3-17 入れ替わり喫茶かねよし
ようこそ、『入れ替わり喫茶かねよし』へ。
どなたもどうぞお入りください。わたくしは店主のカネヨシと申します。
当店はその名の通り、『入れ替わる』お店でございます。
ほら、物語にありますでしょう? 体だけ別の人間と入れ替わってしまうお話が。
わたくしは入れ替わりの物語が大好きなのです。
なんとか目の前で見ることができないかなと思ったわけでして。
けれど大騒動は望んでおりません。
体が入れ替わったふたりを、できるだけ安全な状態で見たいだけなのです。
だからこの喫茶店を造りました。
わたくしがご用意するコーヒーを飲むと、あら不思議。
共に来店された方と体が入れ替わってしまうのです。
でも心配なさらないでください。効力はしばしの間だけ。
時が経てば元に戻ります。ええ、たぶん。
どなたもどうぞお入りください。
入れ替わり喫茶かねよしは、お客様をお待ちしております。
「あなたとわたし、入れ替わりましょう。コーヒーを飲む間だけ──。
『入れ替わり喫茶かねよし』はお客様をお待ちしております。どなたもどうぞお入りください」
立て看板に奇妙な宣伝文が書かれた喫茶店を見つけたのは、春輝との最後のデート中だった。
「入れ替わり喫茶かねよし。不思議な名前のお店ね。春輝、知ってる?」
横にいる春輝を見上げると、彼も怪訝な表情をしている。
「何度か通った道だけど、知らないなぁ」
「じゃあ、ごく最近できたのかな」
「美亜のほうが詳しいんじゃないの? 好きだろ、カフェとか喫茶店とか」
確かに雰囲気のいいカフェは好きだけど、こんな名前の喫茶店は聞いたことない。
落ち着いた雰囲気のカフェでゆったりと読書を楽しむ。私の憩いの時間だ。穴場のお店があったら知りたいけれど、おかしな宣伝文が気になってしまう。
「これ、どういう意味だろうな。『あなたとわたし、入れ替わりましょう。コーヒーを飲む間だけ』って。なんか面白そう。美亜、入ってみようよ」
「えっ、変な店だったらどうするの?」
「そんなの入ればわかるよ。おかしな店だったらすぐに出ていけばいい」
「ちょっと、春輝ってば」
春輝は私の手をつかみ、強い力で引っ張っていく。
ああ、彼はいつもこうだ。好奇心旺盛で、自分の直感を信じるタイプ。興味を抱いたものには迷うことなく飛び込んでいく。行きたかった場所も、春輝の突然の思い付きで変更になったりする。
「この扉、ちょっと重いな。なかなか開かない」
「まだ開店してないんじゃない?」
「でも準備中の札はないし、鍵もかかってない」
春輝が力任せに扉を押し開けようとするので、慌てて私も手を添えた。お店の入り口を壊したら大変だ。春輝と共に扉にふれると、「入れ替わり喫茶かねよし」の扉は音もなく開いた。
すると扉の向こうに見えてきたのは、店の中央に立つ男性の姿だった。
「いらっしゃいませ、お客様。お待ちしておりました。どうぞ中へお進みください」
にこにこと愛想よく笑う男性は、私たちを店の中へと誘う。銀色のトレーを持ち、私たちが入るのを待っていたようだ。
「ささ、遠慮なさらず。こちらの席へお座りください」
店の中央のテーブルに座るよう促す。店の中には他の客の姿は見えない。
入るのをためらっていると、春輝は私の手を引っぱり、男性の従業員が示す席へと進んでいく。仕方なく私も彼の後に続いた。
小さめのテーブルに向かい合う形で腰をおろすと、トレーを脇に抱えた男性がうやうやしく頭を下げた。
「ようこそおいでくださいました。わたくしは当店の店主カネヨシでございます」
愛想の良い男性は、この喫茶店の店長だった。他に従業員らしき人は見当たらない。
「お客様がおいでになるのは何日ぶりでしょうか。嬉しすぎて体が震えてまいります。うふふふ」
ぷるぷると体を震わせながら、にこやかに笑っているカネヨシさんは少し不気味だ。
ほとんど客が来ない喫茶店ということは、何か問題がある店なのかも。下調べもせずに入るべきじゃなかった。春輝を少しだけ恨みたくなる。
じろりと春輝をにらむと、彼はそしらぬ顔で店主のカネヨシさんに質問する。
「カネヨシさん、入り口前に書いてありましたよね。『あなたとわたし、入れ替わりましょう。コーヒーを飲む間だけ』って。あれ、どういう意味なんですか?」
「そのままの意味でございますよ。当店は『入れ替わる店』なのです」
「入れ替わるって何がですか?」
「お客様の体と心がです。ほら、アニメや漫画、小説などにありますでしょ? 『私たち、入れ替わってしまったのぉ!?』って叫ぶやつですよ。わたくし、あの瞬間がぞくぞくするほど好きでしてねぇ。それで当店を造ったというわけでございます。さぁ、こちらから御希望の品をお選びください。心を込めてご用意致します」
白いメニュー表を押しつけられ、さすがの春輝も顔がひきつっている。だから変な店かもしれないって言ったのに。
メニュー表を開き、注文を選んでいるふりをしながら、小声で私に話しかけてくる。
「美亜、この店長の言ってること冗談だよな」
「誰かさんは面白そうって言ったと思うけれど?」
「楽しい催しがある喫茶店かと思ったんだ。最近の美亜は元気ないし、少しでも笑ってほしかった」
自分勝手な人だと思うのに、突然優しさを垣間見せる。だから春輝のことを嫌いになれない。
「カフェ好きな美亜なら喜ぶと思ってさ。おまえの笑顔が見たかっただけだ」
春輝らしい、不器用な優しさだった。
ああ、彼のこういうところ好きだって思う。
「とりあえず飲み物を注文しよう」
入れ替わりとやらが、冗談か本気かわからないけれど、最後まで付き合ってあげよう。そして彼とは終わりにする。
御曹司と呼ばれる立場の春輝には、私よりずっとふさわしい人がいるもの。
「席に座ってしまったし、オーダーしないわけにはいかないもんな」
ふたりでメニュー表を見ると、その数は驚くほど少なかった。おまけにどこか妙な品ばかりなのだ。
『特製コーヒー あっさりブレンド』
『特製コーヒー 少しうすめ』
『特製コーヒー 濃いめ』
『特製コーヒー こってり濃厚』
『特製コーヒー 店長スペシャルブレンド』
※コーヒーが苦手な方は他のお飲み物に変更も可能です。
※各種軽食もご用意できます。
「美亜、喫茶店とかよくわかんねぇけど、品数こんなに少ないもんなのか?」
「まさか。普通はもっと多いわよ」
「この『こってり濃厚』ってなんだよ。ラーメン屋じゃあるまいし」
「こっちの『濃いめ』というのも、よくわからないわね……」
手早く注文しようと思ったのに謎メニューでとまどってしまう。
「お客様、当店はわたくしひとりで営業しておりますので、限定メニューとなっております。御理解くださいませ」
小声で話していたのか聞こえてしまったのか、店主のカネヨシさんはにこやかに説明してくれた。
「あ、あの。カネヨシさんのお勧めはどれですか?」
注文するものを決められないときは、「店長のおすすめ」を選んでおけば間違いはないと思ってる。ここでもそれが通用するかはわからないけれど。
「当店はどれもお勧めなのですが、お客様は初めてでいらっしゃいますので、『特製コーヒー あっさりブレンド』はいかがでしょう? 飲みやすく後味も悪くございません」
店長のカネヨシさんはとびっきりの笑顔で教えてくれた。
「じゃあ、『あっさりブレンド』でお願いします」
にたりと笑ったカネヨシさんは、優雅におじぎをした。
「はい、かしこまりました。少々お待ちをくださいませぇ」
注文がよほど嬉しかったのか、るんるんとスキップをするようにカウンターへと戻っていった。
「なんか変な店だなぁ。スキップする店長はちょっと面白いけど」
「少し変わった人だよね……」
しばらく待つと、トレーに二つのコーヒーカップを乗せたカネヨシさんが席へやってきた。
「お待たせ致しました。こちらが当店自慢の『あっさりブレンド』でございます」
見た目は普通のホットコーヒーだった。砂糖とミルクも用意してくれてる。
「いい香りだ。コーヒーの香りって、なんか落ち着くよな」
「本当ね、いい香り……」
おかしな店だと思ったけれど、コーヒーは丁寧に淹れてくれる喫茶店のようだ。ちょっと好感度が増した気がする。
「じゃあ、いただこうか」
春輝がカップをとり、口元へと運ぶ。私も彼に続いてカップを手に取り、熱々のコーヒーをゆっくりと口に含んだ。少しフルーティーさを感じるコーヒーはあっさりと飲みやすく、するりと喉の奥へと流れ落ちていく。芳醇な香りが体を優しく癒してくれる。なんだか良い心地……。
ほうっとため息をついた時だった。
体の違和感に気づいたのだ。普段より目線が高い。おまけにカップをもつ手もなんだかゴツゴツしている。
驚いて向かい側の春輝へ視線を向ける。するとそこにいたのは、春輝ではなかった。
目の前に座っているのは、『私』だった。
今朝、鏡の前で身だしなみを整えた姿のまま、カップをもった状態で座っている。
「え、どういうこと?」
思わず口から出た言葉は、私の声ではなかった。慣れ親しんだ彼の、春輝の声だった。
「なんで俺が目の前にいんの? おまけに高い声も細い指先も美亜のものだ……」
目の前の「私」が、春輝の話し方で仰天している。
私が「彼」になっている。彼は私だ。
ここにきて、ようやく私たちは状況を理解した。
「あなたと私、入れ替わってしまったの!?」
『入れ替わり喫茶かねよし』名前の通り、私と春輝は体が入れ替わってしまったのだ。
「ああ、この瞬間が見たかったのです。お客様、コーヒーを飲み終えるまで、入れ替わりをゆるりとお楽しみくださいませ」
店主のカネヨシさんはにんまりと笑った。





