
おどされた。
「大丈夫です!」
私は精一杯、胸をいや虚勢を張った。
のに。
「佐竹さん、ほんっとーに宇多を登らせるんですか? まだ全然ですよ、今日は風もあるし。こいつ、すでに足が震えてます」
内心ビビっているのを先輩に見抜かれた。
「こ、これは武者奮いって言うか……!」
抗議しかけたが無視。
「俺だって佐竹さんレベルにまだまだ至りませんが」
たしかに秋津先輩は、わが支店のナンバーツー。そして班長の佐竹さんは、全てのラインマンが目指している『マイスター』に三十手前でなるだろうと言われている、ピカイチさんだ。
……いまさらに、すごい方々に指導されているなあ。ひょっとしたら私ってば実はすんごい才能の持ち主だったりして? うんうん、能ある鷹は爪を隠してもバレちゃうよねえ。
ニヨニヨしていたら、おめでたい奴と秋津先輩にため息をつかれた。
「油断と勘違いをするな。俺と佐竹さんだから、お前と組んでもマイナスにならないんだぞ」
やっぱりそうか。でも、そんなことじゃへこたれない。私は自称百万ドルの笑顔で応える。
「はい! わかってます、お二人の絶大なスキルがあればこそです」
言っても無駄だと思ったのか、秋津先輩は佐竹さんに直訴を始めた。
「ほんっとーにこいつを登らせるんですか。最低でも、リスくらいまでになってからでないと危険すぎます。こいつが梯子登る姿なんて、カエルがパン食い競争してるようなもんです」
……よくも乙女を爬虫類扱いしやがりましたね。
むっとしてたら佐竹さんが援護してくれた。
「今日は微風や。あんなんを『風』と言わへん。命綱もつけてるさかい、死ぬことはあらへん」
「だ、そうでぇーす」
佐竹さんの尻馬に乗って、ついでに心の中であかんべをしてみる。
「……まったく。おとなしく事務所勤めしてりゃいいものを」
秋津先輩がわざとらしくため息をつく。
「ま、なにごとも経験やで。なぁ、宇多?」
佐竹さんが笑いかけてくれたので、勇気百倍になる。
「わかってます! 『事務所に帰るまでが作業、気を抜かない』ですよね、安全第一でやり遂げます!」
今回の高さはたった二十五メートル。
私達がいる支店の地域には、海からの高低差が激しいから百メートル級の塔もざらにある。ビル十階分の高さくらい、登りきってみせる。
はず、だった。
「宇多っ、下を見るな!」
先に登っていた秋津先輩の怒鳴り声がしたのは、インターバルついでに絶景を堪能しようかなと考えたときだった。反射的に見てしまう。
「ひ!」
足のしたに地面がない!
……正確には十一メートルしたにはある。
「うわぁああああ」
気がついたら色気のない悲鳴を絞り出していた。
「●×△*¥≧!!」
先輩、怒鳴っても聞こえないってば。
『〆φδΣ⇔∵』
佐竹さんの低くて落ち着いた声が耳元で聞こえる。普段ならうっとりしちゃうんだろうけど、今はだめ。理解できない。
ある意味、自分だけの空間で私は変なことを考えだす。
「そう言えば『人が恐怖を覚えるのは十から十一メートルくらい』って、なんかのサイトに書いてあったっけ」
高さを確認してはいけない。ドンピシャだったら動けなくなるのに、私の目はがっつり十一、という表示を確認してしまう。お馬鹿なことに怖いもの見たさでふたたび地面をのぞきこむ。
うっわ。
下で私達を監督している、班長の佐竹さんの体長は数センチくらい。なのに、どんな表情をしているかわかってしまう。
おまけに物体がもつ立体感や建造物とかの奥行き感もわかる。
足がむずむずしてきた……とか考えているうちに地面に吸い込まれそうになり、目を逸らしたが遅かった。
さー、と血の気がひく。
足は膝同士がぶつかるほど、ガタガタ震えまくっている。もう無理。怖い、逃げ帰りたい。
『宇多。思い出せ、今日ぉはなんの作業をすう日ぃや』
わからない、考えられない。
それより助けて!
『宇多、答えろ』
こんなときまで鬼教官にならなくても。
「………………電線用圧縮クランプの抵抗測定です」
『どんな作業や。小学生にもわかるよう説明しぃ』
ええと。
二二〇キロボルトの高圧電線を接続する部分は、どうしても経年劣化する。すると、熱をおびて電力の導電率が低下する恐れが出てくる。
『つまり?』
「電線は人間の血管と一緒です。流れが悪くなると、うまく電気を運べなくなる。なので、今日は送電線の健康診断というわけです」
分解していた脳内回路が繋がってくる。
そうだ、私は電線の検査を行うため、送電塔を登っている途中だった。
体から逃亡していた芯みたいなものが体のなかに戻ってくる。
「宇多。お前なら出来る、登ってこい!」
ようやく秋津先輩の言葉が頭にしみ込んでくる。先輩も寒風の中、作業を中断して私を見守ってくれている。
そ、そうしたいのはやまやまなんですが。
足からは力が抜けて、ボルトを踏んでいるのかもわからない。手は反対に、送電塔に糊づけされてしまったみたいで、固まって指がひらかない。
佐竹さんが耳元で励ましてくれる。
『宇多、お前は命づなで送電塔に繋がってる。失神しても落ちひん。大丈夫。やから、リラックスしぃ』
すううう、はあああ。私は何度も深呼吸を繰り返し、自分に話しかける。
私は落下防止用のフルハーネスを装着しているし、緩みはないか自身で確認後、佐竹さんにチェックしてもらった。
ステップを数段上がるごとに、きちんと安全ロープで塔にカラビナで固定もしている。
大丈夫。
夢が叶って、私は送電塔の上にいる。大好きな仕事のようやく第一歩が始まった。落ちない。私のことを、佐竹さんと秋津先輩が見守ってくれている。
手足の感覚もある。
「宇多、のぼります」
なんとか笑えたみたい。どこかに逃げ去っていた体温が戻ってくる。
ゴクリ。
唾液を飲み込む音がやけに大きく聞こえる。私は頭の上にあるボルトステップに手を伸ばした。





