3-16 凪がれ星はもう見えない
高校二年生の朔月優は、いないはずの恋人・小鳥遊凪が世間を騒がせている女子高生連続脳姦殺人事件の犯人であるとしか思えない状況に直面する。凪への疑惑を晴らすため、探偵を自称する女子高生・雀ノ目凛の助手として奔走する優だが、次々と明らかになる事象のすべては優と凪へ収束するのだった。
どちらが虚構なのか。雀ノ目凛によって事件が終結し欠亜中九亭によって真実が確定されるとき、壮大なカタストロフが夢と現を切断する。その先では凪がれ星はもう見えない。
地上三万六千キロメートル、静止軌道宇宙ステーション。そこで僕らは真実の到来を待っている。
円環をなす白色空間は、果てのない虚空を映す硝子面に囲われていた。その中心では、地上からさらに宇宙の外側へと続く一基のエレベータが、床から天井を垂直に貫いている。
天井近くの照明が赤く点灯し、七人……いいや、六人と言うべきだろうか、沈黙を守っていた男女は一斉に視線を上げた。
「いやアちょい混みだったので、ぜんぜん十分ではつきませんでしたねエ。けつあなかくてい、です」
エレベータが開かれ、今世紀最大の名探偵、欠亜中九亭が、噂通りの遅刻具合で僕らの前に現れた。九亭はシルクハットを軽く浮かせ「遅れて失敬。しかし、これでは確定してしまいますねエ」と白い歯を見せる。
視界の奥で光が煌めく。それが短い尾を曳いて闇の向こうに収束した後、硝子面に淡く残された少女の姿が目に入り、慌てて視線を床に逸らした。
「点灯毟茜から始まり雀ノ目凛で終結した女子高生連続脳姦殺人事件、その犯人が確定しました」
九亭は宣言した。
なぜこんなことになったのか。何を間違ってしまったのか。
ありきたりな推理小説の冒頭のように、過去に思いを馳せるほかなかった。
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「おーい近づくなー。これ以上近づいたら、おじちゃん何しちゃうか分かんねーぞー」
六柑学院高等部の正門前には人だかりがしていた。それを門の外側へ押し返そうと、体育教師の日比野が一人奮闘している。
「死んでたらしいよ」「誰が?」「グルチャに写真あがってたけど」「うわ、真っ赤じゃん。グッロ」少し経つと、野次馬らの群衆が騒然とし始めた。遠くで鳴っていた警音が徐々に鮮明になる。たぶん誰かが自殺でもしたのだろう。月曜日だし。
どうせ学校には入れそうにないし、そろそろ帰ろうか。そう思って帰路につこうとしたとき、
「おい、そこの君」
背後から声をかけられた。振り向くと、鼻の高い端正な顔立ちの女が、鋭い目つきで僕を見下ろしてた。制服から同じ学校の生徒だと分かるが、知った顔ではない。
「こんな場所で何をしているんだ?」
「何って、家に帰ろうとしてるだけですけど」
「ええ?」
女は腰を曲げて首を伸ばし、穴の空きそうなくらい僕の顔をじっと見詰めた。そのまましばらく硬直したのち「……うーん、そうかあ。ならいいんだ」と申し訳なさそうな顔をする。
「堪忍してな、私の勘違いだったようだ。……ところで、さっきのあれ、誰が殺されたのか知ってるか?」
何を勘違いしたのだろう? それを聞く前に、女の方から話題を変えてきた。
「え? いえ……知りませんけど、そもそも殺人だったのですか」
「まあね。殺されたのは、二年B組の点灯毟茜さん。今日の午前六時四十分ごろ、東校舎一階の多目的トイレで彼女の屍体が見つかった」
「茜? 茜が殺された?」
点灯毟茜は僕のクラスメイトだ。苗字以外には目立った特徴のない地味な女子だったが、クラス内では唯一の友人だった。
「たまたま近くにいた私も屍体を見ることができたのだけど、それがちょっと尋常ではなくてね。額に穴が空いていたんだ。ほら、これちょっと見てみ」
女はスマホをポケットから出し、写真アプリを開いて僕に見せた。液晶には、屍体の顔を真上から撮影した写真が表示されている。屍体の顔面には黒く酸化した血がこびりついていて、飛び出した脳漿が額に空いた穴を中心に花咲くように広がっていた。
「……物騒ですね。銃で撃たれたのでしょうか」
「それにしては穴の直径が太すぎる。たぶんドリルか何かで頭蓋骨に穴を開けたんだろう」
「ドリルで? わざわざ何のために」
「何のためだと思う?」
「さあ、分かりません」
「うーん、そうか」女はなぜか困り顔で髪をぼりぼりと掻いた。「それがね、屍体のそばにコンドームが落ちていたんだ」
突然発せられた生々しい単語に、僕は思わず顔をしかめる。「……じゃあ、穴ってまさか」
「察するに、茜さんを殺した犯人は、その頭蓋骨に穴を空けて屍体を慰みものにしたのだよ」
点灯毟茜を殺した犯人は、その男性器で彼女の頭を犯した。そうなると、僕たちの学校は女子校だから、必然的に犯人は部外者である可能性が高い。彼女の言葉が正しければ、だけど。
「だが、屍体の頭を犯すのにわざわざ避妊具をつける理由があったのか、些か不思議ではある。避妊と言っても、まさか頭が妊娠するとは思わないだろう。そばに落ちていたコンドームも精液で汚れているふうには見えなかったし、そうなると避妊具の存在自体がそもそもミスリードだと私は……って、喋りすぎたな」
女は言葉を区切り、ふうっと小さく息を吐いた。
「そういえば、君、名前は?」
「朔月優です」
「優くんか。覚えておこう。私は探偵の雀ノ目凛だ。巷じゃあ胡散臭いと評判らしいが、お見知りおきを願いたい」雀ノ目は左手を軽く上げてその場で半回転した。「邪魔して悪かったな。失礼するよ」
同じ学校に探偵なんていたんだ。歩行に合わせて左右に大きく揺れるポニーテールを見送りながら、僕は感心していた。
自宅の賃貸アパートの扉を開ける。途端「おかえりぃ」と歓声が上がった。
「もう来てたの?」
驚いて聞くと「だって会いたかったんだもん」と凪は抱きついてきた。
凪は僕の恋人で、同じクラスに所属している。僕はこのアパートに母親と二人で暮らしているが、母が仕事で出かけている時間を見計らって凪は家にやってくる。どういうわけか合鍵を持っているらしい。
居間に入ってソファに座る。凪は僕の横に膝を立てて座った。
「今日は早いねえ。優も凪みたいに不登校になっちゃった?」
「はは、ちがうよ。学校で人が殺された。ほら、同じクラスに点灯毟って子がいたでしょ? 彼女が死んだらしい」
「へえ。いたっけ、そんな子」
「薄情だなあ」
「あはっ、優以外の人に興味ないもん。それに同級生が殺されたんだよ? 優だってもっと悲しみなさいよ」
凪は淡い栗色の長髪を弄りながら笑っている。僕は彼女の特徴的な笑い方が好きだった。
「それでね、屍体のそばに男性用の避妊具が落ちていたらしい。さらに額にはドリルで空けたような穴が空いていて、点灯毟さんを殺した人はこの穴から彼女の頭の中を犯したのかも、って探偵が言ってた」
「探偵? あはっ、実在するんだねえ、探偵なんて。それで、犯人はわざわざゴムをつけて屍体の頭を犯したって? 律儀だねえ。精液をDNA鑑定されるのを嫌ったのかな」
「あるいは危険日だったのかも。点灯毟さんはピッコロ大魔王みたく、口から出産するタイプの人間だったのかもしれない。ぐへえっ、て」
「あははっ。優の冗談は面白くないねえ」
「悪かったな」
立ち上がる。
凪を残して居間を離れ、奥のキッチンへ向かう。喉が渇いていた。
ふと見慣れない物体が、キッチン台の上に置いてあるのに気付いた。それを視認した途端、天井と床がグルンと反転するような激しい眩暈に襲われる。なんだこれは。
それは銃のような形をした工具で、銃口の部分には小指ほどの太さのドリルが差し込まれている。名前は知らないけど、そのドリルを回転させて何かに穴を開ける工具だってことは容易に想像できた。
「振動ドリルだよ」
後ろから声がした。
「……凪が持ってきたの?」
「うん」
「日曜大工にでも目覚めたのか? 今日は月曜だけど」
「あはっ。違うよ」愉快げに笑う凪。「ベランダに燕の巣ができてたでしょ? だから底に穴を空けて雛を落っことそうと思って。五月蝿いでしょ、あれ」
「わざわざドリルで?」
「変かなあ」
「いや……それなら、いいんだ」
自分を無理やり納得させて、蛇口のハンドルを回す。水は出なかった。諦めて、居間に戻る。
一瞬でも変な想像をしたことに自嘲し、凪の待つソファに向かう。まさかあり得ないだろう。凪が茜の頭にドリルで穴を空けただなんて。
「雄のひよこって産まれてすぐに殺処分されるんでしょ? どんな命にも価値があるって謳う人たちが定義する『命』の中に、雄のひよこは含まれていないわけだ。あーあ、ざんねん可愛そーに」
凪は一人で喋っている。
再びソファに座ると、何かを踏んづけた感覚がした。さっき座った時に何か置き忘れてたっけ? 太ももを浮かせて確認してみる。
『0.01』
箱の表面に記された数。それが薄さを表す数値だと理解するまでに、しばらくの時間を要した。
「これ……なに」声を絞り出す。「これも凪が?」
「ええっ! 優、そ、それはちょっと時期尚早じゃないかな? もちろん凪は嬉しいのだけどねっ。でも……凪たちの性交渉にそれは要らないんじゃないかな」
顔を赤くして恥じらう凪。僕は彼女の言葉をほとんど聞いていなかった。
偶然だ、偶然だ、心の中で何度もそう言い聞かせる。
本当は分かっている。
すべてはフィクションなんだ。ただの僕の妄想なんだ。
だから、そんなはずはない。
テレビのリモコンを手に取って電源ボタンを押す。しかし電波の届きが悪いのか画面は暗いままだ。
宇宙のような透明な黒に、一人少女の姿が映っている。
君が殺したのか? 心の中で僕は問いかけた。





